第一章その2

 昼休みが始まり、早速一緒に弁当を食べようとすると男子生徒や一軍連中が草原葵に群がった時、教室の引き戸が突然激しく音を立てて開いた。


「葵!! 迎えに来たわよ!!」


 鋭く凛とした声に教室内が静まり返り、草原葵争奪戦の熱気が一気に冷めた。

 涼を含む生徒たちは一斉に前の扉へと視線を集中させると、隣のクラス――三組の花崎睦美はなさきむつみだった。

 美紀ほどではないが背丈はそれなりにあり、ほっそりとしたシルエットの小顔美人で長い黒髪を編んでまとめ上げ、不正や風紀を乱す者は許さないと言わんばかりのキリッとした眼差しは、日本刀にも通じる鋭さだ。

 事実、一年生ながら「鬼の風紀委員」と呼ばれてもっぱら細高前理事長の孫娘だという噂だ。

「ああごめんごめん睦美……みんなごめんね。あたし睦美と食べる約束してたから」

 葵はちょっと申し訳なさそうな表情になりながら、教室内に睨みをきかせる睦美の所に行く。すると恐れを知らないことに定評のある菊本恭平きくもときょうへいが、無害を装ってるつもりなのか両手を見せながら訊く。

「花崎さん、俺たちも一緒に――」

「男子はお断り!! 下心見え見えよ!!」

 睦美はバッサリと拒絶して扉を閉めると、みんな一斉に緊張を解いて安堵の息を漏らした。

 だが次の瞬間には休み時間になるたび、葵に群がってきた男子生徒たちは諦め、戸惑い、怒りと嘆きの声が上がる。


「クソッ……まさかあの花崎と友達だなんて、そんなのありかよぉ……」「おいおい、鎌倉から来たのに花崎と仲いいなんて」「ふざけんなよ! せっかく可愛い彼女ゲットできるチャンスだったのに!」「終わった……今秋だけど、俺の春が……終わった」


「思わぬ伏兵がいたわね……まずは花崎さんを倒さないと駄目ね」

 美紀は苦笑しながら大地の前に座って弁当を広げる。チヤホヤしていた男子たちに、女子生徒たちは「ざまぁみろ」と言わんばかりにわざと聞えるようにクスクスと嘲笑し、ヒソヒソ話をしてる。

 さすがの涼も群がった男子生徒たちに「いい気味だ」と思いながら弁当を広げると、大地は余計なことを言う。

「涼……抜け駆けのチャンスはまだあるぞ」

「そうよ、でもどうして花崎さんは草原さんと仲いいんだろう?」

 首を傾げる美紀の言う通りだ。どうして関東である神奈川の鎌倉から九州の熊本に来た草原さんと仲がいいんだろう? SNSでの知り合い同士なのかもしれない。涼はそう結論付け、いつものように三人で昼食を食べ、お喋りを適当に聞きながら昼休みを終えると葵が戻ってきた。

 午前中とは正反対に五時間目の休み時間中は女子生徒たちが群がり、男子生徒たちは悔しそうに見ている。

 女子生徒たちは仕返し兼景気づけと言わんばかりに、男子たちの悪口を乱射している。

 つくづく女子の陰口というのは陰湿でえげつない、涼は触らぬ神に祟りなしと思ってると美紀は大地の席まで来る。

「お前は加わらないのか?」

 大地が単刀直入に訊くと、美紀は首を振って哀れむような目で小声で言った。

「陰口大会なんてうんざり……サッカー部にいた時もそうよ。超ブラックでレギュラー争いに蹴落とし合い、彼氏できた子には抜け駆けだ裏切り者だとかで……嫌気が刺したの」

 大地は共感した様子で頷く。

「確かに、だが自分のしたことはどんな形であれ……自分に返ってくる。それも誰も予想できない嫌なタイミングでな……涼、お前はそろそろ報われてもいい頃だ」

 涼に話しを振ってきて「えっ?」と戸惑い、俯いてた顔を上げる。僕、そんなに悪いことした? 目を泳がせると美紀は苦笑した。

「あんたはいい意味でよ、小学生の頃覚えてないの?」

「うん……もう記憶なんか残ってない」

 涼は頷く。今更思い出してなんの役に立つ? 小中学校どころか……小さい頃の思い出も忘れてしまった僕に? そして六時間目のチャイムが鳴り、眠たい授業が始まった。


「葵! 帰るわよ!」

「うん、それじゃあみんな、また明日ね!」

 授業が終わって放課後になると予想通り花崎睦美が迎えに来た。半径約数メートル以内に近づく男子生徒に対して睨みを利かせている。

 しかも背後から接近する男子生徒も見逃さない。まるで全方位にフェイズドアレイレーダーで探知し、次から次へと来る男子という名の航空機やミサイルを撃墜するイージスシステムを搭載してるようだ。

 涼は葵の背中を見送ると彼女は一瞬だけ振り向き、目が合って葵は不思議なものを見るような目をしていた。そういえば今朝も僕のことを見ていたような気がするが気のせいだろう。

