第18話 ぐうの音も出ない


「リナちゃんは難しい家庭環境だったのかもしれないね」


 昼下がりの団長室。

 俺に書類を差し出しながら、オスカーが言う。


「どういうことだ?」


「昨日の帰り際、私はリナちゃんとちょっと話してたでしょ」


「……ああ」


 俺があからさまにいやな顔をするのを見て、オスカーがクスクスと笑う。


「私にはカレンがいるんだから、そんな顔をしなくてもライバルにはならないよ」


「それはわかっている」


 オスカーがリナに恋愛的な意味で興味を持つとは思っていないし、リナもそうだろう。

 だが、オスカーの優しい微笑とリナの気を許しているような表情にいら立った。

 結局リナに男が近づくのは何がなんでも許せないんだろう。心が狭いなんてもんじゃないな。


「で、リナの家庭環境とは?」


「リナちゃんから聞いたわけじゃないんだけどね。彼女、甘え下手で人に頼らないタイプなんじゃない?」


「ああ。よくわかったな」


「子供のときに甘えられる大人がいなかったのかもね。自分がしっかりしなきゃっていう環境で育ったのかも」


「……」


 父親は優しかったと言っていた。すでにこの世にいないとも。

 母親は……話題に出てきたことはない。

 リナと話をするときも、彼女がいた世界の文化やオルファとの思い出話が多く、そういえば家庭の話をほとんど聞いたことがなかった気がする。

 あまり気にしていなかったが、オスカーの言うような過去があったのだとしたら、彼女の性格にもなんとなく納得がいく。

 リナのどこか寂しげな瞳を思い出して、愛しさがあふれてくる。

 医務室に走って行って今すぐ抱きしめたい。実際にやったら嫌われるだろうが。


「シルヴァン、頬を染めてないで。君、リナちゃんのことになると本当にわかりやすいし色々おかしくなるよね」


「ほっといてくれ。どうしたらリナは甘えてくれるようになるんだろうな。俺はもっと思いっきり甘やかしたいのに」


「そこまで信頼関係が築けてないんじゃない?」


 オスカーの言葉が胸に突き刺さる。


「一年近くかけてだいぶ信頼を築いてきたはずなのに……」


「たしかに君にはわりと気を許してるようには見えるよ。でもそれだけじゃまだ足りないんじゃないかな。カレンと同じくらい手ごわいだろうね」


「カレンがオスカーを好きなくらいに、リナが俺を好きにならなければいけないということか。いつになるんだそんなの。その前に解呪が完全になってリナが出て行ってしまわないか心配だ」


「ああ、リナちゃん出ていきたがってるんだ」


 クスクスとオスカーが笑う。

 笑いごとじゃない。


「でもそれに関しては君が悪いよ。彼女を中途半端な立場においてる」


「中途半端だと?」


 さすがにムッとする。

 俺が好きでやっていることとはいえ、リナにはいつも感謝の気持ちや側にいてほしいことを伝え、生活に関しては何一つ不自由がないようにしている。


「感謝しているから自分の家でずっと暮らしてほしい、生活の面倒も見るって言われてもさ。君だったらその言葉だけを信じて相手に自分の生活すべてをずっと預けられる? 私は無理だけど。血縁者でも配偶者でもない他人だしね。それすらいつ壊れるかもわからないものなのに」


 ぐっと言葉に詰まる。

 たしかに、逆の立場に置き換えて考えればそれは無理だ。

 最低でも仕事くらいは確保しておきたいと思うだろう。万が一に備えて住む場所だって用意しておきたくなるかもしれない。

 ましてや、リナには頼れる血縁者もおらず、帰る場所もない。


「しかも本来妻が使う部屋を使わせてるんだよね? それがかえって悪い。“ただの恩人”であるリナちゃんが、いつ結婚してもおかしくない年齢である君の続き部屋を使って平気でいられるわけがないだろう。恋人ですらないのに」


