第15話 どうもこんばんは全裸男です
リナの部屋で共に過ごす、夕食後の「仲良しタイム」。
事情を知らない者が聞いたらいかがわしい時間だと思うかもしれないが、狼に戻る俺とリナが過ごす時間というだけだ。
いかがわしい時間でも望むところだが、世の中そう甘くはない。
出勤初日だったリナはひどく疲れたらしく、夕食時も無口で、ぼーっとしていた。
そして今。
ソファで隣に座る俺の首回りの毛足の長いところをぼんやりと撫でている。
相変わらず彼女の手は気持ちがいい。そしていい匂いだ。
尻尾が自分の意思とは関係なく動いてしまう。
『リナ、大丈夫か? だいぶ疲れているようだ』
「いろんな人と話したりするのがすごく久しぶりだったから。でもそのうち慣れるよ」
『今日は医務室に顔を出せなくてすまない。リナに嫌がらせをしたり不埒なことをする者はいなかったか』
「うん、大丈夫。カレンさんもすごく優しいし」
『彼女はオスカー以外の男には冷たいが、女性には優しい。特に年下の女性には』
「ふふ、そうなんだ」
そのまま会話が途切れる。
ごしごしと眠そうに目をこするリナが愛らしい。
『眠いのか?』
「大丈夫……」
そう言いながらも、俺の体に寄りかかって眠そうな顔をする。
俺が人間だとわかってから、シルのときであってもリナからここまで密着してくることはなかった。
家に帰ってきて、気が緩んだのかもしれない。
それとも、俺に気を許しつつあるのか……? いや、期待しすぎは良くない。良くない、が。
俺が人間のときにもこうして甘えてくれたら、天にも昇る気持ちだろうな。
朝同じベッドで目覚め、「おはよう、シルヴァン」とか言いながら胸元に頬ずりされたら。
その日は一日中部屋にこもりきりで出勤できないかもしれない。
いや駄目だ、どうしてこう邪な妄想ばかりわいてくるのか。
俺に寄り掛かるリナを見ると、彼女はすでに目をつむっていた。
このまま眠ってしまっては風邪をひくかもしれない。
彼女を起こしてベッドで寝るよう伝え、自分は立ち去るべきだ。人間に戻ってしまう全裸タイムまでそう時間もない。
そう思いながらも、小屋を出て以降一度も見ていないリナの寝顔を見られる喜びが勝ってしまい、彼女に声をかけることができない。
そのうち、スースーと規則正しい寝息が聞こえてきた。
ああ、寝てしまった。狼のときは体温が高いから、その温かさがよけいに彼女を眠りへと誘ったんだろう。
相変わらず、なんてかわいい寝顔なんだ。
この寝顔を毎日隣で見られるようになったら、どれほど幸せか。
そんなことを考えているうちに、急速に体温が上がった。
――まずい、人間に戻ってしまう。
だが俺が急に動けばリナが倒れこんで怪我をしてしまうかもしれない。
狼の手ではリナを受け止められない。
しかし俺はもうすぐ全裸男になる。いくら事情を知っているとはいえ、さすがにこの状況では……!
などと考えているうちに、人間に戻ってしまった。
ソファの上で「お座り」をしたまま戻ったから、今は全裸でとんでもないポーズをとっている状態だ。
目を覚ましたリナにこんな姿を見られたら死にたくなるだろうから、そっと膝を下ろしてその上に手をのせる。いわゆる正座の状態だ。物体の露出度がだいぶ減ってひとまず息を吐く。
だが、これはこれではたから見れば異様な光景だろう。
すやすやと眠る愛らしい女性が寄りかかるのは、ソファの上に正座した全裸男。
変態による犯罪にしか見えない。
さて、どうしたものか。
リナを起こすか? だが起こされたリナの目に飛び込んでくるのは、正座した全裸男だ。
気持ち悪いなんてものじゃない。
驚きのあまり悲鳴をあげられ、メイドが乗り込んでくるかもしれない。盛大に誤解され、明日から俺を見る使用人たちの目はさぞ冷たくなることだろう。
なら自然に目を覚ますまで待つか?
だが目を覚ました瞬間に目に入ってくるのは、やはり正座した全裸男だ。起こした場合と同じ展開になるだろう。
それならベッドまで運ぶか?
だがリナが途中で目覚めてしまえば、彼女の目に映るのは自分をベッドに運ぼうとしている全裸男だ。
俺の言い訳が早いか、リナの悲鳴が早いか。
たぶん後者だな。
悲鳴だけならまだましかもしれない。誤解されて嫌われる可能性まである。
もはやどの道を選んでも悲惨な末路しか見えない。
俺に寄り掛かるリナを再度見る。
リナの眠りが深いのは小屋にいたときに知ったが、今も熟睡しているようだ。
もしかして、運んでも起きないのでは……?
