第25話 恐怖の時間
馬に乗っていた時間は、そう長くはなかったと思う。
どこかの森に入って行って、馬が止まった。そこで「起きろ!」と乱暴に揺り起こされる。
そろそろ薬の効き目が切れる時間のはずだから、言われたとおり起きた。
暗い森の中。周囲には盗賊が数人。
一瞬、ここで殺されるのかとぞっとしたけど、それは違うと自分に言い聞かせる。
殺すならあの場でダンさんと一緒にそうしていたはず。売るために連れてきた。
ここで人身売買の取引が行われる……わけでもなさそう。
馬から降ろされ無理やり歩かされて、大木の裏にひっそりと隠れた洞窟の入口のようなところに連れていかれる。
馬がギリギリ通れるくらいの高さ。もしかして、いわゆる盗賊のアジト?
怖い。どういう扱いを受けるんだろう。
怯える私を見て、私の横の盗賊が楽しげに笑う。さらに後ろから、馬を引いた盗賊がゾロゾロと入ってきた。
中は緩やかな下り坂になっていて、しばらく歩くとうっすら明るくなってきた。
私の顔くらいの大きさの月光石があちこちに置いてあって、淡い光を放っている。
壁に埋まっているものもあって、もしかしてここは月光石の採掘場かなにかだったんだろうか。
狭い通路をどれくらい歩いたのか、少し広い場所に出た。
そこから正面と左右に通路らしきものが伸びていて、馬は正面へ、私は右側へ連れていかれた。
途中いくつか布で仕切られただけの部屋らしきものがあって、何人かが顔を出して私をニヤニヤ見ていた。
通路の突き当りには格子で仕切られた牢のようなもの。
その中に、若い女性が十人ほど座っていた。
「ここに入ってな」
突き飛ばされるようにその中に入れられて、鍵を閉められる。
女性たちは一度顔をあげたけど、再度うつむいた。
皆若い、おそらく十代の子たち。一番若い子だと十二歳くらいの子もいる。きれいな子ばかり。
静かに泣いている人もいれば、無気力な顔をしている人もいる。殴られたようなあとがある女性もいて、背筋が冷える。
治療してあげたいけど、薬が入ったウエストポーチは馬車の陰に置いてきてしまった。
少しでも状況を把握したくて、辺りを見回す。
鉄格子じゃなく雑なつくりの木の格子だからきっとみんなで体当たりでもしたら壊れるんだろうけど、すぐそこに見張りも二人いるしアジト内には盗賊が何人もいるから、そんな無謀なことはできない。
自力では、逃げられない状況。
帰宅して私がいないことに気づいたシルヴァンさんがここを探し当ててくれるかもしれないというわずかな望みだけが、正気を保たせてくれた。
いくら彼が騎士団長でも、盗賊を見つけて退治してくれるのを当たり前だとは思わない。
危険な目にあわせてしまうかもしれない。
でも、彼に助けを求めるしか、私にはできなかった。
「あーあ、女を前にして何もできねぇとはな」
見張りの男が酒を飲みながら言う。
「我慢しろ。生娘は高く売れるんだ、手ぇ出したら値が落ちちまう。まあそうじゃないのも混じってるかもしれないから、つまみ食いできるかもしれないぜ」
ギャハハハ、と下品に笑う声にぞっとする。
周囲の女の子たちも震えている。
いずれにしろお頭の指示があるまで待て、という言葉に少しだけ力が抜ける。
売られるとしても、今日じゃないはず。
夜明けまでにここを見つけてもらえれば、きっと助かる。
大丈夫。
おとなしくしていれば、きっと。
そう、思っていたのに。
「おい、黒髪の女。お頭がお呼びだ、こっちに来い」
――どうして。
格子の扉が開けられて、引きずり出される。
どうして。どうして。
なぜ私だけ呼び出されたの。
もう売られる? それとも……。
引きずられるように歩かされて、蟻の巣のようなアジト内をどこをどう歩いたのかも覚えていない。
とある部屋の入口まで来たところで中に向かって突き飛ばされ、数歩よろけて歩いて膝から転ぶ。
背後で扉が閉められた。
毛皮が敷き詰められた、ほかとは違う雰囲気の部屋。
真ん中に「お頭」らしき男と、その左右に男が一人ずつ。
恐怖のあまり、声すら出ない。
あたまが、いたい。
「これはお前の荷物だよな?」
お頭の手には、馬車の下に隠したはずのウエストポーチがあった。
盗賊の誰かに、拾われてしまった。
中にはお金とハンカチ、しびれ薬を丸めたもの、魔法薬の傷薬がふたつ、胃腸薬、頭痛薬、包帯。
「なんでこんなに薬ばかり持ってる? 馬車の中にあったというリュックも植物しか入ってねぇし」
答えられない。
買ったものだと言うには薬ばかりが多すぎる。
「お前、まさか魔女か?」
「……ちがい、ます。薬師です」
「ほぉ~、薬師ねえ」
そこで初めてお頭の顔を見る。
三十代半ばくらいの大柄な男で、頬に大きな傷がある。たぶんだけど、馬車を襲撃した中にはいなかったと思う。
その表情は、薬師という私の言葉を疑っているように見えた。
魔女だと知られてしまえば厄介だから、ポーチを隠してきたのに。どうしたら。
「お前毒薬を作れるか?」
「……!」
毒矢を使う盗賊団。
あんな猛毒は普通に売っているわけがないし、単に植物や動物から抽出したにしては効果が強すぎる気がしたから、誰か毒薬を調合している人間がいると思っていた。
まさか、その役割を私に?
「つ、作ったことありません……」
「だが作れるだろう、薬師なら。調合の分量を記したものもある」
「……」
どう言うのが正解なの?
