第28話 どうしちゃったんだろう
朝の光が降り注ぐ中、私はベッドサイドの鏡を見る。
うん、頬の赤みもひいたみたい。殴られたのが拳じゃなく平手でまだ良かった……かな。
熱も下がったし今日は出勤しよう。
それをシルヴァンさんに伝えたら、反対された。予想はしてたけど。
仕事をしていたほうが気がまぎれるしカレンさんにも会いたいと伝えると、渋々納得してくれた。
いつものように一緒に家を出たけれど、シルヴァンさんはずっと手をつないで歩いた。
あんなことの後だから心配してくれたんだろうけど……門番さんにはニヤリとされてしまうし、恥ずかしい。
さすがに詰所の近くになると手を離して、医務室まで送ってくれた。
医務室に入ると、カレンさんが駆け寄ってきた。
「リナ、出勤して平気なの? もう痛いところはない?」
「はい。もう大丈夫です」
「そう。それならいいの……」
カレンさんは私になんて声をかけていいのかわからない様子だった。
同じような目にあったことがあるから、よけいにそうなのかもしれない。
仕事の準備をしながら、私はぽつぽつと話し始めた。
「私……盗賊にさらわれて、男二人に押さえつけられて、乱暴されそうになったんです。そして四年前と似たような状況になりました。シルヴァンさんのお陰で未遂でしたけど……」
「……」
「私、四年前のときは、何日も家から出られなかったんです。男性と話すこともしばらくできませんでした。でも、今回はこうして職場にまで来ることができました」
「どうして?」
「きっと、シルヴァンさんが“勇敢だった”って言ってくれたからだと思います。立派に戦った、身勝手な男に打ち勝った、と。それを聞いてうれしくて泣いてしまいました」
カレンさんが目にうっすら涙を浮かべながら微笑む。
「それで気づいたんです。私、怖くて気持ち悪かった以上に、悔しかったんだなって。女性を物みたいに扱う身勝手な人間相手に何もできず、最後には抵抗すらあきらめてしまったのが、悔しかったんだって。でも、彼に無力な私でもちゃんと戦えたと認めてもらえたことが、何よりうれしかったんです」
「リナは立派よ。えらかったわ」
「ありがとうございます」
私も泣きそうになってくる。
胸が温かい。
もちろん、抵抗したっていつも上手くいくとは限らない。相手を無駄に逆上させる可能性だってある。一昨日だって、シルヴァンさんが来てくれなければ悲惨なことになっていただろうし。
それでも、胸のつかえがとれたような気持ちになった。
男性がまったく怖くなくなったわけではないとは思うけど、それでも。
「それにしても、団長はリナのことをよく見ていて、リナのことが本当に大切なのね」
「えっ!?」
カレンさんのその言葉に、心臓が大きく跳ねる。
彼女は楽しげに笑うだけで、それ以上は何も言わなかった。
心臓がドキドキしてる。
……どうして?
