第17話


 レリアの声が出なくなって半月が過ぎた。皆が治療法を探すために奔走したが、見つかったのは精々が蜂蜜をなめるくらい。それも全く効果がなく、重たい空気が一家を支配していた。


「行ってくる」


 食事を終えたランスが仕事へと向かい、二人がそれを黙って見送る。

 寒空の下、舞い落ちる紅の葉は美しくもあったが、葉を失い、空っぽとなっていく様は物悲しくもあった。


 残った二人の間に会話はない。お互いがお互いを気遣っての沈黙が空気を冷たくした。



 夕日が世界を赤く染め上げる頃、不気味な程に完成した笑みの男を連れて、ランスが帰ってきた。


「ただいま」

「おかえりなさい。あら、ヴァーノンじゃない」

「ご無沙汰してます。一年ぶりですね」

「よくもまあ、毎年飽きもせずに同じセリフを……」

「すみません。時候の句をいちいち用意しておくのも面倒じゃないですか」

「そりゃそうだ。毎年この時期だもんな。さあ、入ってくれ」

「お邪魔します」


 ヴァーノンの姿を見たレリアはペコリと頭を下げた。


「ご無沙汰してます。一年ぶりですね」


 ヴァーノンはレリアの返答を待たずに話を続けた。


「昨年おっしゃっていたエマニュエルの件についてなのですが」

「変な噂でもあったか?」

「いえ、悪い噂は何も。それこそ、幼女趣味だけですよ。まあ、それもだいぶ尾ひれがついていたみたいですけど」

「ふむ」

「そうそう。彼のことを調べるついでに、色々と足を伸ばしたんですよ」


 ヴァーノンはいくつかの封筒を鞄から取り出した。


「それは?」

「実は、カスパールさん達に会ってきましてね」

「おお、アイツらに会ったのか。元気にやってたか?」


 ランスの顔が久方ぶり緩む。


「ええ、まあ。苦労はあるみたいですけどね。それで、皆さんから手紙を預かってきたんですよ」

「手紙か。何年ぶりに見たかな。こんなとこに住んでると受け取る機会も渡す機会もないからな」


 ナイフで手紙の封を切り、中身に目を通す。その後ろからマリーも覗き込んだ。


「近況が知れてよかったよ。離れたやつとも言葉をかわせるのは便利、だ、よ、な……」


 尻すぼみにランスの声が小さくなり、ピタリと動きを止めた次の瞬間、ランスは立ち上がり、大声を上げた。


「そうだよ! ヴァーノン! 紙はあるか? あるよな!?」

「え、ええ。帳簿用に―――」

「売ってくれ! いくらでもいい。できるだけ多くだ」

「それは構いませんが……。今持ってきます」

「ああ、なんで気が付かなかったんだ! そうだ、そうだよ。文字だよ。ああ、なんて俺は馬鹿なんだ」


 ランスの言葉を聞いて、マリーははっとした。瞳から涙が零れる。


「今あるのはこれが全てです」

「いくらだ? 今出せるのはこれだけしかないんだが、足りなければ後でいくらでも払う。なんとか用意する。だから頼む!」


 机に下ろした袋からは甲高い金属音と鈍く重たい音がした。


「出せるものはこれくらいしかないけど……」


 マリーは首からネックレスを外してヴァーノンの手に握らせた。ネックレスには小指の爪程の緑の石が嵌め込んであり、光の加減で渦巻く翼の紋様が刻まれているのが見える。


 ヴァーノンは笑顔が剥がれ、大きく目を見開いた。


「流石にそれはいただけませんよ。私も事情を知っていますから」


 なおも頭を下げ続ける二人にヴァーノンは続けた。


「商人にとってお金が大切なのは言うまでもありません」

「これじゃ足りないか? 今はないが、どうにかして用意するから」

「そうじゃないんです。最後まで聞いてください。お金は大切ですが、時間と信用も大切なんです。私は皆さんから、この全てを貰っているんですよ。だからお金は受け取れません」

「いや、だからってそんな高価なものを……」


 ヴァーノンが机に置いた紙の束は数百枚はくだらない厚さで、ランスの記憶では手持ちの硬貨では到底足りる額ではなかったはずだった。


「日々技術は進歩してるんです。昔ほど高価でもありませんよ。それに、昔と同じ値段だとしても私は皆さんからお金を受け取ることはできません」

「昔の恩があるからか? だけどそれは十分返してくれてるじゃないか。毎年物資を届けてくれて」

「それもありますが、それだけじゃないんです。この森を通過できることの意味を皆さんは知っていますか?」

「どういうことだ?」

「王都とルシアンボネ領の境に位置するこの森は商人にとって大きな障害でしかありません。直線であれば精々が三日程度の距離なのにも関わらず、この森のせいで大きく迂回して片道半月もかかるんですよ」

「あ、ああ。そうだな」

「はい。そして、この森を安全に通過できて、しかも宿まで用意されている。そんな販路を私だけが利用できるんです。もう、おわかりですよね? 私は皆さんから時間も、それに伴う信用も。何より莫大な富を貰っているんです。更にお金を取るなんて、怒られてしまいますよ」

「ヴァーノン、お前……」

「レリアさん。あなたの両親のお蔭で今の私があります。その人徳があなたを救っていることを忘れないでください。親孝行、してくださいね」


 レリアの頭を撫でるヴァーノンの眼はすべてを見通すような深い、深い青色だった。


「そうだ。丁度いいものがあるんですよ。色々と足を伸ばしていたら、とある職人と仲良くなりましてね」


 カバンから取り出したのはヒトの頭ほどの黒い箱。中央には穴が開いており、そこに硝子板がらすいたんである。


「光《》しき景切かざきりらしいです」

「らしい?」

「作った本人がそう言っていたので。何でも、風景を切り取る魔道具だとか。試作機らしいので格安で譲っていただきました」


 突然、黒い箱がピシャリと輝く。


「おお、いい感じに撮れてますよ」


 箱から取り出した板には、レリアにしがみつくマリーの背中と固い表情で立つランスの姿。そして中央に立つレリアの目には涙が溜まっていた。

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