わかりました、調合します、だから命だけはと言って時間を稼ぐ?
「どうも色々隠してそうなお嬢ちゃんだなあ。だが、毒薬を調合してるジジイがそろそろくたばりそうなんだ。お嬢ちゃんに協力してもらえればちょうどいいんだがな」
「いい考えですね、お頭。毒薬も作れて若い女となれば、一石二鳥じゃないですか」
「どうせ売り物にはしないんだから、好きなようにできますね」
その言葉が意味するところを理解して、頭の中が恐怖と絶望で占められる。
「大事な薬師だ、お前らに好き放題されて死んだり壊れたりしちゃ困る。だが、そうだな……。お嬢ちゃんが何か危ない薬でも持ってないか、ひん剥いて調べるか。そうすりゃ少しは素直になんだろ」
男二人が近づいてくる。
自分が悲鳴をあげたかどうかも、もうわからなかった。
その場に引き倒され、一人が私の頭の上で腕を押さえて、もう一人が私にまたがるように乗って外套に手をかけた。
「い……や! 嫌!!」
私の叫び声に、男たちが醜悪な笑みを浮かべる。
こんなのいやだ。
どうして何度もこんな目に。
こわい。たすけて。誰か……シルヴァンさん。
外套のボタンがはじけ飛ぶ。腕を押さえていた方の男が、外套を引っ張ってずるずると脱がせた。
いやだ。こんなのいやだ。絶対に嫌だ!
ふいに、右手の中指に意識が行く。シルヴァンさんからもらった指輪。
――これは、悪手だ。
状況は良くならないどころか、悪化する。
わかってる。わかってるけど、このままこの男たちに好きにされたくない。
ナイフが襟元から差し入れられて、ビリビリと嫌な音を立て始めたそのとき。
私は指輪のガラス玉の部分を親指で強く押して、腕を押さえている男の太ももに指輪を押し当てた。
「って。なんだ?」
私が指輪をあてた部分を、男が見下ろす。
「おい女、何しやがった」
「どうした?」
「いや、なんかチクッと……」
そこで言葉を切った男が、私の腕から手を離した。
「なんら、力が、はいらね……」
そのまま男は倒れこむ。
目は開いたままだけど、がくがくと小刻みに震えていた。
「なんだ!? ……この指輪か!?」
私の服を引き裂こうとしていた男が、私の指輪に視線をやる。
指輪からは、小さな針が出ていた。
その針に仕込んであったのは、……魔法薬のしびれ薬。
「おい、何をしやがった! なんだこの指輪は!」
私の手首をとらえて、指輪を引き抜こうとする。
「待て! 不用意に触るな!」
「え? あ……」
指輪から再び針を出す。
男が私に殴りかかろうとしたけれど、そのまま倒れた。
あわてて身を起こしてその場から逃げようとしたけれど、当然のごとくお頭に捕まった。
乾いた音とともに頬に衝撃が走って、一瞬目の前が暗くなる。
気づけば毛皮が目の前にあって、殴られて床に倒れたのだとわかった。
さらに手首に痛みが走る。
顔を上げると、右手首が踏みつけられていた。
「やるなぁ、お嬢ちゃん。さて、これをどうしようか。指ごと切り落とすか」
ああ、やっぱり。
こうなることは目に見えていた。
痛い。怖い。針は……もう出ない。指輪に仕込む針と薬は、二回分で限界だったから。
そもそもこれは不意打ち用。たとえ針が三本だとしても、もう一つ指輪を持っていたとしても。そう何度も通用する手じゃないから意味がない。
「とはいえ、大事な薬師……いや魔女の手だ。指輪のこの形状なら、針は二本で限界だろ」
魔女だとばれてしまった。
たしかに、あんな少量で人間を一瞬で麻痺させるような薬は、魔法薬しか存在しない。
そういう知識がこの男にはあるんだ。
男が腰のあたりからピッキングに使うような細いかぎ状の道具を取り出す。それを指輪に引っ掛けて、抜いた。抜くときに道具が私の指を傷つけて血が出たけど、もちろん男はお構いなし。
男は自分が巻いていたスカーフのようなものを外して、それで私の両手を後ろで縛った。
「これで悪さはできねぇな。さて、お前をどうしようか」
悪さ?
二人がかりで女を押さえつけさせた男に、悪さなんて言われるなんて。
無理やり上半身を起こされる。
「魔女なんて貴重なもんを、殺すわけにはいかねぇなあ。とはいえ、二度と逆らえねえようにしなきゃな。このままお前を外のやつらの中に投げこんでやるか。さぞ喜んで食いついてくるだろうさ」
「……」
胸元まで切り裂かれた服を見下ろしながら、男が言う。
死んだほうがましと思えるような目にあわされるのかな。
どうしてこんなに身勝手な欲望が存在するんだろう。
私は、物じゃない。道具じゃない。……悔しい。
「なんだ、泣いてるのか。ああくそ、かわいいな。他のやつらにくれてやるには惜しいなあ。もう逆らわないなら、オレだけの女にして他の男には触れさせないぞ。さあどうする?」
大差ない。
どっちに転んだって道具のように扱われる。
やっぱりいやだ。気持ち悪い。こんな男に触れられたくない。
どうして私にはなんの力もないの。どうして力がなければ好き勝手されてしまうの。弱いのが悪いの?
「答えないか。なかなか強情だな」
その場に押し倒され、男がのしかかってくる。
絶望が、全身を支配した。
せめてこの男の顔を見たくなくて、目をつむる。涙がいくつも流れ落ちた。
瞼の裏に浮かぶのは、私を見つめる優しい青い瞳。淡く輝く銀色の髪。
涙は、止まってはくれなかった。
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