謙信、アンタ漢だよ

「……本当に、謙信はわたしと別れないでいてくれる?」


 蜜音の問いに、謙信はこくんとうなずいた。


「……わ、わかった……」


 折れた。蜜音が。

 付き合って二週間くらいしか経ってないというのに、蜜音の気持ちは本物なのか。

 正直、蜜音がこんな条件を、白濁液飲むようなお気軽さで簡単に飲むとは思わなかったわ。喉につかえても知らんぞ。


「なーんでそこまで謙信に固執するのよ?」


 俺が思わず蜜音にそう聞いてしまうのも致し方あるまい。ビッチ心理なんてわからんって、以前に学んだとはいえな。


 すると。


「謙信は……わたしに好きだって言ってくれた今までの男の中で、唯一、きれいだから……」


「は?」


「もう、謙信を逃しちゃったら、きれいな男の人と巡り合えない。本気でそう思っているの」


 いろいろ自覚しているが故の結論か。バカは考えることもバカだな。そしてガバガバは考えることもガバガバだ。

 

 しかし謙信は。


「……言っておくが、おまえからも勝手に別れたりできないからな、いいか?」


「う、うん!」


「ちょ、謙信……」


 自分から修羅の道へと足を踏み入れるような発言をする。

 考え直せよ、まだ間に合うぞ。そう思ってストップをかけようとしたのだが、謙信は首を横に振るだけだ。


「いいんだ球児。じゃああとはよろしく、スカウト先輩」


「お、おう。じゃ、じゃあ、蜜音だっけか。気が変わる前にさっそく契約を……」


「ちょっとまって! もうひとりいるはずでしょ、わたしよりもAVに向いてる女が!!」


「……は? だれ?」


「わたしを乱痴気の道に引きずり込んだあの忌々しい女よ! 今日だってここに来るはずだったのに、なんで来ないの、あのナチュラルボーン超ウルトラスーパービッチは!! 後で行くから待ってて、なんて言ってて、あいつは違うところで違う相手とイッてるっての!?」


 蜜音が今度は切れ気味に錯乱してきた。

 蜜音を乱痴気に引きずり込んだ忌々しい女……あ、同じ科のやつでもう一人いた、いかにもビッチのことか。聖子だか性子だか名前失念したけど。


「……他人のことを気にするくらいなら、とっとと事務所にでも行って契約してこい」


「ひっ」


 だが、蜜音の悪あがきは謙信の怒気を孕んだ一言に葬り去られた。


「謙信、わたし、待ってる! 待ってるからね!」


「……ああ。せいぜい希望を失わないように待ってろ」


 連れ去られる前に蜜音が残した未練の言葉を、謙信は軽くいなす。


 なんだこの三流マカロニウェスタンみたいな展開。

 まあもし身長が142センチで一子相伝の暗殺拳を身につけた『ウェスたん』なんて登場人物が出てきたら、もうそれはマカロニウェスタンではなく何か別のコイビト・スワップだけどな。


 PR終了。


「おい球児、ところで証拠の画像とかはどうした?」


 こちらの都合が一段落したと思ったのだろう、蜜音が立ち去った後に坂本先輩が声をかけてきた。


「あ、それは謙信のスマホに……そうだ謙信、悪いがスマホのデータをSDかなにかにコピーさせてくれないか。この先輩は雑誌社の記者でな、今回の愚行を記事にするためには謙信が撮影した画像が必要……」


「……いい。これごと渡す。もう俺にこのスマホは必要ないからな」


「ほ?」


「……いいのか?」


「はい、球児の先輩なら信頼できますし」


「……わかった。その信頼に、最高の記事で応えよう」


「お願いします」


 それから事の顛末を俺から説明され、事態を把握した坂本先輩は去っていった。


 いちおう詳細はわかる限り伝えたはず。

 独自の情報網があるらしく、坂本先輩は『これだけわかれば十分』と、頼もしい言葉を残してくれたし、一網打尽にできそう。大学の評判下げ止まりはどうしようもないとしても。


 で、乱痴気現場に残されたのは。

 そこら中に飛び散った、やたらとにおいのきつい透明だか白濁だかしているできることなら触れたくない液体と、謙信、そして俺だけとなる。


「……なあ、球児」


「ん?」


「許せないよな」


「……ああ」


 誰が許せないのか。

 それはもう明らかなので、俺はわざわざ『誰が?』と問いただすことはしなかった。


 だが、『何が許せないのか』だけは共通認識ではなかったのかもしれない。


「……俺はナメられてたんだ」


「ああ」


「経験のない俺には、蜜音を気持ちよくさせることなんてできない、とな」


「……ええ?」


 ちょい待ち。

 気にするとこ、そこかいな。チンポジが不安定なのと同じくらい、些細な問題じゃない?


「聞いただろう、蜜音がいけしゃあしゃあと言ってのけた、あの一連の見下すような言葉を。どこまでも上から目線で、『わたしが教えてあげる』なんて、偉そうに」


「……」


「俺を見くびってやがったんだ、蜜音は! 自己鍛錬を怠らないことだけが取り柄の、この俺を! 我慢汁が出る間もなくひとナメでイッてしまう童貞だと、舐められてたんだよ!!」


「いやそれナメられてるけど舐められてないじゃん」


 あー、これ、おとことしてのプライドの問題になっちゃったのね。


「だからこそ、愚行の報いだけじゃ足りなさすぎる。俺は、男としての矜持を取り戻すため、蜜音をわからせないとならない。別れるのは、そのあとと決めた」


「……」


 わからせる?

 いったい何を考えてるんだ、謙信は。わからなみ。


 理解が追い付かず頭に疑問符を浮かべたままの俺に、淋病患者のような、いや淋しそうな笑みを向け。

 謙信は口の先っちょから、心に残った最後の膿を吐き出し始めた。


「……ありがとな、球児。全部俺に教えてくれて。もう会うことはないかもしれないが、おまえが吉崎さんと仲良く大学生活を送れることを願っているよ。じゃあな」


「は? おい、どういう意味だ、謙信、謙信!?」


 そのセリフの真意を問いただすも、それに応えることなく、そのまま謙信は去っていく。引き留めることなど不可能だわ。


 ……でもなんか、ここからとてつもない喜劇が起きそうな予感しかしねえんだけど。吉崎さんがいれば、謙信を説得できたのかもしんねえけどさ。


 そういや吉崎さん、無事に家まで帰れたのかな、とは少しだけ気になったが、まあいいだろ。いろいろありすぎて疲れたから休もう。


 ちなみにこの次の日、謙信が大学に退学届を出したと。

 俺はもう少し後に知ったのだった。

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