第27話 決意
あとは任せておいてくださいというアレスの言葉に甘え、俺はリナを家に連れて帰った。
リナの様子を見て、使用人たちが顔色を失う。
狼だから指示はできなかったが、言われなければ何もできない人間は雇っていない。それぞれがリナのために動いた。
アニーがリナを部屋に連れていく。リナは憔悴した様子で階段をのぼって行った。
しばらくするとアニーが降りてきて、涙を流しながら「リナ様は熱があるようです」と言った。
あの様子からすると毒ということはないだろうが、精神的なものだろうか。
執事が手配した医師が到着する頃には、俺も人間に戻っていた。医師が言うには、やはり心が疲弊したため熱が出たのだという。
頬の傷は冷やすだけでいい、ゆっくり休めば熱も下がるということだったので、医師を帰した。
そして今。
リナはベッドの上で眠っている。熱もさらに上がってしまったようだ。
俺はベッドから少し距離をとって椅子に座り、眠る彼女を見ていた。
扉は開けっ放しでアニーがたびたび出入りするとはいえ、本来なら男がこの部屋にいるべきじゃない。男にひどい目にあわされたというのに。
だが、心配で心配でリナの様子を見ていないとどうにかなってしまいそうだった。
縁起でもないが、もしかしてこのまま目を覚まさないのではないかという不安が何度も頭をよぎる。
うなされている彼女の手を握りたかったが、それは俺のただの身勝手な欲だ。
この部屋にいるだけでも許されざることなのだから、せめて距離はとらなくては。
「シルヴァン、さん……」
消え入りそうな声で呼ばれて、心臓が跳ね上がる。
驚いて彼女を見るが、目をつむったままだった。
寝言なのか?
「リナ……。アニーを呼ぶか?」
そっと呼びかけると、彼女は目を開いた。だが、どこかぼんやりとしていて、夢を見ているようだった。
「勝手に部屋にいてすまない。俺は近寄らないし、すぐに立ち去る。アニーを呼んでこよう」
「ひとりに、しないで……」
リナがか細い腕を俺に向かってのばす。
心臓が早鐘を打った。
これは、俺の都合のいい夢か?
それとも彼女が夢を見ているのか。
「もう、ひとりぼっちはいや。怖い。寂しい。そばにいて……」
ささやくような彼女の声が、俺の心をさらっていく。
「俺が側にいていいのか?」
「そばにいて、おねがい……」
俺に向かってのばされたその手をとる。
そっと握ると、リナは安心したように目をつむって再び眠りに落ちた。
高熱のせいで、夢と現実の区別すらついていなかったのかもしれない。
心が乱れていて、ただ近くにいた俺にすがっただけかもしれない。
けれど。
この感情をどう呼べばいいのだろう。
苦しいほどに胸を締めつける、この感情を。
俺の手の中の華奢な手をそっと持ち上げて、その甲に口づける。
「リナ、愛してる」
そんな言葉が、するりと口から出た。
好きという言葉では足りない、彼女のためなら命すら捨てても構わない。
俺の心は、すべてリナに持っていかれた。
彼女を傷つけるすべてのものから守りたい。もうつらい思いはさせたくない。
幸せにしたい。一緒に幸せになりたい。
「もうひとりぼっちになんて、絶対にさせない」
寝息をたてる彼女の耳に、この言葉は届かないだろう。
だがそれでいい。今は何も考えずにゆっくり休んでほしい。
そして、リナが元気になったら……。
握った手がぴくりと動いて、俺の意識が浮上する。
どうやら俺も椅子に座ったまま眠ってしまっていたらしい。
あの後、椅子をベッドの近くまで移動させて、ずっとリナの手を握っていたんだったな。
顔を上げると、彼女が真っ赤になって驚いた顔をしていた。そしてそーっと手をひっこめる。
ああいつものリナだと苦笑する。
けれど俺を怖がっている様子がないことにほっとした。
「体調は?」
「あ……大丈夫です。昨日、私……熱が出たんでしたっけ」
「ああ」
「ついていてくれたんですか。すみません……」
頬を赤くしたままうつむく。
いつものリナもやっぱりかわいい。
「昨日は本当にありがとうございました。ちゃんとお礼も言えずにすみません」
「リナのおかげで厄介な盗賊を捕えることができたんだ。礼も謝罪もいらない。むしろ、もっと早く駆けつけられなくてすまなかったと思っている」
「そんなこと。来てくださって本当に感謝しています」
このままこの話を続けるとリナが気を遣いそうだな。
思い出したい話でもないだろうし、そろそろやめよう。
「俺はそろそろ出勤する。リナはゆっくり休むといい。ところで」
「はい?」
「昨日の夜、熱を出していた間のことは……憶えているか?」
彼女が首を傾げる。
「ベッドに入るまでは憶えてるんですけど、そのあとはなんだか夢を見ていたようで……私、何か変なことをしましたか?」
