ひとりぼっちの魔女と狼な騎士様(全裸)
星名こころ
第一章 森の小屋編
第1話 狼を衝動買いしちゃった
ある日、この世界の片隅におっこちてきたちっぽけな存在。
それが私、早瀬 里奈。
あれは高一の夏休み。
友達と湖でスワンボートに乗っていたとき、スマホを落としてしまって。
それに思わず手をのばしたら、間抜けなことに湖に落ちた。
泳げないわけじゃないのに、どんどん湖の底へと引っ張られるように沈んでいって、なんとか必死で浮かび上がったら、なぜか森の中だった。
湖から出て、ずぶ濡れのまま寒さと恐怖に震えながら見たこともない森の中を彷徨い歩いて、小屋を見つけた。
そこにいたのが魔女オルファ。
私の姿を見たオルファは、「その格好、もしかして世界の落とし人かい、珍しい」と言った。
この世界には、たまに別の世界から人間がやってくるらしい。それを「世界の落とし人」と呼ぶとか。
まるで落とし物みたい。私の住んでいた世界が、この世界に私を「落として」いったのかな。
元の世界に帰れるのかオルファに尋ねたら、もう戻れないという。
その場で崩れ落ちてわんわん泣いた私の背中を、しわしわの優しい手がさすってくれた。
あれから五年。
この世界で生きていけるよう、私に薬の作り方やこの世界の常識を教えてくれたオルファは、ひと月前に天に召された。
優しかったオルファがいなくなったことが悲しくてわんわん泣いたけれど、背中をさすってくれるしわしわの手はもうない。
私は、一人ぼっちになってしまった。
「おはよう、オルファ」
小屋の裏手にあるオルファの墓に手を合わせ、今日も畑から食べる分だけ野菜を収穫する。
小説の異世界転移みたいに何か特別な力を授かったわけじゃないから、堅実にできるだけ自給自足。
オルファが結構な額のお金を遺してくれたけど、簡単に手をつけたくない。
私はオルファの弟子だったから一応魔女と呼ばれる存在だけど、魔法が使えるわけじゃない。
この世界では、普通の人では作れないような特別な薬を作る人をそう呼ぶ。
オルファは幻術も使えたけど。
魔女によってそれぞれ独自のレシピがあって、もちろんそれは門外不出。自分が認めた弟子にのみ、それを伝えていくんだとか。
私は幸運だ。
優秀な魔女オルファに拾われて、そのレシピまで受け継がせてもらったんだから。
でも私は腕が未熟で、薬を作るにも時間がかかるし、オルファほど難しい薬を作ることもできない。
もっと頑張らなくちゃ。
オルファは死ぬ前に、そのお金はできれば人助けに使いなさいと言っていた。
この世界の人を助けて、この世界の人と関わりあっていけば、お前は本当の意味でこの世界の住人になれるからと。
人付き合いを極力避けて自分の殻に閉じこもりがちな私を心配してそう言ってくれたオルファ。
その優しさを思うと、また泣けてきた。
今の私は自分のことで手一杯だけど、私もあんなふうに誰かに愛を分けてあげられるんだろうか。
わからない。でも、そうなりたい。
オルファの小屋は、ラトンの森という小さな森の奥にある。
彼女と暮らしたこの小屋に、私はそのまま残った。
町に住まない理由は二つ。
この森にたくさんの薬草が生えているから。
そして、部外者は決して小屋にたどり着けないよう、森全体にオルファの幻術がかかっているから。
オルファが長年かけて完成させたという幻術によって、今は私だけが小屋にたどり着けるようになっている。
女の一人暮らしは町でも危ないし、あまり人と関わるのが得意じゃないから小屋での生活のほうが落ち着く。
私はこの世界に来る前から、人は苦手だ。
特に男性。
女友達は少ないながらもいたけど、男性は昔から苦手だった。
からかわれたり、乱暴なことをされたり、変に付け回されたり。いい思い出がない。
私がおとなしそうに見えるから、よけいにそういう扱いを受けるんだろう。
それに、三年前……やめよう、思い出したくない。
苦手を通り越して、嫌悪感すらある。
だから、私は一人で森の奥に住み、一人でこうして朝食を食べる。
一人の生活は嫌いじゃない。
だけど、時々寂しくはなる。
「そろそろ食料を買いにいかなきゃ」
一人暮らしになると独り言も多くなる。
私は朝食の後片付けをすると、ローブを着て家を後にした。
一週間ぶりの町。
人とあまり関わりたくないから、フードを目深にかぶって歩く。
まずは私が作った傷薬と胃腸薬を薬屋さんに納めた。
ここの息子さんは少し馴れ馴れしいから苦手。でも今日はいなかったみたいでほっとする。
調味料、肉、パンを作るための小麦粉と酵母、あとは火の魔法石を多めに買う。
魔法石がある世界でよかった。なければ火を起こすのも大変だもん。
買い物を終えて、さっさと森に戻ろうとしたとき。
ガラガラガラ、と何かを引きずるような音がして、後ろを振り返った。
――檻だ。
台車に檻が載せられていて、それを馬が引いている。
檻の中には……一匹の、大きな銀色の狼。
わあ……なんて大きいんだろう。私より二回りくらい大きい。
それにすっごく綺麗な毛並み。
でも、後ろ足に怪我をしていて、うずくまっている。
馬を引いている人は猟師のようで、その人が捕らえたんだろう。
周囲にすごい獲物じゃないか、とかこんなの見たことない、とか言われて、誇らしげな顔をしている。
