第7話


 静寂の森。空に月はなく、暗闇が一帯を支配する。夜行性の動物たちも床につき、ひっそりと寝息をたてる時間。時折吹く風が枝葉を擦り、静かに音を奏でた。


 静寂に足音が響く。足早に駆ける男が向かうのは小川のほとりに佇む小さな家。

 足音が止み、次に聞こえてきたのは蝶番ちょうつがいの軋む音。響かぬようにゆっくりと開けられる扉。

 隙間から漏れた赤い光が闇夜を照らし、男の影を作り出す。男は眩しそうに目を細め、中へと入っていった。


「おかえりなさい」

「ただいま。レリアは?」

「寝てるわ。頑張って起きてはいたんだけどね」

「そうか。まあ、仕方ないよな」


 夏といえども、日が沈めば一気に気温が下がる。ランスは暖炉の前に座り、手をかざした。


「お茶でいい?」

「ああ、頼む」


 暖炉に焼べられたヤカンを取り出し、ポットへ注ぐ。立ち上った湯気からは渋みを含んだ甘い香りがした。


「ありがとう。温まるよ」

「どういたしまして。それで、どうだったの?」

「オークだったよ」

「まあっ。大丈夫なの? 規模はどれくらい?」

「おそらく一頭。もう片付けたよ。しばらくは調査が必要だろうけどな」

「そう。……それにしては浮かない顔ね」

「少し面倒なことになってな」

「ふーん?」


 ランスはコップに口をつけ、ゴクリと喉を鳴らすとふぅーっと息を吐いた。


「森に調査が入るかもしれない」

「どういうこと?」

「貴族が入ってきてな。しかもルシアンボネ家だ」

「えっ。公爵家の? どうして?」

「理由はわからない。突然で俺も驚いた。確か、道に迷ったとかなんとか言ってたようだが、本当かどうか」

「そう……」


 ランスは森であったことを説明し、マリーは時折相槌を打ちながらその話を聞いた。


「それで、森の外まで送って別れたが、オークのこともあるしな。独自に調査を始めるかもしれない」

「何事もないといいけど」

「そうだな。話した印象は悪くはなかったが、貴族との腹の探り合いなんて俺には無理だ」

「何か言われたの?」

「勧誘されたよ。一緒に来てほしいってな。なんでも、新設されたばかりの隊で、経験が足りてないらしい。俺みたいな知識があるやつが必要なんだと」

「ふふ。嬉しそうね」

「まあ……悪い気はしなかったさ。でも断った。わかるだろう?」


 ランスはコップをあおいで、中身を飲み干した。


「おかわりはいる?」

「ああ。貰おうかな。ん、ありがとう」


 音を立てて崩れる薪に灰がふわりと舞う。揺らめく炎を見つめる瞳はどこか虚ろで、その背中は随分と小さく見えた。


「レリアを街へ避難させようかと思うんだ」

「……そうね。そうよね」

「またいつ来るともわからないしな」

「ええ」

「はあ……寂しくなるな」


 その問いには答えず、マリーは席を立つ。


「今日は休みましょ。明日も行くんでしょ」

「ああ。レリアが寂しがらなきゃいいが」

「あら、それなら大丈夫よ。私がいるから。ふふふ」

「まったく。これが終わったらたっぷり可愛がれると思ってたんだが。しばらくお預けか」

「そうねぇ。あ、でも、その前にやることがあるでしょ?」

「やること? ああ、そうか。すっかり抜けてたな」

「もう、しっかりしてよね。ボケるのはまだ早いんだから」

「はは、気をつける」


 小屋の明かりが消え、完全な暗闇が森を包み込む。時折吹く風が、再び演奏を始めた。

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