第18話


「負けないよー!」


 セレナの叫びに、レリアが頷いた。二人は五メートルほどの距離を開け向かい合っう。

 セレナが短剣を両手に姿勢を低くして構え、レリアは木盾で全身を覆うようにして、左手に長剣を持った。

 二人の身長はセレナの方が頭一つ分大きかったが、姿勢を低くしているため、目線の高さは同じだ。

 視線が交差し、一時の静寂が場を支配する。刹那、セレナの猛攻が始まった。

 一瞬にして距離を詰め短剣を繰り出す。突きの二撃がレリアの首筋へと伸び、木盾がそれを防いだ。

 一瞬の間もなく、蹴りの衝撃が木盾へと垂直に入り、地面に二筋の後をつけながらレリアの身体が後退する。

 続けざまに繰り出されるもう一撃もレリアは防ぎ切り、セレナは反動を利用した宙返りで距離をとった。


「かったいなぁ! 普通ならあれで体制崩れてるよ!」


 セレナの愚痴にレリアは誇らしげに笑った。


「むむむー! 今度こそ!」


 初撃と同じ軌道で二本の白い線を描く。しかし今度は木盾の振り上げにより弾かれ、セレナの両腕が上方へと伸びた。

 すかさずレリアの風音を伴った鋭い振り上げがセレナを襲う。しかし、セレナはその軌道を不敵な笑みで見つめ、レリアの視界から消えた。


 気が付くとレリアの視界がグラリと揺れ、地面が横から迫っていた。セレナは地面に円を描くように脚を振り、レリア両足を宙に浮かせたのだ。

 倒れたレリアの首筋に短剣を突き付け、セレナは笑った。


「私の勝ちー!」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 騎士団への指導に一段落付けたランスの横にエマニュエルが並んだ。


「あのさ、ランス」

「うん?」

「やっぱり、直接医者に見せたほうがいいと思うんだ」


 ランスは考え込むように瞳を閉じる。

 カラムに見せているとはいえ、貴族抱えの医者ならば、なにか別の視点があるかもしれない。とはいえ、レリアを一人で行かせるのも心配だった。


「僕が信用できないのはわかる。でも、レリアのためなんだ。このままだと、一生声が出ないかもしれないんだよ?」


 信用していないわけじゃない。だが、目の届かないところに娘をやると考えると、どうしても不安が勝ってしまう。


 ランスが目を開く。しかし、口は開かない。


 眼前で子供らの模擬戦が終わった。レリアの敗北だ。だが、二人の顔は清々しい。レリアも、随分と明るくなった。


 もう、十歳になるのか。


「エマニュエル様ー、勝ったよー。褒めて褒めてー」

「おー、すごいじゃないか。レリアも随分と強くなったね。さすがはランスの娘だよ」

「盾捌きは良かったんだがな。油断したな」

(コクッ)

「あー、楽しかった。ね、レリアちゃん!」

(コクッ)

「帰りたくないなー。ずっとレリアちゃんといれたらいいのに」


 地面を見つめてため息をついたセレナだったが、すぐに顔を上げ、叫んだ。


「そうだ! ね、家来てよ! そしたらもっといっぱい遊べるよ!」

(?)

「部屋はいっぱいあるし。ね、いいでしょ?」

(!)

「ねえ、だめ? エマニュエル様?」

「そうだなぁ……」


 エマニュエルが困り顔をする中、レリアがチラリとランスの顔を見て表情を暗くさせた。


(俺はレリアの幸せを考えているのか?)


 自分の存在がレリアを縛り付けている。そう思えてならない。

 三年もすれば成人を迎えて、独り立ちする年齢となるだろう。しかし、レリアは外の世界をほとんど知らないのだ。


「なあ……」


 呼びかけに皆がふり向く。けれど、その先が出てこない。


 何が心配なのだろうか。騎士団がレリアを守ってくれる。意思の疎通だって、今のレリアなら簡単だ。魔眼のことだって、下手な人攫ひとさらいに負けるほど、今のレリアは弱くない。


 ただ、自分の目の届かない場所に行く。それだけのことのはずだ。


 ランスの脳裏に記憶が蘇る。レリアをカラムに預けていた時のものだ。

 あの時は辛かった。いつまで続くのかと、不安で胸がいっぱいだった。

 でもどうだ。レリアは無事に帰ってきた。それどころか、あのあとから自分のことを少しずつ表現するようになった気がする。


「あー、セレナ。やっぱり……」


 エマニュエルが来てからはもっと劇的だった。あのレリアが我儘を言ったのだ。

 外の世界との触れ合いはレリアに自立心を与える。それは誇らしいことで、でも、寂しくもあり……。


 逡巡するランスの手を小さな手が握った。温かく、力強い、娘の手。


 レリアの指がランスの掌を撫でる。


[街に、行きたい]

「そうか」


 ランスは深く息を吸い、吐く。


「わかった。行って来い」


 レリアの目が輝き、セレナが飛び上がって手を叩く。


「ホント! やった! エマニュエル様。いいよね? ね?」

「ランスがそう言うならいいんじゃないかな。レリアもいいかい?」

(コクッ)

「よーし。なら、僕たちの城に招待しよう」

「わーい! 早速準備しなきゃね! 手伝ってあげる!」

(コクッ)


 二人の背中が家の中へと消える。その姿をランスとエマニュエルが見つめた。


「よかったのかい?」

「ああ、俺のエゴでレリアの選択を制限したくはない。森に籠もっているよりも街に出たほうが世界が広がる、はずだろう?」

「なら、僕の勧誘も受けてくれればいいのに」

「レリアがルシアンボネを気に入ったら考えるさ。俺がそっちで働くようになれば、レリアもそっちで働かざる負えないだろ?」

「……魔眼のことかい?」

「やっぱり気付いてたんだな」

「もう四年だよ。気付く機会も確かめる時間も十分あったさ」

「そうだよな。……レリアのこと、頼んだぞ」

「必ずここに帰らせると約束するよ。この命に変えてもね」


 頼もしくも憎らしい眼前の男。こいつさえいなければレリアと過ごす時間がもっと長く続いていただろう。

 いつまでも子離れはできそうにないなと、ランスは思った。

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