第14話 緊張の初出勤


 初出勤の朝。

 「男ばかりだから控えめな服を着てきてくれ」というシルヴァンさんの指示に従って、体のラインが出ないゆったりとしたチュニックに細身のズボンを合わせる。

 指示がなくても、いつもこんな地味でもっさりした服だけど。

 服はこの家に来てから彼が用意してくれたものだから、派手ではないけど質がいい。

 その上からローブを羽織って、シルヴァンさんと一緒に馬車に乗り込んだ。


「ここから詰所まではどれくらいかかるんですか?」


「詰所は城門に近い位置にあるから馬車ならゆっくり行っても十分はかからないな。歩いて十五~二十分くらいか」


 よかった、次からは歩いて行けそう。

 この区域は高級住宅街だけあって、あちこちに警備兵が立っているからすごく治安がいいし、消灯時間を過ぎなければ夜ですら女性一人で歩いてもまったく問題ないとメイドさんが言っていた。


「シルヴァンさんはいつも馬車で通っているんですか?」


「いや、だいたいは馬だ。ちなみに任務以外で馬や馬車で城壁の中に入れるのは団の中でも地位のある者だけだ」


「えっ、じゃあ私が馬車で行くのはまずいんじゃ」


「俺が一緒だから問題ない。同じ家だしな」


 やっぱり明日からは歩いていこう。

 仮契約の医務室職員ごときが堂々と馬車で登場するのはさすがに勇気がいる。

 帰る時間は彼より私のほうが早いということだったから、どっちにしろ一人で帰るし。


「まさか明日から歩いて通おうなんて思っていないよな?」


「え? 思ってますけど」


「行きは俺が一緒だからそうしたいというならそれでも構わないが、帰りはリナは夕方、俺はもっと後になる。リナ一人を徒歩で帰すなんてできない」


 前から思っていたけれど。

 彼は過保護だと思う。


「このあたりはすごく治安がいいですよね。だから大丈夫です」


 もともと、森を一人で歩いたりしていたのに。


「そうはいかない。明日からは馬で一緒に行こう。帰りはいったんリナを家まで送って、また団に戻る。馬ならあっという間だからそれくらい問題ない」


「団長であるシルヴァンさんに送り迎えはさせられません。騎士団の中にはたかが仮契約の職員が団長にそんなことをさせて、と思う人も出てくると思います」


「リナは俺の大恩人だ。そういう不届きなことを言い出す男がいたら俺が思い知らせておくから気にするな」


 そんな不穏な言葉が出てきて、ちょっと怖くなる。


「歩いて通勤したいんです。運動不足気味だからちょうどいいし」


「しかし」


「お願いです。散歩は好きだから全然苦になりません」


「……。わかった。なら、朝は一緒に行ってくれるか? 俺も運動不足にならないよう歩こう。歩いて一緒に通勤というのも悪くないしな」


「わかりました」


 本当は目立つから別々に通勤したいけど、どこかは譲らないと彼は納得しないからここは受け入れよう。

 そのまま馬車に揺られ、裏門でシルヴァンさんの身分証と作ってもらった私の身分証を提示してあっという間に詰所の前に着いた。

 うん、近い。全然歩ける距離。今日は荷物が多いから馬車は素直に助かったけど。

 彼が色々な薬が入った大きな鞄を軽々と持ってくれて、詰所の建物に入る。

 入口から近い場所にあるドアに、「医務室」というプレートがかかっていた。


「ここが医務室だ。鞄はここに置いていいか?」


「はい、お願いします」


 医務室には、今は誰もいなかった。

 中はそう広くはないけれど、薬が置いてある棚は大きくて、色々な薬が置いてある。

 空いている棚もあるから、あそこに自分の薬を置かせてもらえたらいいなぁ。


「リナ、団員を広間に集めてある。紹介するからついてきてくれ」


「は、はい」


 すごく緊張してきた。

 団員って何人くらいいるんだろう。

 森の小屋でも引きこもり、シルヴァンさんのお屋敷でもほぼ引きこもりだから、大勢の前に出るなんて緊張して仕方がない。

 廊下の突き当りの扉の前に、人影が二つあった

 男性と女性。


「ああ、ここで待ってたのか。リナ、紹介する。副団長のオスカーと、その妻で医療師のカレンだ。話してあったとおり、カレンは今妊娠中だ」


「はじめまして、リナと申します。よろしくお願いします」


「副団長のオスカーです。よろしく、リナちゃん」


 この優しそうな男性が副団長なんだ。

 シルヴァンさんより少し年上くらいかな?