疲れて眠っているリナを無理に起こすのも忍びないし、かといってこの姿勢のまま長々と眠っては体に負担がかかりそうだ。
決してリナを抱き上げてみたいという下心からではない。
まあ、最悪悲鳴は上げられるかもしれないが、ちゃんと説明すれば嫌われはしないだろう。
邪な目的があるわけではないんだから。
どれを選んでも同じなら、もうポジティブに考えるしかない。
まずは、俺の足を静かに下ろした。
俺が体勢を変えても、リナは起きる様子がない。
ソファと背中の間、膝裏に腕をそっと差し入れても、まだ起きない。
よほど疲れているんだな。
なるべく体を揺らさないようにそのまま立ち上がると、腕の中のリナの軽さに驚いた。
いくら小柄な女性とはいえ、こんなに軽いとは。もっと色々食べさせなくてはならないな。
とはいえ不健康に痩せているわけではないし、つくところにはちゃんとついているしこんなに柔らか……いやいや。
だめだ、そんなことを考えるな。
無我の境地で運ぶんだ。邪念よ消え去れ。
リナをそっとベッドの上に下ろし、布団をかける。まだ目は覚まさない。良かった。
そのまますぐに立ち去ればいいものを、俺はついリナの寝顔に見入ってしまった。
出会ったときよりも長くなった艶やかな黒髪が、シーツの上に艶めかしく流れている。
黒いまつ毛はふさふさとしていて長い。
無防備に少しだけ開かれた唇は、みずみずしい果実のようだ。
ふいに、そこに手を伸ばす。
触れてみたいという欲求だけが頭を支配し、指でその唇に触れた。
なぞるように動かすと驚くほど柔らかく、そこに口づけたいという欲望が高まっていく。
「……ん」
リナが身じろぎして声を漏らす。
俺は正気に戻り、慌てて手を離した。
何をしているんだ俺は。眠っている女性に勝手に触れるなんて。
それに、全裸でベッドに運んだというだけでも怪しいのに、無遠慮に唇に触れていたと知られればどんな言い訳も通用しないだろう。
さっさと自分の部屋に戻ろう。
そう思って歩き出そうとしたその時、リナのまつげがぴくりと動いた。
まずい……!
俺はこのまま自分の部屋へと急いで戻るか、リナの目覚めを待って説明するか迷った。
部屋に戻ろうとしている最中にリナが目を覚ませば、尻丸出しで慌てて部屋に逃げ帰ろうとする全裸男が視界に飛び込むだろう。
リナからすればいつの間にかベッドに移動しているし、怪しすぎる行動だ。
ならばと覚悟を決め、俺はリナのベッドの上にあったクッションを引っ掴み、大事な部分を隠した。
リナが、ゆっくりと目を開ける。
ぼんやりと天井を見つめていたリナが、こちらを向く。
股間を隠して
「……!」
悲鳴を上げかけたその口を、手でふさいだ。
状況を理解できていないリナの目に、怯えの色が浮かぶ。
くそ、これじゃあ犯罪者だ。
「待ってくれ、リナ。説明するから悲鳴は上げないでもらえると助かる。誤解を招く」
クッションで大事な部分を隠しながらという情けない格好で言う。
リナはこくこくと頷いた。
俺はリナの口をふさいでいた手を離した。
「すまない、驚かせてしまって」
リナが首を振って、上半身を起こす。俺から目をそらしながら。
たしかに目のやり場に困るだろう。
俺は今、酔っ払いの宴会芸みたいな格好をしているからな。
「そうだ、私シルと一緒にいて……寝ちゃった、んですよね?」
「ああ。そのまま俺が人間に戻ったからベッドに運ばせてもらった」
「すみません! こんな子供みたいな……。運ばれても気づかないなんて」
「ずいぶんと疲れていたようだし気にしなくていい。家に帰ってきて、ほっとして気が抜けたんだろう」
そう言うと、リナがなぜか意外そうな顔をする。
「それに、こちらこそ勝手なことをしてすまない。こんな格好で」
リナの頬が赤く染まる。
その様子が艶めかしくて、唇に触れていたときの熱が再燃する。
胸の奥にわきあがる邪な考えを、なんとか追い払った。
「俺は部屋に戻るよ。ゆっくりと休んでくれ」
「はい。すみませんでした……」
俺を見ないように顔を横に向けながら、赤い顔でリナが言う。
「いや、こちらこそ。じゃあおやすみ」
クッションはそのまま自分の部屋に持っていくことにした。
男が股間を隠していたクッションなど、返されてもリナは困るだろう。あとで新しいのを用意する。
自分の部屋に戻って扉を閉め、長い溜息をついた。
危なかった。いろんな意味で。
極力触れないようにしていたのに、馬鹿なことをしたものだ。
ガウンを羽織り、深呼吸してひとまず心を落ち着かせる。
だがしかし、ひとつ収穫があった。
リナはシルだけでなくシルヴァンをかなり信用している。
男に対する警戒感が強いリナが、いくら狼の時だったとはいえ寄りかかって眠るとは。
それに、口をふさいだ時こそ怯えを見せたが、全裸男にベッドに運ばれたと知っても恥ずかしがるだけで危機感や警戒感を見せなかった。
リナのシルヴァンに対する警戒が薄れてきているのは感じていたが、ここまでとは。
男としては複雑ではあるが、リナに関してはそれくらいでちょうどいい。
俺を男としてまったく意識していないというわけでもなさそうだしな。
惚れていると思うほど自惚れはしないが。
少しずつ、少しずつ。
俺はリナとの距離を詰めている。
これでいい。
強引に物事を進めるのは馬鹿がやることだ。
狩りは確実でなければならない。失敗すれば逃げられる。
リナの瞳に俺だけが映る日が、楽しみでならない。
彼女の唇の感触が残る指を、自分の唇に押しあてた。
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