「いや、そんなことはないよ。今は何も考えずゆっくり体力を回復させてくれ」
「はい」
覚えていない、か。
予想通りといえば予想通りだ。
だが、落ち込むのはやめよう。
リナが覚えていなくても、なかったことにはならないのだから。
詰所について団長室に入ると、さっそくオスカーからお説教をくらった。
いくら君でも無茶しすぎだ、ほかの騎士を待ってから突入すべきだった、アレスとライアスのことも危険な目にあわせた、と。
騎士団長として正しくない行いをしたのだから、甘んじて受け入れた。
だが、後悔はしていない。
アレスとライアスに無茶させたことだけは反省しているが、あそこで突入しなければリナはもっとひどい目にあっていた。
そんな俺の様子を見て、オスカーは深いため息をついた。
「これ以上は言っても無駄そうだね」
「反省はしている」
「でも後悔はしていないんでしょう?」
「よくわかったな」
「はぁ……」
「すまないな、いつも心配をかけて。だが厄介なファントムを討伐できたんだ、結果オーライとしてくれ。アレスは地下か?」
「そうだよ」
「行ってくる。出動の準備を整えておいてくれ」
「……了解」
諦め顔のオスカーが団長室から出ていく。
俺も出て鍵を閉め、アレスのもとに向かった。
地下にある分厚い鉄扉の前でしばらく待っていると、アレスがそこから出てきた。
「ああ団長。そろそろ来る頃だと思ってました」
アレスは制服ではなく、黒い服に黒の革手袋、黒いズボンという服装だった。
ここに入るときはいつもそうだ。白い制服では返り血が目立つからな。
実際に、むき出しの腕や頬などあちこち血がついている。目立たないが服にもついているんだろう。
「成果は?」
「上々です。二人はわりと簡単に吐きました。頭目はなかなかしぶとかったんですが、しょせん盗賊ですから」
「生かしてあるな?」
「もちろん。少しみっともない姿になりましたが、公開処刑を待たずに死ぬようなことはありませんよ。だから団長はこの部屋には入らないでくださいね。せっかく殺さないよう頑張ったのに、あっさり団長に殺されちゃたまらない」
「そんなことはしないさ」
「切り落とすのも駄目ですよ。それも死ぬ可能性がありますから」
「わかっている。ここには入らない」
アレスの努力を無駄にするようなことはしない。
やつらをズタズタにしてやりたい気持ちはあるが、わざわざこの部屋に入ってそれをやるほど馬鹿じゃない。
「残党についての詳細はこの通りです。残りのやつらは別のアジトにいるみたいで幸運でした。今夜北に移動して落ち合う予定だったようですから、今日中なら残党を狩れるでしょう」
あくびをしながら、アレスがメモを渡してくる。
「ご苦労だった。残党狩りには参加せず休んでいてもいいぞ」
「腹減ったし眠いしそうさせてもらいます。風呂に入ったら仮眠してますんで、あとはよろしく」
もう一度あくびをしながら、アレスが階段を上がっていく。
夜通し仕事をしていたから眠いだろうな。
あらためて、アレスは騎士団に必要不可欠な男だと思う。
頭目その他を討伐したことに気づかれる前に、すぐに騎士団を率いて残党のアジトを包囲し、ファントムを壊滅させた。
居所がわかっていれば、盗賊ごときを討つのは容易い。
王太子殿下に報告すると、たいそう喜ばれた。また報奨金が出るらしい。
俺の給与は使用人の給与と生活費でほとんどなくなる程度だが、報奨金が大きい。税収があるわけでもない俺が豊かな暮らしをしていられるのも、そのおかげだ。
老後に向けて貯金もしているが。
金獅子騎士団の騎士には相変わらず泥臭い仕事をしているなと悔しそうな顔で嫌味を言われたが、どうでもよかった。勝手に華やかな仕事でもしていればいい。
殿下にも申し上げたが、今回のことは俺ではなくリナの手柄だ。彼女がつらい思いをしたから得られた手柄。やはり素直に喜ぶことができない。
リナは俺に与えられてばかりだと思っているようだが、それは逆だ。
狼として死ぬ運命を救ってもらい、穏やかで温かな時間を与えてもらい、その上手柄まで。
彼女に報いたい。いや、幸せにしたい。彼女がずっと笑顔でいられるように。
――もう、ひとりぼっちはいや。怖い。寂しい。そばにいて……
人に頼ったり甘えたりすることが苦手なリナが言った、あの言葉。
朦朧としていたからこそ口から出た、彼女の隠された本心だろう。
俺もいつまでも言い訳はしていられない。彼女に出ていかれることに怯えている場合じゃない。
そろそろ、覚悟を決めよう。
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