第12話 シルヴァンさんの提案
今日のシルヴァンさんとの朝食は、いつもより早い時間に始まって、終わった。
彼が今日から騎士団に復帰するから。
自分が解呪している実感は相変わらずないけど、復帰できるほど人間でいられる時間が増えてよかった。
シルヴァンさんが団長を務めている銀狼騎士団は、王太子様直属の騎士団なんだとか。
他にも王様直属の騎士団、城壁内警備の騎士団、市中警備の騎士団、地方の騎士団なんかもあるらしい。
色々あるんだなあ。
王都は高い壁に囲まれているけれど、王城のあるエリアはさらに城壁に囲まれている。
銀狼騎士団の詰所も城壁の内側にあって、そこに通うらしい。
続き部屋の扉がノックされて、「少しいいか?」と声をかけられる。
扉を開けると、白地に銀糸で刺繍された騎士の制服を身にまとったシルヴァンさんが立っていた。
うわ……あ。かっこいい。これは素直にかっこいい。
美形で長身だとなんでも似合うけど、こういう格好が一番似合う気がする。
彼は騎士なんだなーと妙に納得してしまう。
「あの。すごく似合ってます、シルヴァンさん」
そう言うと、彼は少し頬を染めてうれしそうに微笑んだ。
「リナに褒めてもらえるなんて嬉しいよ。知っての通り、今日から団に復帰する。リナのお陰だから、一言お礼を言ってから行きたくて」
「お礼なんて。私のほうがずっとお世話になってるのに」
「俺がやっていることなんて大したことではない。リナには心から感謝している」
「そんな」
こんなにお礼を言われて、どうしていいかわからずうつむいてしまう。
「じゃあ、俺はそろそろ行くよ」
「はい、お気をつけて」
「ふっ……新婚夫婦みたいだな」
「えっ?」
「! あ、いや。ただの冗談だ」
「そ、そうですか」
彼がこういう冗談を言うのは珍しい気がする。
しまったと言わんばかりの顔で髪を乱暴にかきあげる彼が新鮮で、なぜかドキッとした。
今日から復帰だから、実は緊張してるのかな? だから普段は言わないような冗談を言ってしまったんだろうか。
「じゃあ行ってくる」
「はい」
そそくさと逃げるように出て行ったシルヴァンさんが、なんだかかわいかった。
今日は天気がいいので、薬草の天日干しをする。
温室から薬草を摘んできて、水洗いをして水分をふき取り、根と実の部分をザルに置いて干す。葉と茎は陰干し。
それにしても、薬草園、大きくなったなあ。
ガラスの温室だからかなり高価なはずなのに、それを二棟も。
魔力を含んだ珍しい薬草もいくつか取り寄せてもらって、シルヴァンさんは教えてくれないけど温室と薬草の苗を合わせれば家が建つくらいの値段にはなっているはず。
一人の魔女が扱うには、贅沢すぎる薬草園なんだよね……。
色々な薬草が手に入るのは素直にうれしいけど、薬の売り上げだけでは一生かかっても返せない気がする。
彼は返さなくていい、リナは大恩人なのだからこれくらいするのは当たり前だと言うけど、そういうわけにはいかない。
狼のシルを買ったオルファの遺産だって返してもらったのに、そこから返すと言っても遺産からは受け取らないと拒否するし。
騎士団長のお給料がいくらかは知らないし聞くつもりもないけど、解呪を感謝するあまり無理をさせてるんじゃないかと心配になる。
それでも薬を作るのはやっぱり楽しくて、毎日決まった量を作る。
よく売れるのは普通の傷薬や胃腸薬、鼻炎や頭痛に効く薬。
使う薬草も手に入りやすい一般的なものだから材料費が安くて、売値も安価なんだよね。
こういう薬は当然のごとく作り手も多いんだけど、オルファのレシピはちょっとだけ薬草の配合が人と違うから、私が作る薬は値段が安くて効果が高いと評判らしい。
何もかもがオルファのおかげだと思う。
言葉だって今は不自由なく会話や読み書きができるけど、それも五年弱かけて彼女に教えてもらったものだし。
言語は英語と似ていて、比較的覚えやすいものだったとは思う。
敬語もあるけど、日本語みたいに複雑じゃなくて決まった単語をいくつかつけるだけだし。
何より助かったのは、最初からオルファと話が通じたこと。それは彼女の能力だった。
もし私が出会ったのが彼女じゃなかったら、言葉は通じないしもっとパニックになっていただろう。
最悪、何もわからないまま売られていたかもしれない。
本当に感謝してもしきれない。
小説のように異世界転移した私に神の采配があったとしたら、それは最初にオルファに出会えたことだと思う。
部屋に戻って使い慣れた器具を用意し、調合を始める。
今日は魔法薬を調合することになっていた。
魔法薬は魔力を帯びた薬草や生物を材料にした薬で、普通の薬よりもずっと効果が高い。
もちろんその分材料は手に入りづらくて、値段も高い。
