第23話 どうしてこんなことが
ガタガタと、馬車が揺れる。
舗装された街道をゆっくり走っているとはいえ、ずっと乗っているとおしりが痛くなってくる。
もうこの世界にきて六年も経つというのに、私の体はいまだに日本仕様なところがあるみたい。車の快適さが恋しくなる。
馬車に同乗しているダンさんの「団長の馬車はさすがに色々改造してあって乗り心地がいいなあ」という言葉には、あいまいに頷くしかなかった。
私と一緒に行ってくれることになったのは、出勤初日に「小さいのに働いててえらい」と私を評したダンさんだった。
熊っぽい見た目でちょっと怖いんだけど、シルヴァンさんやカレンさん基準では「安全な男」らしい。
一緒に馬車に乗ってると大きな体で圧迫感があるし緊張するけど、私に色々と気を使って話しかけてくれるし、いい人だと思う。
私から一番遠くなるよう斜め向かいに座って、その大きな体を縮めるように座ってるし。
「あの、もうちょっと体をのばして座ってください」
「いやー、オレは無駄にでかいからリナちゃんに悪いしなあ」
「馬車の中は狭くないので大丈夫ですよ」
「気を使ってもらって悪いなあ」
えへへ、とその強面をくしゃっとゆがめて楽な体勢をとる。
三十過ぎの男性に対して思うことじゃないけど、なんだかかわいい熊のように思えてきた。
口には出さないけど。
「話は変わるけど、その指輪。華奢なリナちゃんの指にはちょっとゴツいな」
「あ、これですか? シルヴァンさんにいただいたんです。街の細工屋さんで作ってもらったものです」
私の右の中指には太めの銀の指輪がはまっている。
素材が安物なのとデザインがイマイチなのは我慢してくれ、あえてそうしているからとシルヴァンさんは言っていた。
このプレゼントの意図を聞いた私は、ありがたくこれを受け取った。
「団長ももっといいものをあげればいいのに」
「いいえ、とてもいいものなんですよ」
「そっか、よくわからんけどリナちゃんがそう言うならそうなんだろうな。ところで、念のため確認。オレは今日はリナちゃんの叔父で、傭兵だったよな」
「はい、そうです」
万が一誰かに何かを聞かれたらそう言うようにシルヴァンさんから言われている。
魔女と護衛の騎士なんて怪しすぎるし。
ダンさんはどう見ても一般人には見えないので、傭兵。そして見た目の年齢差があるので、私は彼の姪ということになった。
薬屋一家のこともあったし、町の人には極力会わないようにするつもりだけど、もし何か聞かれれば叔父にお世話になっているといえば不自然ではないはず。
以前住んでいた町の近くの宿場で宿をとり、その日は一泊した。
翌早朝、宿場を出てラトンの森へ向かう。
午前のうちに着いて、ダンさんには森の入り口に残っててもらって、私は第三層へと入った。
以前と変わらず静かに佇む小屋とお墓。
お墓周りの雑草をむしって、お花を供える。
「私ね、騎士団で働きだしたの。少し大変なときもあるけど、楽しいよ。オルファが教えてくれたことが、私を生かしてくれてる。本当にありがとう」
手を合わせて頭を下げ、小屋へと向かう。
少し埃っぽくなった小屋を掃除して、サフラリスの採取へと向かう。
泉のほとりに着くと、予想通り黄色い花がたくさん咲いていた。
花にも薬効があるし、今回は多めに摘んでおこう。乾燥させて使うものだし。
ダンさんが待っているから急いで摘んで袋に詰めてリュックに入れ、森を後にした。
「おかえり。たくさん採れたかい?」
「はい。お待たせしました」
「じゃあ帰るかー。途中で飯食っていこうな」
二人で馬車に乗り込み、行きと同じように斜め向かいに座った。
そのまましばし馬車に乗って、昨夜泊まった宿場の食堂で遅めの昼食をとる。
ダンさんは色んな話をしてくれるし、私もだんだん慣れてダンさんと話すのを楽しく感じるようになってきた。
ついこのあいだ三匹目の子猫を拾って奥さんにめちゃくちゃ怒られた話なんかは、あまりにもダンさんらしくて声を出して笑ってしまった。あちこちに声をかけてなんとか飼い主を見つけたらしいけど。
やっぱりいい人だな、ダンさん。
以前の自分ならこんな見た目の人とは怖くて話せなかったかもしれないけど、こうやって少しずつでも人との関わりや世界を広げていくことって大事なんだなと思った。
食事が終わって再び馬車に乗り込むと、ダンさんはまた小さく縮こまっていて思わず笑いが漏れる。
「ダンさん、楽にしてくださいね」
「おー、そうだったな」
「お休みの日なのに付き合わせてしまってすみませんでした」
「いやいやー、特別手当……いやなんでもない」
あ、やっぱりなんらかの手当が出てたんだ。
団の用事じゃないから、もしかしてシルヴァンさんが個人的に支払ったの?