 少し長めな濃い茶色の髪に、深い緑色の瞳。そして左目に片眼鏡をかけている。

 なんだか、騎士というより学者と言われたほうがしっくりくる。


「医療師のカレンよ、よろしくね」


 うわあ、カレンさんって美人。スレンダーで足も長いし。

 燃えるような赤い髪とダークグレーの瞳がきれい。

 お腹はふくらんでるけどまだそこまで大きくはない。妊娠六か月くらいかな?


「未熟者ですが、ご指導よろしくお願いします」


「まあ、丁寧にありがとう。それになんてかわいい子かしら。でも団長、ずいぶんと若い子じゃない」


「そんな目で見るな。言っておくが、リナは二十一歳だ」


「えっ、そうなの。てっきり……」


「まあまあカレン。その話はこのへんで。団員も待っているし」


「わかったわ、アナタ」


 とろけそうな笑顔をオスカーさんに向ける。

 シルヴァンさんに向ける視線は冷たかったけど。


「じゃあ行こう、リナ」


「あっ、はい」


 緊張で足が震えてくる。

 シルヴァンさんが、そんな私の手をとった。


「!」


「大丈夫、俺がついてる」


「は、はい」 


 うわぁぁ。

 どうしよう、なんだか恥ずかしい。

 彼の手は大きくて、温かくて、ごつごつしている。

 剣を握る人ってこういう手なのかな、と思っているうちに、扉の向こうへと足を進めていた。


「待たせたな。先日話した医務室勤務の候補者を紹介する」


 彼が手を離す。

 私たちが立っている場所から一段低くなっているところに、たくさんの男性がいた。

 う、うわ……。百人弱くらい? 思ってたよりは全然少ないけど、みんなに注目されて心臓がバクバクする。

 なんだか中学校の卒業式を思い出すなあ。

 そう考えると、うん、平気平気。

 ……やっぱり平気じゃない。大人の男性、しかも逞しい人ばかりだし。

 もう恐ろしくて、誰とも目が合わないように視線を下げる。

 

「彼女が今日から医務室で研修を受けるリナだ。詳細は先日話した通りで、もう一度だけ言うが彼女は俺の大恩人だ。その意味をよく考えて行動するように」


 大声というほどじゃないのに、よく通る低い声。

 私と話すときは優しげだけど、こうしてみんなの前で話すときはどこか厳しさを感じる。


「今日からお世話になるリナと申します。みなさんのお役に立てるよう頑張りますのでよろしくお願いします」


 震える声でそう言って、頭を下げる。

 誰かが「かわいい声だなあ」と言ったのが聞こえて、恥ずかしくなった。

 シルヴァンさんが小さく舌打ちする。


「紹介は以上だ。訓練と任務に戻れ」


 私たちが入ってきたのとは別の大きな扉から、ぞろぞろと人が出ていく。

 こちらを振り返る人が何人かいて、あわててまた視線を下げた。

 はあ……ほんとに緊張した。

 でも、日本で社会人になっていたらきっとこんなふうに大勢の前で話さなきゃいけないこともあっただろうし、こういうことも生きていく上で避けては通れないんだろうなと思う。

