第3話 俺は今、裸だ
俺は今、裸だ。
何かの比喩じゃない。一糸まとわぬ全裸だ。
全裸でベッドに横たわっている、人間の男。
隣のベッドには、安らかな寝息をたてる少女。
事後というわけではない。少女は着衣している。
俺はどうしてこうなったのか。
記憶を整理してみた。
まず、俺は自分が何者なのかを思い出せない。
思い出せる一番古い記憶は、森の中で足に激痛が走って倒れ込み、やがて全身が痺れて動けなくなったこと。
どうやら猟師の仕掛け弓にかかったらしい。
そして気づいたときには、檻の中に入れられて町に連れてこられていた。世にも珍しい、銀色の大きな狼として。
猟師は毛皮かはく製にするために俺を売るという話をしていた。
そんな死に方は御免だと焦っていたところ、フードを目深にかぶった少女が俺を買ってこの小屋に連れてきて、手当てをしてくれた。
命の恩人だ。
愛らしい顔をしたその少女は、俺を撫でて首筋に抱きついた。
もしやペットとして俺を買ったのか?
だが待て。
どこからどう見ても狼だが、俺はおそらく人間だ。
見た目は狼でも中身は人間の男なんだが、抱きついたりしていいのか?
いいのか? と言ったところで、少女には俺は狼にしか見えてないだろうし会話ができるわけでもない。
だから仕方がないと、されるがままになっていた。仕方ないと言いつつ、彼女のいい香りと柔らかな感触に尻尾がふりふりと動いていたが。
「狼さん、ありがとう。久しぶりに夜が寂しくないよ」
鈴を鳴らすような声で、彼女がそんなことを言う。
彼女はずっとここで一人で暮らしているのだろうか。
こんなに若い少女が、こんなところで。何か事情があるのか?
なぐさめたくて、彼女の頬を舐めた。
そして今。
少女は俺の隣で寝ている。
全裸の俺の隣で。
勝手に隣のベッドで寝ようとしたのは何も下心があったわけじゃない。
今は狼だから隣で寝てもいいだろう、とりあえず床よりベッドで寝たいと思っただけだ。
繰り返そう、下心があったわけじゃない。
なぜか急に人間に戻ってしまっただけだ。
「う……ん」
少女の声がして、飛び上がりそうになる。
起きたのか!?
全裸の男が隣に寝ていることに気づけば、悲鳴をあげるどころじゃないかもしれない。
だが、彼女は目を開けない。ただのうわごとか。ほっと息を吐く。
彼女の閉じたままの目から、涙がこぼれた。それをそっとぬぐう。
少しでも慰めたくて、頭をそっとなでる。
黒く艶やかな髪はおどろくほど触り心地がいい。
どんな事情があるのか知らないが、きっと森の奥での一人暮らしは寂しく心細いのだろう。
かわいそうに。かわいそう。かわ……いい。かわいい。
……彼女はかわいい。
肩より少し長い黒髪はまっすぐで艶やかだし、今は隠れているが黒目がちな大きな瞳も小鹿のようでこの上なく愛らしい。
形のいい小さな鼻も、柔らかそうな唇も、とにかくかわいい。
年齢はいくつくらいだろう。
みずみずしい肌や愛らしい顔立ちからして、十代半ばから後半くらいか? 若いな。
黒髪を指で梳くと、彼女が小さく身じろぎ、慌てて手を離した。
そうだ、こんな風に勝手に彼女をいじくり回している場合じゃない。
俺は狼から人間に戻ったんだ。
これからどうすればいい? 俺はどこの誰だ? 何故狼だった?
人間に戻った以上、彼女とここで暮らすわけにはいかないだろう。……残念だが。
とりあえず、腰に巻く布くらいは貸してもらって、家を出よう。
そう思ったとき。
体が急に燃えるように熱くなり、気づくとまた狼の姿に戻っていた。
俺の体は一体どうなっているんだ……!?
いつまた人間の姿に戻るかわからないので、ひとまず小屋を離れた。
目の前で全裸男に変身してしまえば、彼女にこの上ない恐怖を与えてしまう。
しばらく森の中をうろうろして、腹も減ったので小動物を捕まえて食べる。
動物を生で食べて美味いと感じるとは、少なくとも今の味覚は狼のようだ。
絶対に彼女に見せたくない排泄なども済ませ、意味もなく森の中を歩き回るが、昨夜のように人間に戻る気配はない。
彼女のもとに、戻るか。
行くあてなどないし、うろうろしているとまた罠にかかるかもしれない。
少なくとも、記憶が戻るまでは彼女と一緒にいよう。
彼女の前で全裸男になったら……それはその時に考えるか。
小屋に戻ると、彼女が抱きついてきた。
ああ、やはり愛らしい。
その夜、やはり俺は夜中に人間に戻った。
今夜は自分を知ろうと、寝室にあった大きな鏡の前に立つ。あられもない姿の男が鏡に映った。
銀色の髪に、深い青の瞳。
自分で言うのもなんだが、かなりの美男子だ。
体は筋肉がしっかりとついていながらもしなやかさがあり、長身だ。
手の平には硬くなっている部分がある。これは剣を握る者の手だ。
もちろん、今は剣など持っていないが。
丸腰どころか丸出しだ。
ため息をついて、ベッドにもぐりこむ。せめて紳士のたしなみとして掛布団はかけておこう。
いまだに全裸なのは仕方がない。
服など持っていないし、全裸では買いにも行けない。それに服を手に入れたとしても、狼に戻るときに破れてしまうだろう。
決して趣味で全裸でいるわけではない。
彼女と暮らしていく中で、彼女は森の魔女なのだと気づいた。
薬草を採取し、薬を作っている。
小屋の裏にはオルファと書かれた墓があって、それがどうやら先代の魔女らしい。
彼女はそのオルファの娘なのか?
魔女オルファ……この名前を聞いたことがある気がする。
オルファについて何かあった気がするんだが、思い出せない。
それにしても、夜中に人間でいられる時間が徐々に長くなってきている気がする。
今日も彼女が寝付いてからの真夜中に人間の男に戻り、全裸で彼女の横で眠る。立派な変態だ。
彼女がこれを知ればどう思うだろう。
あらん限りに罵られるか、恐怖にひきつった顔で逃げられるか。
いずれにしろそんな事態は避けたい。
そう思うのに、彼女の隣で眠ることをやめられない。
色々な意味で危険だから、リビングで寝ようと試みたこともある。
だが、彼女に「一緒に寝ないの……?」と可愛い顔で言われて、俺はあっさりあきらめた。
隣で寝息をたてる少女。
彼女の寝顔を見るのがたまらなく好きだ。
全裸男になっているとも知らずたまに寝ぼけて抱きついてくるのも、色々と忍耐を強いられるものではあるがこの上なく幸せだ。
彼女が無邪気に抱きついてくるのは、俺を狼だと思っているからだ。
目の前で平気で着替えるのも。
なるべく見ないようにはしているが、いい意味で予想を裏切られ……いやいや。
とにかく、この歪な関係はいずれ終わりを告げるだろう。
俺が完全に人間に戻るか。
彼女に俺が人間だとばれるか。
いずれにしろ、彼女との関りまでも終わりにしたくはない。
許されるなら、人間に戻っても彼女に会いたい。
だが、今だけのこの関係……人間と狼というこの関係も、今は大事にしていたい。
俺は寝ぼけてすり寄ってきた彼女の背中に腕を回し、彼女を抱きしめた。
その小ささも柔らかさも、愛おしい。幸せだ。
だが同時に思う。これは生殺しだな、と。
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