……なんだか申し訳ない。
返してない借りばかり増えていく気分。
「悪い、団長にリナちゃんには言うなって言われてたんだった」
「ふふ、じゃあ聞かなかったことにしますね」
「リナちゃん優しいなあ。今度生まれるオレの子もリナちゃんみたいに優しく育ってくれたらいいな」
「お子さんが生まれるんですか」
ダンさんは既婚者だもんね。
お父さんになるのかあ。小さいかわいいって溺愛しそう。
「といってもまだ先だな。やっと安定期? とかいうのに入ったところだ」
「そうだったんですね」
妊娠というのはデリケートな問題だから、現時点で「おめでとうございます」というのは控えた。
でも、うれしそうなダンさんが微笑ましい。
「結婚が遅かったし子供もなかなかできなかったから、楽しみで仕方ないんだ。……っと、悪いなぁ、オレの個人的な話ばかり」
「いいえ。いいお話ですし、私もなんだかうれしいです」
馬車の中にほのぼのとした空気が流れる。
ダンさんは優しいし思ったよりも話し上手だから、こういう空間に二人きりでもまったく緊張しなくなってきた。
馬車に揺られながら、ぼんやりと外を見る。
夕焼けの空が、きれい。
「あ、そうそう、そういえば――」
ダンさんが何かを言いかけたところで。
馬がいななく声とともに、馬車が急に止まった。
「? なんだ?」
ダンさんが御者席がある方をのぞき込む。
「……! 御者がいない……いや、倒れてる」
「えっ、どうして!? とりあえず、外に出て私が診ます」
「待ってくれ。何かあったのかもしれない。オレが様子を見てくるから、リナちゃんは中に……」
ダンさんの言葉を遮るように、馬車の窓が割れて何かが投げ込まれる。
「!?」
怪我はしなかったけど、投げ入れられた何かの塊からもくもくと煙が上がっている。
その匂いには覚えがあった。
「ダンさん、これを吸い込んじゃダメです! 体が動かなくなります!」
「何!? クソッ……」
私たちには、馬車を降りるという選択肢しか残されていなかった。
ダンさんが扉を蹴り開けて先に外に出る。
咳き込みながら私も外に出て顔をあげ……ひゅっと息をのんだ。
少し先に、騎乗した複数の男が見える。
みんな黒ずくめで覆面をしていて、一人はこちらに向かって弓矢を構えていた。
「盗賊か」
低い声でダンさんが言う。
彼が前に出て、剣を抜いた。
がたがたと全身が震えだす。
盗賊。治安のいいはずの街道沿いで、なぜ。
「リナちゃん、下がっていろ。大丈夫だ、オレがついてる」
「は、はい」
私は御者のところに向かった。
倒れた御者の腕には矢が刺さっていて、顔が真っ青になっている。意識も混濁していて、震えながら泡を吹いていた。
……毒だ。
「これは毒矢です!」
「毒矢だと? まさか、こいつら……。馬車用の馬に二人乗りじゃ追いつかれちまうし……クソッ」
怖い。盗賊だけでも怖いのに、毒矢?
……だめ、怖がっている場合じゃない。
御者に近づいて、矢じりに気を付けながら矢を抜く。傷口はどす黒くなっていた。
ウエストポーチを探る。
馬に乗った人間がさらに近づいてきた。見える限りでは、十人くらい。
やっぱり盗賊、だ。
どうしよう。どうしたら。
「リナちゃん、大丈夫だ。馬車の裏側に回って隠れてるんだ。いいな」
「は……はい」
ダンさんは逃げられないと判断したんだろう。
倒すしかないと。
馬に乗れない私が足手まといになるから、馬車馬に乗って逃げても追いつかれるか毒矢を射かけられる。
しかも馬車馬はどっしりとした体つきで力はあるけど足はあまり速くなさそうだし、盗賊たちが乗っているのは競走馬みたいに足の長いタイプ。
走って逃げるのも論外。
私には何もできないんだから、せめてこれ以上足手まといになってはいけない。ダンさんの言うとおり、馬車の陰に隠れた。
盗賊たちが、すぐそこまで迫ってきている。
私を見張るようにこちら側に移動する盗賊も一人。
体の震えが、止まらない。
「ずいぶん手慣れた様子で剣を構えるじゃねぇか。てめえ騎士か?」
「うるせぇな、凄腕の傭兵様だよ。何の用だ」
「盗賊に用件を聞くのか? のんきだな!」
ドッと笑いが起きる。
「その馬車の裏に女がいんだろ? 女と馬を素直に渡せば命くらいは助けてやるぞ」
笑いを含んだ「女」という単語にぞっとする。
「大事な姪っ子をお前らなんかにくれてやるもんか。そもそもお前らの言うことなんて信用できるわけねぇだろ」
「しゃべってないでさっさとコイツを倒して女と馬を連れていくぞ。時間をかけるな……ガハァッ」
どさ、と何かが落ちる音。
ダンさんがたぶん飛び道具か何かで盗賊を一人倒した。
「この野郎!」
盗賊たちの怒号と馬の足音。剣戟の音。
どうしよう、どうしよう。ダンさんも強いだろうけど、多勢に無勢。しかも毒矢を使う相手なんて!