 そんな一日が終わると、美紀は突然思い立ったかのように立ち上がって申し訳なさそうに言った。

「ごめん! 大地、涼、今日ちょっと用事があるから先に帰ってて!」

「ああ、気をつけてな」

 大地は頷くと、美紀はそそくさと走って教室を出る。涼はまさかと思い、少し躊躇いがちに言う。

「追わなくていいの? 誰かに呼び出されたんじゃない?」

「そうだとしても、俺は美紀の意思を尊重する」

「……大地や僕の知らない誰かに告白されて、取られちゃっていいの?」

「気持ちのいいものじゃないが俺はあいつの幼馴染だ、それ以上口出しする権利はない」

 そう言って大地は鞄を取り、涼も席を立つといつものように駄弁りながら帰った。



 木崎美紀は細高を出て走るとすぐに追いつき、睦美と一緒に帰る葵に声をかけた。

「草原さーん! 花崎さーん!」

 声をかけられて二人は振り向く、睦美は少し警戒してる表情だ。

「あっ、君は確か一緒のクラスの……えーっと」

「木崎美紀よ、よろしくね草原さん!」

「うん、こちらこそ!」

 葵は歩きながら少し緊張した表情で頷いて視線を睦美に移すと、彼女は少し警戒した様子だ。

「あの……葵に何か?」

「花崎さんごめんね驚かして……ちょっと草原さんと話したかったの」

「そ、そうなの? ねぇ、あなた誰かに……男子に頼まれてない?」

 睦美の表情は厳戒体勢に入っている、美紀は歩きながら首を傾げて睦美に訊かれる。

「あなた、一学期の終わりに女子サッカー部を辞めたんだよね?」

「うん、そうだけど」

「女子サッカー部の子から聞いた話しだけど、あなた最近綺麗になったよね?」

「もしかして褒めてる?」

 美紀は思わず天狗になってニヤけると、睦美は周囲を見回して小声で言った。

「あなたがサッカー部を辞めたのは……男ができて頻繁に淫らなことをしてるって噂が流れてるの、ここで言うのもなんだけど彼氏とその友達の男子と乱交してるって……」

 それで美紀は一瞬で全身の血液がマグマのように煮えたぎり、次の瞬間には抑えようのない怒りが込み上げてきた。

 背中が熱くなって紫色を通り越して赤色に発光、周囲のものを溶かし、全身から強烈な熱線をぶっ放し、噂を流した女子サッカー部の連中を跡形もなく灰も残らず焼き尽くしてやりたい衝動になった。

「あ・い・つ・らぁぁぁ……全員ヤリ捨てにされろ!! 売れ残れ!! 変な男に引っ掛かって妊娠しちまぇ!!」

 もっと言ってやりたいがこれくらいにしとかないといけない。草原さんや花崎さんをドン引きさせかねないし、大地と涼の名誉に関わるかもしれない。

 だから真っ向から否定した。

「花崎さん! 私、そんなこと絶対ないから!」

「そ、それならいいけど……」

 怪訝そうな目で見る睦美に対して、葵は断言してくれた。

「睦美、この人の言ってることはきっと本当だよ。だってクラスで陰口言ってる時、いつも木崎さんだけ離れて見ていたから……ねぇ、木崎さんってもしかしてさぁ……人間関係で部活とか辞めたりしたの?」

「うん、女子サッカー部にいたんだけど……レギュラー争いとか蹴落とし合いや、男子サッカー部の子たちとの痴情のもつれとかで、嫌になっちゃったの。辞めたら辞めたで、裏切り者扱い……それからクラスでも居場所をなくしちゃったの」

 美紀はあまり思い出したくない女子サッカー部だった頃を振り返り、ありのままを話すと葵は苦笑して言った。

「じゃあ君はあたしと同類だね! 鎌倉に住んでた頃もそうだったわ。本当は助け合うべき仲間なのに蹴落としあって、大人たちは止めるどころか遠回しに煽るばかり……そりゃあ何もかも嫌になっちゃうよね?」

 葵は伏目になって俯いたかと思った瞬間、意を決したかのように顔を上げてパッと花咲かせたかのような明るい笑顔に変わり、ポンと葵は右手で美紀の肩を叩いた。

「でも大丈夫、あたしも君も居場所がないなら……一緒に作ろう!」

「うん! ありがとう草原さん、これからよろしくね!」

 不思議な子、美紀はこの子は信じていいと断言してしまいそうな瞳をしている。美紀は気になってたことを訊いた。

「ところで……草原さんはどうして花崎さんと仲いいの? SNSとかの知り合い?」

「私の家の隣、葵の父の実家なの、夏休みや冬休みとかで遊びに来てたから」

 睦美の答えに納得した。なるほどお盆や正月とかの長期休みで帰省するたびに遊んでたのか。葵は両手を後頭部にやって少しうんざりした口調になる。

「もっとも、ここ数年会えたのはお盆やお正月くらいだったけどね……でも! これから睦美とたっっっくさん遊べるから! その分を取り返すよ!」

 葵はまるでこれから沢山の楽しいことが待っている! と両手を広げて、くるりと回って睦美に止められる。

「はいそこまで! 葵、わかってると思うけど、私たちは将来に向けていろいろと準備や勉強をしていかないといけないのよ!」

「ええ睦美いつから石頭になったのよ! いいじゃない、今しかできないことを沢山やろうよ!」

 葵は唇を尖らせて不満を露にすると、睦美は溜息吐いた。

「お祖母様が存命なら、きっと今でも理事長をやっていたのに」

「……もしかして花崎さんってやっぱり、前の理事長先生の……」

「孫娘です。お祖母様が今も生きていれば規律と秩序が保たれていたのに!」

 睦美がまさか前理事長先生の孫娘という噂が本当だったということに、美紀は驚きだった。葵は首を傾げて訊いた。

「睦美のお祖母ちゃんって、細高の理事長先生だったの?」

「ええ、厳しい人だったけど今も尊敬してるわ。今の細高を見たらお祖母様きっと卒倒するわ」

 睦美は呆れた表情で首を横に振る。葵は何も知らないようだし、前理事長先生のいた細高のことを孫娘のいる前で話すわけにはいかないと思慮を巡らせた。

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