とそこで、入り口から「失礼します」と二人の女性が入ってきた。
一人はミーナさん。もう一人は、この間私に「惚れ薬でも使ってるの?」と聞いてきた茶色の髪の女の子。
「こんにちは、ミーナさん。それから……」
気の強そうな茶色の髪の女の子が、思いっきり頭を下げた。
「エレナと言います。この間は失礼なことを言って本当にすみませんでした! 妹を治療してくださって心から感謝してます!」
あ、姉妹だったんだ。
髪の色も違うしあまり似ていないからそうだとは思わなかった。
「顔を上げてください。気にしてないし大丈夫ですよ」
カレンさんが「だいたい想像つくけど、お人よしね」と小さな声で言った。
「それよりもミーナさん、包帯をとって見せてもらえますか?」
「はい。お願いします」
ミーナさんは診察用の椅子に座り、包帯をほどく。
思ったよりも経過は順調で、まだまだ赤くなってはいるけど水ぶくれはなくなっていた。
「順調ですね。跡に関してはまだなんとも言えませんが、治りは早いようです。今回作った薬を使い終わったら、少し効果を弱めたものに変えていきましょう」
魔法薬は効果が強いから、あまり長々と使い続けるのは体に負担になる。
「ありがとうございます。もう痛くないし、本当に治りも早くて。ありがたいです」
「効果が出なければ払わなくていいとのことでしたけど、支払わせてください。本当にありがとうございます」
エレナさんは借りを作るのが苦手なタイプなのかな。
お金をもらわず高価な薬で治療するというのは、施しを受けているみたいで落ち着かないのかもしれない。
それなら、ちゃんと受け取ろう。
「わかりました。では少しずつでもいいのでお願いします」
「はい!」
ミーナさんに今日の分の薬を塗って、二人は帰っていった。
「魔女ってすごいのねえ。尊敬しちゃうわ」
「そんな。私が自分で考えた薬なんてほとんどないんです。師匠から受け継いだだけですから」
カレンさんが再び何かを言いかけたところで、入り口から何か大きなものが飛び込んできた。
そして流れるような動きでその場に土下座する。
「えっダンさん!?」
「何してるの、ダン」
「リナちゃん、すまなかった! 本当に申し訳ない!」
私が盗賊にさらわれたことを気に病んでるんだ。
私はダンさんの近くにいって膝をついた。
「ダンさん、お願いですから立ってください。何も悪いことなんてしてないんですから。それに私はこの通り無事です。それより、ダンさんが元気になってよかったです。体のどこかに痺れが残ってたりしませんか?」
「オレはもう何の問題もない。リナちゃんのおかげだ。リナちゃんを守れなかったオレにそんな優しいことを言ってくれるなんて……」
ダンさんが床に座ったまま顔を上げる。
その目がうるんでいて、その体の大きさとのギャップに戸惑う。
「私用で付き合わせてあんなことになって、かえって申し訳なく思います」
「引き受けた以上は守り切るのが当たり前なんだ。本当に申し訳ない」
「いえこちらこそ」
「永遠に申し訳ない合戦になるから、ダンは帰って」
カレンさんがさらりと告げる。
でも、たしかにそうかも。
「わかった。リナちゃんの負担になりたくないから帰る。リナちゃんは命の恩人だ、困ったことがあったらいつでも言ってくれ。薬草採取も無償で付き合うからな。そして今度こそ守り切る」
「ふふ、わかりました。ありがとうございます」
「じゃあ。何かあったら本当にいつでも頼ってくれ」
ダンさんは立ち上がると、ぶんぶんと手を振って帰っていった。
私もよいしょと立ち上がる。
「ダンさんっていい人ですよね」
「まあ変な奴だけど、そうね。団長がリナの護衛につけるくらいだもの」
「気に病ませてしまったのが申し訳ないです」
「リナは謝罪が多いわよね。謝罪よりお礼のほうが相手は喜ぶわよ」
「う……自分でもそう思います。気をつけます」
カレンさんがふふっと意味ありげに笑う。
「そうそう。リナの笑顔とありがとうひとつでなんだってやる男はたくさんいるわよ。特に団長とか」
「……」
さっきからシルヴァンさんが微妙な感じで会話の中に出てきて、私は反応に困ってしまう。
「リ・ナ・ちゃーん」
入口から聞こえる明るい声。
今日は次々と人がくるな、と思った。
「お疲れ~。体調は大丈夫?」
そう言いながら、ライアスさんが診察用の椅子に座る。
「ええ、大丈夫です。一昨日は助けに来てくださってありがとうございました」
