第19話


「レリアちゃん! こっちこっちー!」

「こら、走っちゃだめだよ」

「はぁい」


 大理石の床に敷かれた燃える炎のように鮮やかな絨毯の上をセレナがレリアの手を引いて走った。もっとも本人は歩いているつもりらしく、その様子を大人たちは微笑み、あるいは苦笑いして見ている。中には険しい顔をする者もいたが、怒鳴り散らすようなことはなかった。

 レリアの視界は目まぐるしく変化した。石壁に武具が飾られていたかと思えばいつの間にか絵画に変わり、長い廊下がぐるぐると回る螺旋階段になったり、代わり映えのしない森とは全く違った。

 レリアはなんとなく前世の自宅に似ていると思った。


「ここが私の部屋だよ!」

(コクッ)

「ふう、随分と早い歩きだったね」

「えへへー」

「まったくもう……。隣が僕の部屋だから、何かあったらすぐに呼んでね」

(コクッ)

「じゃあ。アニエスの言うことをちゃんと聞くんだよ」

「はーい」

(コクッ)


 セレナの部屋は一言で言えば簡素。家具と言えば窓際に置かれたベッドとその横の小さな棚くらいのもので、私物と言えるものはなく、酷く広く見える部屋だった。


「さて、荷物を置いたらやる事は決まってるわね」

(?)

「お部屋で遊ぶー」

「違うわ。お風呂よお風呂」




 アニエスに連れられてきた城内の一角。脱衣所は四、五人が並べば手狭になってしまうような広さで、たいしたことはなかったが、その後がすごかった。

 森の木々がすっぽり収まってしまいそうに高い天井に、プールのような浴槽。立ち上る湯気が部屋いっぱいに広がり、真夏の森のような湿気が肌を撫でる。不快に感じないのは服を着ていないからだろうか。

 燦々さんさんと輝く証明が湯気に反射する中、レリアは、口をぽかんと開けて浴室を眺めた。


「どう? すごいでしょ。こんなお風呂滅多にないんだから」

(コクッ)

「お風呂だー!」

「ちょっと、セレナ! かけ湯をしてからにしなさい」

「あ、そうだった! レリアちゃん、こっちだよーって、あれ? レリアちゃんが消えちゃった!」

「もうかけ湯して浸かってるわよ」

「えっ! 早い! ずるい!」

「走ると滑るわよー」

「大丈夫だよー!」

「はぁ、子供は元気でいいわね。くっ、ふぅー。ああ、沁みるわぁ」


 ゆっくりとアニエスが風呂へと入り、その後にセレナがドボンと飛び込んだ。水飛沫を皆が避ける。


「レリアは初めてじゃないみたいね。森に温泉でも湧いてたのかしら?」

(?)

「え? ああ、かけ湯を知ってたから。個人でお風呂を持ってる人って少ないのよ? 大抵は公衆浴場で大混雑してるんだから。ここはお客様専用のお風呂場なの。レリアのお陰で私もゆっくり浸かれるってわけ。ほんと、レリア様様よね」

(コクッ)

「ふふ。ありがとう。あーあ、オルガにも声をかけてあげればよかった」

「いるわよぉ」

「うわぁ! い、いるなら先に声かけなさいよ!」

「レリアちゃんは気付いてたみたいだったから、あなたも気がついていると思ってぇ」

(コクッ)

「え、私が悪いの? これ」

「レリアちゃん、見てみてー。クラゲー」


 顔をしかめるアニエスの横でセレナが手拭いに空気をためて湯船に浮かべていた。


「あ、クラゲって知ってる? 海にいてね。ふわふわしてるのー」

「あんたクラゲ見たことあるの?」

「ないよー。エマニュエル様が教えてくれたー。あとはねー。みずでっぽー」

「わぶっ」


 セレナが不敵に笑い、レリアが避けると、逸れた水鉄砲がアニエスの顔面に当たった。


「セレナ、やってくれたわね」

「えっ、違うよ。レリアちゃんが避けたから」

「問答無用!」

「わー。オルガー。助けてぇー」

「あらあら、魔導騎士に魔法で挑もうなんて、私には無理よぉ」

「とか言いつつ、壁はしっかり貼るのね」


 オルガの水魔法が湯も巻き上げ、半透明の幕を作り上げる。不安定に波打つそれは、水の怪物のようにも見えた。


「だってぇ、こんな可愛い子にお願いされちゃったら、お姉さん、頑張らないわけにはいかないじゃない?」

「やっちゃえー、オルガぁー」


 アニエスの魔法が水球を作り出し、風が水壁を穿ち、蹴散らす。


「いい度胸じゃない。二人まとめて――」


 その時、扉がピシャリと勢いよく開いた。


「何騒いでるんですか! 廊下まで丸聞こえですよ!」

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