「すごいだろ? これはいい毛皮になるぜ。貴族にも売れるような代物だ。いや、生きたままはく製用に売るんでもいいな。あー迷うぜ」
あ……毛皮かはく製にされちゃうんだ。
あんなに綺麗な生き物なのに。
なんだか可哀想になって狼を見ると、目が合った……気がした。
深い深い青の瞳。なんてきれいなんだろう。
そして、どこか知性を感じさせる。
どうしてか、胸が痛む。
死なせたくないと思ってしまった。
「あ、あの!」
気づいたら、猟師のおじさんに声をかけていた。
おじさんがこちらを振り返る。
わっ、怖そう。
嫌だなあ。でも。
周囲に人がいなくなったことを確認してから、再度おじさんに話しかける。
「あの……その狼、私が買います」
こういうのなんて言うんだっけ。
あ、衝動買いか。
「冗談はよしな、お嬢ちゃん。これはかなりの高値がつく。あんたが買えるような代物じゃねぇよ」
「いくらですか」
「売ったら金貨五十枚はいけそうだ」
五十枚って言ったら、平均的な家族の年収二年分くらい。
そんなにするの……。
「それになあ、金だけの問題じゃなくてこれを売ることで貴族に顔を売れるかもしれねぇんだ。だから諦めな」
諦める。
諦めたら、この狼は殺されて毛皮かはく製になってしまう。
どうしてだろう、私、この子を殺されたくない。
「この狼はどこで捕らえたんですか」
「あぁ? ラトンの森だよ」
「罠を使いましたね。ラトンの森は狩りは禁止じゃなけど、罠は禁止されてるはずです」
よく見ると、狼は小刻みに震えている。
呼吸も早い。
罠に痺れ薬を使ったのかもしれないと思った。
そもそもこんな大きな狼を、罠なしで捕らえられるとは思えない。
「だったらなんだ。そんなもん、守ってるやつなんていねぇよ。お嬢ちゃん、オレを脅して狼をかすめ取ろうってのか?」
剣呑な空気が流れる。
やっぱり男の人は怖い。手が震える。
でも。
「そんなんじゃありません。……金貨六十枚出します。その子を檻と馬ごと売ってください」
「六十だと? お嬢ちゃんのどこにそんな金があるんだ」
「私はラトンの森の魔女です。先代が遺してくれたお金がちょうど金貨六十枚あります」
「オルファ婆さんの弟子なのか? チッ、婆さんには世話になったからな。この狼を売る手間を考えりゃあまあ六十ならいいか。本当にあるんだな?」
「はい。私の全財産ですが」
「そこまでしてこの狼が欲しいなんて、魔女ってのはわからねぇな」
「ラトンの森で捕らえられた狼が殺されるのは忍びないですから。私の管理不足ですし」
それは本当にそう思う。
オルファは町の人ともちゃんと交流してたし、狩りのルールを守らない人を叱りつけたりしてた。
でも私は小屋に引きこもって、たまに町に行ってさっさと帰ってくるだけ。
森はオルファの私有地ではないけど、魔女は管理者として認知されている。
その管理ができていなかった私の責任でもある。
「日没まで待ってやるから、金貨とってきな。来なきゃ売るからな。オレだっていつまでもこんな目立つやつを抱えてたくねぇ。下手すりゃ他のやつに盗まれるかもしれないし」
私はおじさんにお礼を言うと、大急ぎで家に戻って金貨を全部とってきて、町に戻った。
おじさんは律義にも待っていてくれて、金貨を渡すと大喜びで懐にしまった。
そして森の入り口まで送ってくれると言った。
……なにかの罠じゃないよね?
ラトンの森の幻術は小屋を中心に三層に分かれていて、小屋周辺が最も強力な第三層。私以外は踏み入ることができないようになっている。オルファ感謝。
第二層も私以外は普通には歩けず、ぐるぐると迷って結局森から出てしまう仕掛けになっている。
第一層は普通の森。途中までは道もある。猟師が狩りをするのも第一層。
おじさんは一層の途中まで送ってくれた。
そこで豹変して狼も奪われるんじゃ……と思ったけど、そういうことはなかった。
「世間知らずなお嬢ちゃんに忠告しておくが、簡単に人を信用しちゃだめだぞ。貧しい生活をしてると思われてる森の魔女が金貨六十枚も持ってると知られたら、奪いに行くやつだっているだろう。この森に婆さんの幻術がかかってるのは町のみんなが知ってるが、それを過信するなよ」
「はい。もうお金は本当にありませんが、気を付けます」
怖そうなおじさんだと思ったけど、案外親切だ。
それこそ、お金だけ受け取って私を殺して狼も取り戻すことだってできるだろうに。
殺されたいわけじゃないし、逃げる用の薬は色々持ってはいるんだけど。
「狼は森の奥から出すなよ。オレが言うのもなんだが、また狙われる」
「ご親切にありがとうございます」
おじさんは、そのまま森から去っていった。
案外いい人でよかった。怖かったけど。
人と話すのってすごく疲れる。男の人相手だと疲労感も倍だ。
「狼さん、もう少しだけ我慢してね。小屋に着いたら、怪我の手当てするから」
馬を引きながら、狼に話しかける。
もちろん返事はないけど。
私だけを受け入れる森の道を歩きながら、なるべく平坦な道を選んで小屋へと戻った。
オルファ、ごめん。
人助けじゃなくて狼助けに全財産使っちゃった……。
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