「くそ、強いぞこいつ!」
「おい、どうせ女は逃げられないからお前もこっち来い! 離れて毒矢で仕留めろ! 女と馬に当てるなよ!」
私を見張っていた男も弓矢を構えてダンさんのほうに行く。
弓矢の音と、たぶんそれを剣ではじく音。馬車に矢が刺さる音。
その中で、ちいさなうめき声が。
「よし、仕留めたぞ!」
「まだ近づくな! 毒が効くまで待て!」
仕留め、た?
毒矢を……食らってしまったの……?
体が、震えさえ忘れて氷のように冷える。
だって。ダンさんはいい人で。子供が、生まれるって。
ウエストポーチを外す。中をさぐって、ポーチを馬車の下に隠してふらふらと馬車の陰から出た。
「ぐっ……来るな! 隠れてろ!」
膝をついたダンさんが叫ぶ。
その顔色は真っ青で、肩には、矢が。
「逃げ、ろ……頼むから……」
剣を取り落として、ダンさんが仰向けに倒れる。
「ダ……叔父さん! しっかりして!」
ダンさんに走り寄って、膝をつく。
その矢を引き抜くと、ダンさんの顔が苦痛に歪んだ。
「無駄だよぉ、お嬢ちゃん。その矢には猛毒が塗ってあるから、叔父さんはもうすぐ死んじゃうんだ。仲間が街道警備に化けて街道も封鎖してるから、助けも来ない。だからおとなしくオレ達と一緒に行こうねぇ」
再びドッと笑いが起きる。
何がおかしいの。あなたたちの仲間だって、三人も死んでるっていうのに。
でもそんなのに構っている暇はない。
「叔父さん、しっかりして、死なないで!」
「にげ……ろ……」
真っ青なダンさんに覆いかぶさるようにして「死なないで!」と繰り返す。
荒い呼吸を繰り返す口元に手をやる。
「お願い、叔父さん……ううっ……」
耳元に、顔を寄せる。
しばらくそうしていたけれど。
「うそ……そんな。叔父さん、死……死んじゃった、の……?」
ぴくりとも動かないダンさんを見下ろしながらよろよろと立ち上がると、盗賊の一人が近づいてきて私の腕をつかんだ。
恐怖のあまり、悲鳴すら出てこなかった。
「よしよし、ようやくくたばったか。いやまだちょっと生きてるか? ま、時間の問題だろ」
男はダンさんにはすぐに興味を失って、私をじろじろと眺め始めた。
「一見地味だが、たしかによく見ると上玉だな。髪も肌も極上だ。お前東方人との混血か?」
「……」
「護衛らしき男がいたから少し迷ったが、危険を冒すだけの価値はあったようだな。黒髪は高く売れるし良い値がつきそうだ」
男の言葉に引っかかる。
まさかと思うけど……宿場かどこかで目をつけられていて、後をつけられていた?
「ほら、もっとちゃんと顔を見せろ」
「おい、遊んでる場合か。仕事に時間をかけすぎた。街道警備の騎士と兵士を殺ってんだ、やつらの交代の時間になったらまずいことになるぞ。さっさとしろ」
私を眺めていた男が小さく舌打ちして、ナイフを私に向ける。
恐怖に体が硬直した。
「その馬に乗れ」
今、逆らうという選択肢はない。
言われた通り、馬の横に置かれた木箱にのぼり、あぶみに足をかけてなんとか馬にまたがる。
「そうそう、上手だ。いい子だな」
そう言って男も私と同じ馬に乗った。
後ろで男がゴソゴソ動く。
「じゃあ大人しくしなお嬢ちゃん」
男は後ろから、私の口と鼻を覆うように布を当てがった。
この匂い、レムの根から作った薬。なら意識が朦朧とするはず。
後ろに倒れ込む私を、男が支えた。
ついでに私のお腹のあたりを撫でまわす。気持ち悪い……!
でも、少しくらくらするけど、意識を保てている。こっそり動かした手もちゃんと動いた。
魔女には薬に耐性がある者が多い。毒や麻痺のように体に害になる薬を、調合で毒性を弱めて少しずつ摂取して耐性をつけるから。
私もその一人だけど、もちろんすべての薬に耐性があるわけじゃない。
耐性がある薬でよかった。
さっきポーチから取り出して袖に隠したものを、そっと手の中に落とす。
これに気づかれたら、きっと殺される。
怖い。ものすごく怖い。
でも何もしなければ、私のこれからの運命は悲惨なものになるとわかりきっている。
「おし、行くぞ」
馬が一斉に走り出す。
その隙に、私は手の中の物を強く握った。
上手くいかないかもしれない。気づかれて殺されるかもしれない。これが上手く行っても、助けなんて来ないかもしれない。
でも、これに賭けるしかない。
お願い。
気づかないで。
そして……気づいて、シルヴァンさん。
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