 とは言っても、やっぱり苦手。



 その後シルヴァンさんに医務室まで送ってもらい、そこで別れた。

 医務室には、カレンさんと二人きり。

 男性は苦手だけど、女性とコミュニケーションをとるのも得意なわけじゃない。

 でも、頑張らなきゃ。就職ってきっとこういうことだし、街で働いたってそれは変わらないんだから。


「あの、カレンさん」


「なあに?」


「今日からお世話になるので、よければこれを」


 さっき医務室に運びこんだ大きな鞄の中から、きれいな紙袋に入れた手土産を出す。


「まあ、なにかしら」


「入浴剤です。生地の薄い布袋に入っているので、それをそのままお鍋で少しだけ煮出して煮汁ごとお風呂に入れてください。体が温まります」


 彼女が紙袋を開ける。


「ありがとう。すごくいい香りね。薬だけじゃなくこんなのも作れるのね」


「はい」


「すごいわ。ほかにはどんなものを作れるの?」


「お茶やアロマオイル、石鹸や化粧水も作ります。ハーブを使ったものばかりですけど」


「すごいじゃない。優秀な魔女なのね」


「まだ見習い程度です」


 褒められて、照れてしまう。

 失礼ながら気が強そうな印象だったけど、こうして話してみるとすごく優しい人でほっとする。


「カレンさんは医療師ということでしたけど、医師とは違うんですよね?」


「ええ。医師ほど切ったり縫ったりできるわけじゃないのよね。体調管理の手伝いが主な仕事かしら。症状を見て薬を出したり、あとは応急手当程度よ」


「そうなんですね」


 医療師って看護師みたいなものなのかな?


「だからリナも気負わなくていいのよ。重症なら城壁のすぐ外にある王立病院に回すし、詰所の騎士が大怪我することなんて滅多にないから」


「わかりました。ところで、自分で作った薬を少し持ってきたんですが、ここに置いて構いませんか?」


「もちろんよ。ああ、私やあなたが休みの日は病院を引退した老人医師が代わりに来てるから、既存の薬はそのままにして、空いてる棚に置いてね。入れ替えるものは相談しつつやっていきましょう」


「はい」


 カレンさんは、空いていた棚の一つを私の薬置き場にしてくれた。

 魔法薬も四瓶だけ持ってきたので、それは鍵のかかるところにしまう。魔法薬は効果が強く、使用量も細かく決まっている。間違えて使うと危ない。

 あとは普通の薬なので、そのまま棚に並べていく。

 とそこで、医務室の扉がノックされた。

 返事を待たずして扉が開く。


「失礼しまーす」


 入ってきたのは、体が大きくてすごく逞しい、なんというか……熊っぽい男の人。


「ダン。何か用?」


「いやー、どうも腹が痛くて、リナちゃんに診てもらおうかと」


 どっかりと診察用の椅子に座って、えへへ、と優しげ? な笑みを私に向ける。

 うっ……こわい。


「ただの食べすぎよ。じゃあね」


「そんなぁ。ほんとに痛いんだよ」


「はぁ……」


 カレンさんが気だるげに髪をかき上げて私を見る。


「じゃあちょっと診てあげてくれる?」


「わかりました」


 おそるおそる、ダンさんの向かいに座った。

 彼はチラチラと私を見る。

 町にいたジャックさんみたいないやらしい視線は感じないけど、珍しい動物でも見るような視線って言ったらいいのかな。東洋人的な私の容姿が珍しいのかも。

 たぶん私が怖がらないように一生懸命笑顔を作ってくれている。

 そう考えればいい人、なのかな。


「お腹、どのあたりが痛いですか?」


「うーんと、このへん? いやこのへんかな?」


「いつから痛みますか?」


「えーとなあ、朝……じゃなくてさっき?」


 うん。

 元気そう。


「じゃあ、にがーい胃薬出しておきますね」


「いや、やっぱり治ったよ」


「ふふ、そうですか。よかったです」


 思わず笑うと、無精ひげの生えた怖そうな顔をくしゃっとゆがめて笑った。


「リナちゃんはまだ小さいのにお仕事してえらいなあ。何歳だい?」


 やっぱりここでも子供だと思われてる……。

 この世界の人は欧米人に近い身体的特徴だから大柄な人が多い。

 私だって日本では平均よりも大きかったのに、いつも小柄だと思われてしまう。

 それが幼く見られる原因の一つでもある。


「二十一歳です」


「おっ!? 思ったより大人なんだなあ。十二歳くらいかと思ったぜ」


 やっぱり。


「用が済んだらとっとと出ていって」


 カレンさんが冷たい声で言う。

 私には優しくしてくれるけど、ダンさんには冷たい。

 そういえばシルヴァンさんにも冷たかった気がする。


「ちぇーわかったよ」


 ダンさんは立ち上がると、チラチラこちらを振り返りながら出て行った。


「どうしようもないわね、まったく。しばらくはああいうのが多そうね」


「ああいうの?」


「リナを見に来る男どもよ」


 ええー……。

 魔女というのが珍しいのか、もしくは子供が働いていると思われてるから? シルヴァンさんの恩人がどういう人か気になるからというのもあるのかも?

