第14話


 三人が見ている前で、レリアの身体がゆらりと揺れた。倒れる前にランスがそれを受け止める。

 恐れていた事態の到来に冷や汗が止まらない。このまま目を覚まさなかったら、そう思うと身体が震えた。

 だが、そんなことよりも今は処置が優先だ。後悔なんて後でいい。


「先生!」

「わかっておる」


 魔力欠乏の際の処置はとにかく温めることが重要だった。欠乏によって下がった体温が内臓の機能を低下させ、そして、そのまま死に至るからだ。

 しかし、体温さえ確保できればあとは自然と魔力が回復して、何事もなかったかのように目を覚ます。


 そう、そのはずだった。


「む?」


 レリアの身体に触れたカラムの疑問の声に心臓がキュッと縮まる。

 押し留めていた不安が溢れそうになる。大丈夫だと言い聞かせてもレリアを抱く手が汗でじっとりにじんだ。


「変じゃのう。身体が暑い」


 その言葉にはっとする。

 腕を流れる汗。汗をかくほどに熱い、レリアの体温。

 何かがおかしい。そう思ったのも束の間、レリアの身体はみるみるうちに変化した。全身が腫れ上がり、皮膚が赤黒く染まっていったのだ。

 これは明らかに魔力欠乏の症状ではない。


「――――っ! ――っ! ――っ!」

「おい! レリア! しっかりしろ!」

「レリアちゃん!」


 声にならない叫びをレリアがあげた。何もできない自分がもどかしい。なぜ、こうなる前に気付けなかった? なぜ止めなかった? ただ、レリアを危険に晒しただけではないか。


「先生、レリアちゃんが! レリアちゃんは!」

「落ち着くんじゃ、マリー!」

「マリー! 今はレリアを信じろ!」


 支離滅裂な言葉を発するマリーをなんとか落ち着かせようと、二人で怒鳴る。いや、皆が皆に言い聞かせているのだ。

 誰もが落ち着いていられる状況ではなかった。だが、落ち着かなければ、正常な治療は施せない。そして、その考えがさらに混乱を助長した。


「レリアちゃん! レリアちゃん! 私が! だめ! 死んじゃ――」

「やむを得ん!」


 カラムの手刀がマリーの意識を奪い、ランスがマリーを抱き抱えた。

 壁に持たれかけさせたマリーの姿に、少しだけ冷静になれた自分が嫌になる。


「すまぬ」

「この状況じゃ仕方ない。それよりも、レリアの状況は?」

「むっ」


 レリアの声が途切れると同時、先生が唸り声をあげて叫ぶ。


「ランス、笛を!」

「わかった!」


 レリアがいつも持ち歩いている笛を取りに行く。ベッドのそばに置いてあるはずだ。

 それを見つけてカラムに手渡せば、カラムはそれをレリアの口に突っ込み、無理やり喉をこじ開けた。


 空気の漏れる音。膨張した身体が喉を圧迫して気管を塞いでいた。

 ランスは急いで口の中に魔法の光源を入れ、明かりを確保する。これくらいしかできることがない己の無力さに辟易へきえきする。


 しばらくして、カラムがふぅーと息を吐いた。こじ開けた喉に笛を固定できたらしい。

 しかし、安心はできない。今では皮膚の色は赤というよりも黒に近く、まるで、全身が鬱血うっけつしたかのようになっている。


「とりあえず、進行は止まったようじゃが、予断は許さん。腫れ上がった全身が血管を圧迫しとるようじゃ」


 レリアはいつもの二倍以上に膨れ上がり、目も、鼻も、口も、何処にあるのかわからない状態だった。

 ただの肉塊のようになってしまったレリアは、飛び出た笛から聞こえる空気の通過音で、辛うじて生きていることだけがわかるような状態だ。


「レリアは、儂が、命に変えても救ってみせる。じゃから安心するんじゃ」


 カラムはレリアの全身をくまなく押し撫で、血液の流れを止めないようにしながら、そう呟いた。

 珍しいカラムの根拠のない発言。しかし、ランスにはその希望にすがる他に術がなかった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「レリアちゃん……」


 眠るレリアの横で、マリーが思いつめた表情で座っている。あの日からずっとだ。片時も、レリアのそばを離れず、容態を見守っている。そして時折、呟くのだ。レリアちゃん、ごめんなさい、と。


「レリアなら大丈夫だ。俺たちの子だろう?」

「でも、私があのとき――」

「マリーだけのせいじゃない。俺も先生も必要だと思ったから、レリアに魔法を使わせたんだ。だから、マリー、お前だけのせいじゃないんだ」


 何度も繰り返したやり取り。だが、今のマリーには意味がない。

 しかしランスも、そう言わずにはいられなかった。


「峠は過ぎたようじゃの……」


 診察を終えたカラムの言葉にほっと胸をなでおろす。肌に赤みが残っているものの、レリアの身体は人型のそれに戻っていた。


「すまぬ。わしの見込みが甘かった」

「誰のせいでもないさ。レリアが無事だったんだ。それでいいじゃないか。レリアも直に目を覚ますんだろう?」

「それは……うむ。そうじゃな。直に目を覚ましてくれるはずじゃ」


 聞いたことない病状。初めて見る症状。カラムにとっても、手のうちようが無かった。


「やっぱり私のせいよ。私なんかが母親だから!」

「それは違う。お前が居なかったらレリアは生まれてこなかったんだ。レリアもお前が母親で良かったと思っている。この件は誰も悪くないんだ」


 自分に言い聞かせる。そうしていないと何もかもが崩れ去ってしまいそうだ。


「さて、交代でレリアをみよう。俺たちが倒れちゃレリアが目を覚ましたときに迎える人がいなくなっちまうだろ? 最初は俺が見てるから二人は休んでくれ」

「でも……」

「わしが先に見よう」

「先生は歳なんだから先に休んでくれ。マリーだって疲れてるだろ? 俺は体力に自信があるから。だから、ほら」


 ランスは半ば強引に二人を寝室へと押し込んだ。


 自分がしっかりしないといけない。自分が支えてやらなければいけない。その考えが重くのしかかる。


 レリアの乾いた唇に濡れた手ぬぐいを当てると、喉が動いた。大丈夫だ、生きている。


 レリアが目覚めることを信じて、ランスはその手を握り続けた。

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