「いいよいいよ、そんなの。それが騎士の仕事だし、ほかならぬリナちゃんのためだもん」
なんでやたら上機嫌なんだろう。
カレンさんは、無言で浣腸用の注射器を構えた。
「いやカレンさん、今回の用事それじゃないから。ていうか怖いよ」
「何の用。あんたは一番リナに近づけたくない男なのよね」
「ひどいなぁ。僕とリナちゃんは色々分かり合えた仲なのに」
……そうだっけ。
「いやー、リナちゃんの活躍のおかげで、団長の評判がまた上がっちゃったみたいだよ」
「特に活躍はしてませんよ。目印を置いたのは助けてほしかっただけです」
「でも結果的には団長の評価につながったんだから、ありがたいことだよ。団長の呪いを解いたのもリナちゃんだし、リナちゃんは幸運の女神だね」
どうしてこんなに褒めたたえるんだろう。
逆に怖い。
「団長団長うるさいわね、いつものことだけど。なんであんたそんなにリナを褒めてるの? 裏がありそうで嫌なんだけど」
「裏なんてないよ。リナちゃんが団長の女神なのは事実だし、僕だって厳しくも優しい、おまけに機転もきくリナちゃんを尊敬してるよ」
ねー、と笑顔を向けてくるライアスさん。
私はあいまいな笑顔を浮かべるしかない。
「というわけで仲良くしてね、リナちゃん。付き合うのはスッパリあきらめたから、友達になってよ。……それもだめ?」
う、その子犬みたいな顔。
友達になるのすら断るのってかなり難しい。
しかも軽い感じだったとはいえお付き合いを断った後だし。
「だめ、じゃないです……」
ああ、また気弱で断れない性格が出ちゃった。
ライアスさんがぱあっと明るい顔をする。
背後でカレンさんの小さなため息がきこえた。うう、わかってるから何も言わないでください……。
「ありがとう! ちなみに友達の証としてリナたんって呼んでもいい?」
「それはいやです」
「だめか。まあいいや、じゃあまたねー」
ライアスさんが帰ったところで、大きく息を吐く。
「今日は用事もないのに来るやつが多そうね。まったく、リナの負担を考えろっていうのよ」
「あはは……」
その後、カレンさんの予言通り。
「リナちゃーん、調子どう?」
「大丈夫です」
「用事がないなら帰ってジャン」
「リナちゃん、痛いところないか?」
「はい、平気です」
「用事がないなら帰ってフランツ」
「リナたん、今日お昼一緒に食べない?」
「帰れライアス」
千客万来というかなんというか。
でも、みんな気にかけてくれてるんだなと思うと胸が温かくなる。
なんだか好きだな、この騎士団。
こうして普通に会話するくらいなら、男性相手でも怖いという思いはわいてこない。自分でも不思議なほど一昨日のことを引きずってないんだと少し驚く。
そのあとも何人か対応しているうちにあっという間にお昼になって、カレンさんが帰り支度を始めた。
「ライアスが言っていた幸運の女神。実際そうかもしれないわね。団長にとってというか、騎士団にとって、かしら。さっきの食堂の女の子にとってもそうだし」
「え? そんな大げさですよ」
「どうかしらねえ。でもそれがリナのつらい思いの上に成り立つとしたら、私は嫌だわ」
「一昨日はたまたまですよ。それ以外はつらい思いなんてしていません。いい職場だと思ってますし」
「ならいいの。ただ私はリナに幸せでいてほしいのよ。リナは本当にいい子だから」
「ありがとうございます」
姉がいたらこんな感じなんだろうか。
やっぱり好きだなあ、カレンさん。
帰り際に私の髪をそっと撫でてくれたカレンさんの手がとても優しくて、これがお母さんになる人の手なのかな、と思った。
お母さん、か。
私も小さいころはこんな風にお母さんに撫でてもらったこと、きっとあったんだろうな。
もう思い出せないけど。
……やめよう。無駄に暗い気持ちになる必要はない。
もやもやした思いを振り払うように頭を振って、昼食の準備を始めた。
シルヴァンさん、盗賊の件もあって色々バタバタしてるみたいだけど、ちゃんとお昼は食べてるかな。
そういえばこの間ここで一緒に食べたなあ。おにぎりを美味しいって言ってくれて、うれしかったな。
一人になるとなぜかシルヴァンさんのことばかりが浮かんできて。
そんな自分に驚いて、急に恥ずかしくなってしまった。
……どうしちゃったんだろ、私。
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