「……」


「今は解呪っていう大きな見返りを提供しているからまだそこまで負い目は感じなくても、それが終わったらさらに不安になるだろうね、リナちゃんは」


 ぐうの音も出ないというのはこのことだ。

 結局俺は自分の気持ちだけを優先して、リナの立場や不安など理解していなかったということか。


「お前の言いたいことはわかった。今からリナにプロポーズしてくる」


「たぶんそうくるだろうとは思っていたけど、どうしてそう極端に走るかな。付き合ってもいない男にプロポーズされたら怖いだろう」


「じゃあ告白してくる」


「別にいいけど、フラれても仕事に支障をきたさないでね」


「……むり」


 両手で額を覆う。


「今さらだが、お前はどうやってあのカレンを落としたんだ」


「どうって言ってもね。あえて言うなら真心とか誠意とか」


 カレンも厳しい家庭環境だった。

 飲んだくれ親父に支配された家庭の中で愛する妹のために子供の頃から働き、独学で読み書きを覚え、奨学金で医療師の学校に通った。

 あの気の強さも自分の心と体を守るために身についたものだろう。

 そんなカレンの心の氷を溶かすのは、容易ではなかったはずだ。


「とはいえカレンも最初からお前が好みのタイプっぽかったしな。リナはどんな男がタイプなんだろう……」


「さあ? それは彼女に聞いてみないと。あえて言うなら優しい男とかじゃないかな」


「俺は優しいのに……」


「リナちゃんに対してはそうみたいだね」


「含みがあるな」


 オスカーはただ曖昧に笑う。

 とそこで、ノックの音が響いて返事をする前にアレスが入ってきた。

 ノックの意味がほとんどないな。


「ご所望のものの原案を持ってきました。あとは職人と相談してください」


 言いながら、アレスがデスク越しに一枚の紙を渡してくる。


「ああ、ありがとう。……今日はライアスはリナのところには行っていないか?」


「今のところは。今日はカレンもいますしね。じゃあオレはこれで」


「ご苦労だった」


「はい」


 アレスはきびすを返してさっさと出ていく。

 相変わらず愛想がない。


「アレスに何か頼んでたのかい?」


「ああ」


 オスカーに隠すようなものでもないので、先ほどアレスに渡された紙を渡す。


「なるほど。アレスはこういうのを考えるのが得意だよね。さすが君の側近、有能だ」


「まあな」


「ライアスも君への忠誠心でいけばアレス以上だし、色々な仕事をできるようになってくれるといいんだけどね。アレスにはない人懐こさがあるし」


「ライアスは俺を慕いすぎているし、俺に夢を抱きすぎている。感情に左右されるから側近として使うのは難しいだろう。しかも何が気に入らないのか、まだ恋人ですらないリナに絡む」


 重い溜息が漏れる。

 いままで俺に恋人がいたって別に何の反応も示さなかったくせに、なぜリナにだけ。

 今はアレスに様子を見させているが、おかしな真似をするそぶりを見せたときは容赦しない。


「君がリナちゃんに見せる優しい顔が、彼の理想と違うからとか? それとも結婚適齢期の君に貴族の女性と付き合ってほしいのかな」


「俺の中に理想を見出されても迷惑だ」


 まるで一部の貴族のようだと思う。

 継ぐべき爵位もない俺だが、王太子殿下に信頼されているためその将来性に賭けて縁談を持ち込もうとする貴族もいる。

 そしてそういう貴族のご令嬢は過分に俺に期待し、この容姿もあいまって俺が理想の男になるのを期待する。

 面倒なことになるのがわかりきっているから当然そういう女性と付き合ったことはないが、勝手に期待されるのも型にはめられるのもうんざりだ。

 その点、リナは俺の肩書や地位、財産にまったく興味を示さない。期待もしない。自立心の強さゆえなのかもしれないが。

 だから、彼女の前では侯爵家次男でも妾の子でも騎士団長でもない、ただの男でいられる。

 ああ……そうか。

 俺はもしかしたら、俺に寄りかかる存在ではなく一緒に歩いていける存在を探していたのかもしれない。

 だからってリナに自立をしてほしいわけではない。その心根が好きだというだけで、むしろ自立しますと出ていかれたらショック死するかもしれない。

 いくらでも俺に頼ってほしいし、甘えてほしいと思っている。


「また頬を染めてる……」


「いちいち指摘するな。今はライアスの話だろう」

  

「そういえばそうだったね。心酔されるのも大変だよね。とはいえライアスもそこまで馬鹿じゃないから、敬愛する君が大事にしている子におかしな真似はしないと思うよ」


「そうだとは思うが、リナが心配だ」


「こんなクセの強い男だらけのところで働かせなきゃよかったのに」


「街で働くほうが心配だ。だからといって家にずっといてくれるわけでもないし」


 俺としては誰の目にも触れさせたくない。生活に不自由などさせないから、できればずっと安全な家の中にいて俺だけを見てほしい。

 だがリナはそれを望まない。

 俺の身勝手な感情を押し付けるわけにはいかないから、働くことに反対などできるはずもない。

 自立心を愛する一方でずっと家にいてほしいとは、俺も矛盾しているな。


「子供ができればずっと家にいてくれるんだろうか」


「シルヴァン。いくらリナちゃんが好きでも、犯罪行為は駄目だよ?」


「馬鹿なことを言うな。将来の話だ」


「そうだよね、ごめん。話が飛躍しすぎてたから」


 リナの感情を無視して身勝手な真似をしようと思えば今までいくらでもできた。

 リナ側からドアに鍵をかけられるがそれだって簡単に壊せるし、使用人も結局俺の意に逆らうことはできない。

 すべてが俺の思い通りになる環境だからこそ、過去の傷を抱えるリナには慎重すぎるほど慎重に接してきた。

 先日は危なかったが。


「将来か。リナにおかえりなさいダーリンとか言われたら俺は嬉しすぎて鼻血を流してしまうかもしれない」


「たとえ結婚してもリナちゃんはダーリンなんて言わないと思うけどね」


「リナに似た子供なんて生まれようものなら、かわいくてかわいくて職場に連れてきて膝の上に乗せたまま仕事をしてしまうかもしれない。いや、俺に似てもかわいいだろうし結局リナが生んだ子ならなんだってかわいい」


「君、いつもそうやって色々妄想してるんだね……。呪いで人格が変わった?」


「変わっていない。愛する人と結婚してもうすぐ子供が生まれるお前がうらやましい」


「ふ、そうでしょう。君からそんな言葉が聞く日がくるとは思っていなかったけどね」


「我慢のかいあって信頼はかなり得た。まずはデートだな。明日が楽しみだ」


 親しくなるにはまずデートだ。

 ここ何か月も狼に戻る時間に変化はないから、もう昼間街に出ても大丈夫だろう。

 手をつなぐくらいなら許されるだろうか。それも様子を見ながらだな。

 楽しい時間を共有できたらいいんだが。


「そういえば。今さらだが、昨日はなぜリナと話していたんだ?」


「通りかかってたまたま鉢合わせたから少し世間話をしただけだよ」


「そうか。リナに関して何か変わったことやリナが困っていることがあったら報告してくれ」


「了解」


 オスカーが、曖昧な微笑を見せた。

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