おまけに普通の薬より使用期限も短いから、商人から依頼が入った時にしか作らないことにしている。
材料の中にはトカゲのしっぽを粉末状にしたものとか虫を乾燥させてすりつぶしたものとか動物のフンとか、“いかにも”なものがあって、正直なところいまだに慣れない。
特に虫がいやだ。
昔から虫が大嫌いで、小屋にいた頃も虫よけの乾燥ハーブを常に大量に吊るしていた。
甘えと言われようと自分ですり潰すのはどうしても無理だから、それだけは既に粉末状になったものを商人から買っている。
そして今日作る高級傷薬には、ゴキ●リそっくりの虫を粉末状にしたものを使う……。
材料を知っていると自分では使いたいという気が起きなくなる。
ひどいケガをしないようにしようっと。
きりのいいところでいったん手を止めて、メイドのアニーさんが用意してくれた軽食を食べる。
静かな部屋で一人で食べるのは、とても気楽。
でも、シルヴァンさんとの食事に慣れてしまったせいか、ほんの少しの寂しさも感じる。
……だからこそ、この家を出なければと思う。
――俺はリナにずっとここにいてほしいと思っている
彼の言葉を思い出して、胸がざわめく。
そんな風に言ってもらえるのは、素直にうれしい。
でも、私は一人じゃない生活に慣れすぎるのが怖い。
日本では、お父さんが私の高校入学前に突然倒れて、そのまま私は一人になった。
一人になったことが寂しくて寂しくて、優しかったお父さんを想って毎日泣いて暮らした。
この世界でも、オルファが倒れてほんの数日で帰らぬ人になった。そして私はまた一人になった。
二度目だから慣れるということなんてなくて、人の温もりを再び知った後だったから、悲しくて寂しくてしばらく立ち直れなかった。
この場所は私に優しすぎる。
だから、ここになじみすぎるのが怖い。
どういう形であれまた突然一人になったら、三度目はもう耐えられない。
きっとシルヴァンさんは解呪が終わったからって私を無慈悲に放り出すような人じゃないと思う。
それでも、臆病な私は、ここを自分の居場所とするのが怖い。
親子の情すら永遠ではないと知っているのに、彼の感謝の念にすべてを賭けるのが怖い。
だから、一人で暮らしたい。
自分一人だけの居場所がほしい。
「また一人になってしまった」と泣かないように。
こんな臆病で後ろ向きな考え方、きっと彼が知ったら軽蔑する。
こんなに良くしてもらっているのに……ごめんなさい。
暗い考えを振り払って、薬づくりを再開する。
二十種類もの材料を決まった配合で慎重に混ぜ合わせていき、最後に例の虫の粉を混ぜて蓋をする。
これを十時間ほど寝かせれば完成。
一息ついたところで、部屋の扉がノックされた。
ふと窓の外を見ると、もう日が落ち始めている。
メイドさんがお風呂の準備に来てくれたのかな?
「どうぞ」
私の返事を待って部屋に入ってきたのは、朝と同じく騎士の制服に身を包んだシルヴァンさんだった。
「おかえりなさい。早かったですね」
「ああ、今日は復帰初日だし早めに帰ってきた。リナは薬づくりか?」
「はい。ちょうど今終わったところです」
「そうか。ちょっと中で話をしていいか?」
「はい」
彼が私の向かい側に座る。
「すみません、今終わったばかりで机の上がごちゃごちゃで」
「突然来たのは俺なんだから、気にしないでくれ。すまない、人間の姿のときはこちらに来ないと言っていたのに」
「いいえ」
シルのときは何度もこちらに来ているし、私もシルヴァンさんのお部屋で食事をしたりしているから、人間の姿でここに来られたところで今さら気にならない。
男性……というより、彼に対する警戒心がほとんど無くなってしまっている気がする。
「ところで、仕事の話なんだが」
「はい」
もしかして何か仕事を見つけてきてくれたのかな?
「リナの薬づくりの腕は今さら言うまでもないが、医学の知識や技術についてはどれほどなんだろうか」
「薬と直結するものなので、日常的な症状についてはある程度知識がありますし、薬の処方もできます。でも命にかかわるような病気は診断できないと思います。お医者様には到底及びません」
例えば、進行していなければガンの診断はできないだろうし、それを薬で治したりもできない。
「外科的なことは?」
「難しいことはできません。手術とかは無理です。応急処置くらいならなんとか」
それもオルファに習った。
彼女は時々町の病院にも連れて行ってくれて、そこで実習をしたりもした。
「なるほど。ぴったりだな」
「はい?」
彼がにっこりと笑う。
「リナ、銀狼騎士団の医務室で働かないか?」
騎士団の医務室!?
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