第2話 狼さんに癒される
日没と同時くらいに小屋の前に着いて、どうしたものかと考える。
まず、馬は外につないでおいて明日売ることにした。管理しきれない。
第三層には小動物くらいしか住んでいないから、外に出していても襲われることはない。
狼は、ひとまず治療をしたいんだけど、檻から出して大人しくしてるかなあ。
「狼さん、怪我を治療したいんだけど、いいかな」
動物というのは案外、人間の言っていることを理解する。
おそらく表情や声のトーンなんかを読み取ってると思うんだけど。
ただ、それもずっと一緒に過ごしてるペットだから通じ合うんであって、野生の獣には難しいよね。
ましてや狼。
狼の生態には全然詳しくないけど、犬と同じく強い者に従う習性があるんだろうなと思う。逆に弱い者相手なら自分が主になろうとする。
日本にいたときに飼ってた白い柴犬のしろちゃんもそうだった。お父さんには絶対服従だったし、私はなめられていた。
私みたいな弱っちい人間がこの狼の上に立つなんてできっこない。
下手をしたら食い殺されてしまうかもしれない。
でも、この狼からは何故か知性を感じる。
どうしてかわからないけど、私の言ったことを理解してくれる……気がする。
「檻を開けるね。あなたに悪いことをしたりしないから、家の中に入ってくれるかな」
おそるおそる、檻を開ける。
怖がるのはよくないとわかっていても、この大きさだから怖いものは怖い。
狼はのそりと檻から出ると、私の言ったことを理解したように開けてあったドアから家の中に入った。
ああ、大きな足跡が……土足禁止の家なんだけどしょうがない。あとで拭いておこう。
狼はのそりと床に横になった。
やっぱり体調が悪そう。
「薬を塗るから、ちょっと待っててね」
棚から傷薬を出す。
痺れはどうしよう。死ぬような毒は使わないよね、毛皮も痛んじゃうし。
さっきおじさんに痺れ薬の種類を聞いておけばよかった。
人づきあいが下手だと、こういうところが抜けている。
でも、このあたりで流通してる痺れ薬ならサイサの根から作ったもののはず。
たしか、それの解毒薬が……あった。
「薬を塗るね」
血がにじむ後ろ足に傷薬を塗り込んで、包帯を巻く。
そんなに傷は深くないみたい。よかった。
痺れ薬の解毒薬は、狼の適量がよくわからなかったから少なめに水に溶かして飲ませた。
わあ、舌が長い……水を飲む姿がかわいい。
それにしても、本当に綺麗な毛皮。
銀色にきらきらと輝いていて、首から胸元にかけてはモッフモフのふわっふわで。
さわっても、怒らないかな。
「さ、さわってもいい?」
水を飲んでいた狼が顔を上げる。
どうぞと言わんばかりに目をつむって頭を下げた。
まるで人間の言葉がわかってるみたい。
「失礼しまーす……」
う、わあー。
ふわふわで柔らかい!
首筋をモフモフなでなでしてると、ぱたぱたと尻尾が動いた。気持ちいいのかな?
「ほんとにふわふわ。あったかい……」
全財産使っちゃってバカだよなーって思ってたけど、こんなきれいな狼を助けられたなら良かったのかも。
思わず首筋に抱き着いてしまうと、狼がぴくりと動いた。
嫌だったのかな? でも尻尾はまだふりふりと横に動いてる。
「狼さん、ありがとう。久しぶりに夜が寂しくないよ」
口に出して、あらためて気づく。
そっか、私は寂しかったんだ。
見知らぬ世界に落ちてきて、知らない人ばかりで。
でも優しいオルファがいてくれたから頑張ってこられた。
そのオルファも死んでしまって、一人で森の奥で暮らす生活にも慣れたつもりでいたけど、自分の寂しさから目を背けていただけだった。
狼がぺろりと頬を舐めてくれる。
「なぐさめてくれてありがとう」
狼からそっと離れて、汚れていた肉球を布で拭く。
肉球、硬いし大きい。でもかわいい。
それにしても、あらためて見るとほんとに大きな狼だなあ。
狭い家だからという理由もあるけど、家の中に入るとより大きく見える。
それに、すごくきれい。
狼の顔の美醜はよくわからないけど、顔立ちも整っている気がする。
それに、この青い瞳。光の加減によって黒にも深い紫色にも見える、神秘的な色。
こんなきれいな狼だもん、高値で取引されちゃうよね。
でも、この狼をどうするのが正解なんだろう。
迂闊に放すとまた捕まってしまう。
「これからどうするかは、明日一緒に考えよう? お腹すいてない? これ食べるかな」
昼間買ってきた生肉を勧めたけど、食べなかった。
「そっか。私も疲れたし、夕食はいいや。じゃあおやすみ。また明日」
そう言って、寝室のドアを開ける。
狭い部屋に、ベッドが二つくっついて置かれている。
一つは私の。もう一つはオルファの。
オルファのベッドはずっとそのままになっている。撤去が大変という理由もあるけど、このベッドが無くなってしまうのがなんとなく悲しくて。
主のいないベッドは、よけいにもの悲しさを誘うものではあるんだけど。
ドアを閉めようとすると、狼がぬるりと入ってきた。
「えっ、狼さん。こっちで寝るの?」
随分と人懐こい狼なんだ。
もしかして、野生じゃなくて誰かに飼われてた子だった?