 困ったなあ。


「知っての通りダンは仮病だったけど、なかなか上手くさばいたわね。ちょっと優しすぎたけど」


「ありがとうございます」


「仮病でもここに来た男どもはいったんリナに任せるわ。そういうのも含めて、リナがここでやっていけるかどうかを見たいし。何かあったらサポートするから」


「わかりました。よろしくお願いします」


「でも心配だわ」


 ふう、と口元に手を当ててカレンさんがため息をつく。

 その様がきれいで色っぽい。


「私がうまくやれるか、でしょうか?」


「ううん、そうじゃなくて。ほら、リナってかわいいし。独身男どもがそわそわするかもね」


「そ、そんなことは。それに、みんな美人のカレンさんを見慣れてるんですから」


「私は独身の頃からキツいから、寄ってくる男はあまりいなかったのよ。その点、リナは優しいしね。団長の怖さはみんなわかってるから下手な真似はしないでしょうけど」


 シルヴァンさんって怖いんだ?

 でも、騎士だしあの若さで団長を務めるくらいだから、厳しさもないとやっていけないよね。


「そうねえ、この団の中でリナにとって安全な男だと言えるのはマイダーリンのオスカーくらいかしら」


 マイダーリン。

 カレンさんって、オスカーさんのことが大好きなんだなあ。

 オスカーさんもカレンさんに向ける視線はすごく優しいし。


「さっきのダンも既婚だし一応安全なほうよ。あんな図体と顔だし言動が怪しすぎるから、色々誤解されて何度か憲兵に連行されたことがあるけど。本当は子供とか小動物とか、小さい生き物が好きなだけだし」


 なんとなく納得。

 十二歳はさすがにひどいけど。


「あとはおいおい教えていくわね」


「はい、よろしくお願いします」


 とそこで、またノックの音。

 入ってきたのは、やっぱり逞しい男性。

 私より少し年上くらいかな。


「ジャン、何の用」


「いやー、腹が痛いからリナちゃんに診てもらおうかと」


 そしてどっかりと椅子に座る。

 えーと。

 まさか今日はこれが無限に続くわけじゃないよね?

 

 ……とりあえず、今日来た人は自分のノートにメモしておこう。

 はやく顔と名前が一致するようになりたいし、あとでカルテに書き込めるし。

 ほかの人に見せるつもりはないので、日本語で書いておこうっと。



【本日のメモ】


 ダンさん

 症状:腹痛(仮病) 処方せず

 特徴:三十代前半くらい 灰色の短髪と瞳 熊っぽい


 ジャンさん

 症状:腹痛(仮病) 処方せず

 特徴:二十代前半くらい ダークブラウンの短髪、琥珀色の瞳 熊っぽいというほどではない


 ディランさん

 症状:腹痛(仮病) 処方せず 

 特徴:二十代なかばくらい ライトブラウンの長髪、青い瞳 長身


 カイルさん

 症状:頭痛 おそらく寝不足 頭痛薬を少しと安眠効果のあるドライポプリをプレゼント

 特徴:三十歳前後 スキンヘッド、ダークグレーの瞳 目の下にクマ


 ライアスさん

 症状:頭痛・吐き気(二日酔い) 二日酔いに効く薬を処方

 特徴:二十歳前後 赤茶色のくせ毛、ブルーグレーの瞳 比較的細身 ※ちょっと距離感が近そうな…



 患者として来たのはこれくらいだったけど、無意味に医務室を覗きにきてカレンさんに追い出されたり、廊下を歩いているときに声をかけてくる人も何人かいた。

 だいたいは好奇心という感じで、シルヴァンさんのおかげもあってかおおむね好意的ではあったと思う。

 ただ……疲れた。

 初日だから仕方がないんだろうけど、こんなに人と関わるなんて久しぶりだったから。

 今日だけは何が何でも送るというシルヴァンさんに甘えて、ありがたく馬車で送ってもらった。

 疲れたなあ……。

 でも、働くのってやっぱり楽しい。

 明日からも頑張ろう。

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