ありえる。
賢いしきれいだし、お金持ちに飼われててもおかしくないよね。
「狼さんにはご主人様がいたのかな?」
狼がちらりと私を振り返って、フン、と鼻をならした。
そして当たり前のような顔でオルファのベッドの上に乗って寝転がる。
「え、ええー……。うーん、でもまあいっか。もうそのベッドは使わないし」
オルファもまさか自分のベッドを狼に使われることになるとは思ってなかっただろうけど。
でも冬も近いから夜は寒いし、一緒に寝るのは温かそう。
「おやすみ、狼さん」
ベッドに横たわって、布団をかける。
視線を横に向けると、銀色の大きな背中が目に入った。
ちょっとずつ近づいてくっつくと、狼さんはぴくりと動いた。
でも、逃げたり嫌がったりはしない。
温かくて気持ちいい。
久しぶりに、誰かの温もりに触れながら眠れる。
眠気はあっという間に訪れて。
その日は、久しぶりにオルファに撫でてもらった夢を見た。
翌朝目を覚ますと、ベッドに狼の姿はなかった。
リビングにもいない。
逃げた……? かけておいたはずの鍵は、なぜか開いてる。
慌てて小屋から飛び出した。
外に繋いでおいた馬は昨日のままで、のんびり草を食んでいる。狼に食べられてしまったかと思ったけど、よかった。
そのまま森の中を少し探したけれど、見当たらない。
第二層まで出てしまったらまた猟師に捕まってしまうかもしれない。
結局狼は見つからず、私は重い気持ちを引きずって小屋の前に戻った。
「お馬さん、あなたを町に戻すね。ついでに町で狼さんのことを知ってる人がいないか見てこよう」
馬に檻を引かせながら町へ降りて猟師協会に行くと、昨日のおじさんがいて馬も檻も買い戻してくれた。
昨日のやつは元気か? と聞かれて、少なくともこの辺りの猟師に捕まったんじゃないとわかる。
少しほっとした。
そのまま町をうろつくけど、狼の噂は聞こえてこず、私は小屋へと戻った。
小屋の扉は鍵を開けていったけど、中にはやっぱり誰もいなかった。
「逃げちゃったかぁ」
たった一晩一緒に過ごしただけなのに、なぜだかひどく寂しく感じられる。
また、一人になっちゃった。
じわりと涙が浮かんでくる。
だめ、泣く資格なんてない。好んで一人の生活をしてるんだから。
ローブを脱いで壁にかけたとき、外で物音がした。
慌てて外に飛び出すと、木々の間に銀色の影が見えた。
ああ、狼さんだ。
「狼さん、帰ってきてくれたんだね」
狼が小屋の中に入ってくる。
私はそのふわふわの首筋をぎゅうっと抱きしめた。
ふと顔を上げると、口の端に血がついている。
あ、もしかして、狩りをしてたの?
「ごはん食べてきたの?」
狼がふい、と顔をそらす。
聞かれたくないのかな。
ほんとうに不思議な狼。
それからの毎日は、私にとって幸せだった。
昼間は狼と一緒に薬草とりや薬づくり。
夜は一緒に眠る。
特別何かがあるわけじゃないけど、一緒にいる時間がとても大切に思えた。
狼さんは一日に何回かふらっと小屋から出ていく。けれど、必ず帰ってくる。
どうやら排泄や狩りをしているみたいだと、最近わかった。
排泄まで外でしてくれるなんて、なんて賢い狼。
私が着替えてると慌てて目をそらすとか、妙に人間くさい時まである。
中に人間が入ってたりして?
……なんて。
まさかね。
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