第三章その2

 宝箱を図書準備室に持って行き、テーブルの上に置かれた箱を囲む。

 森下先輩は一歩引いた場所からジッと見つめてる。エーデルワイス団の記録が隠された、これは先生たちに見つかってはいけないパンドラの箱とも言えるものだ。

「開けるよ、みんな」

 葵がみんなに見回しながら訊くと涼を含むみんなが頷く、葵はテープを剥がして蓋を開けた。

 中身は膨大な数のディスクと古いタイプのウォークマンが一つ、それにノートや封筒が入っていた。

 美紀は首を傾げながら見たことのないディスクとウォークマンを取り出す。

「これは? 何かのプレーヤー?」

「ミニディスクね、MDって呼ばれていたけど今はもう使われてないものよ」

 睦美は一枚を取って見つめながら言う、涼も物珍しさに一枚取るとラベルにはマジックで『No.1.2003.0510』と書かれていた。MDは全部で四〇枚近く、それは高校入学してしばらくした日から、卒業の日まであり最後の日付は卒業式の日だった。

 大地が取った物は『No.38.2006.03.01』と書かれている、恐らくは卒業式の日だ。

「一年の一学期から卒業まで……全部記録してたのか……見てみろ」

 大地がもう一枚取り『これを見つけた未来の君たちへ』と書かれたMDを涼は見つめながら言う。

「これは、見つけた僕たち宛てのメッセージかな?」

 葵はMDプレイヤーを取って入ってたスピーカーにセット、コンセントに繋いだ。

「これからみんなで聞いてみようよ!」

 先生が来るんじゃないかと思ったが、みんな不安よりも好奇心の方が勝ってしまったのかもしれない。大地が持ってるMDを葵が受け取ってセットし、再生ボタンが押されると少しの沈黙を経て落ち着きのある少年の声が流れる。


 やぁ君たち。これを聞いてるということは見つけたんだね? 僕は真島翔、エーデルワイス団の記録係だ。僕たちがこのMDに記録、思い出の写真やノートを残したのは細高での厳しく、窮屈な規則に縛られ、堅苦しい生活に嫌気が刺した仲間と組んだ……いわば秘密結社を後世の君たちに伝えるためだ。

 勿論、今聞いてる君たちはそう感じないかもしれないし、時代が変わって校則も見直されて変わってるのかもしれない。


「真島……翔」

 葵は驚きの表情を抑えてるようだが後で訊けばいい。今は彼の言葉に耳を傾ける。


 君たちが今どんな時代に生きてるのか、僕たちにはわからない。

 だが青春というのはたった一度きりだ。君たちが学校と言う狭い檻の中で、息苦しさを感じたのなら、居場所を教室の外……学校の外に見出すといい。

 僕はこの三年間、授業よりもずっと大切なことを全て学校の外で得た。

 もし学校や教室に息苦しさを感じて居場所がないのなら、より広い外に居場所を探せ。

 必ず君の考えに共感して仲間になってくれる人が、必ず近くにいる。僕たちの三年間は……エーデルワイス団の存在は真面目に規則を守って勉学に励んでる人からすれば、先生や大人たちの目を掻い潜り、自分達だけ楽しい青春を謳歌してるようにも見える。

 反発を招いて嫌がらせを受けたり、陰口叩かれたり、策略に嵌められて五人の関係が修復不可能になると思うくらい喧嘩したこともあった。

 何度も解散しようかと思った。何度も辛酸をなめ尽くすこともあった。

 でも、そのたびにみんなに救われた。辛かったと同時に楽しかった。

 これ以上楽しいことはないんじゃないかと思うくらい、最高の三年間だった。

 柴谷太一、中沢舞……そして僕の彼女、神代彩に後輩の山本穂波やまもとほなみ、僕たち五人はずっと一緒だ! それを……終わりにしないといけないなんて。


 翔の声が唐突に震えた、もしかすると今にも泣き出しそうな思いで録音してるのかもしれない。


 僕はこの時がずっと続いて欲しい……今日の卒業式前日、五人で集まった。あの子は声に出して、叫んだよ……嫌だ、もうみんなに会えないなんて……嫌だって……ずっとみんなと一緒にいたい。

 彩は言ってた。また必ずみんなで集まろう……この思い出を糧に生きていこうって……でも僕は、人間と言うのは弱い。特に……弱虫な僕は、思い出だけで生きていけるほど……強くないんだ。

 これからは今まで以上に辛いなことが待っていて、エーデルワイス団の仲間を頼らずに乗り越えていかないといけない。どんなに打ちのめされても生きていかないといけないなんて……特に中沢舞は……僕以上に酷く取り乱していた。

 無愛想な無口な奴で、毒ばっかり吐いてるくせに寂しがり屋。

 この期に及んで、みんなと離れるくらいなら一緒に死ぬとか、私を一人にしないでとか、穂波ちゃんを置いて行くのは嫌だと、小さくてヒステリックな子どもみたいに泣き叫びやがって……このメッセージを残そうと提案したのは彩だ。

 僕はエーデルワイス団の記録係として、最後の任務を果たす。

 エーデルワイス団を、君たちに託そうと思う。僕達には描けなかった物語を君達が描いて欲しい、そして僕達が君達に託したように、この学校を去る時に次の世代のために託して欲しい。

 そして一人でも多く、居場所のない人達を救ってくれ。

 僕達は、この学校を卒業する……どうか悔いのない青春を送ってくれ。

 僕達から君達への、たった一つの願いだ……僕達の願いを君達に託す!


 再生が終わり、静かに聞いていた涼は卒業する日を思い浮かべる。

 中学の時は……覚えてないが、逆に素敵な仲間に巡り合えて充実した日々を送った人にとっては辛い日なのかもしれない。

「これが、彼の残したメッセージ……真島さん辛かったんだね」

 睦美はプレイヤーからMDを取り出し、箱に戻すと大地は無表情のままへの字にしていて腕を組んだ。

「青春の終わりか……想像したくないし、考えたくもないな」

「でも真島さん達……凄く幸せだったと思うよ。世の中には……青春を知らないまま大人になってしまって、その後悔を死ぬまで背負い続けて生きてる人がいる」

 涼は死んだ兄の顔を浮かべながら言う、美紀や大地がお節介焼きなことに感謝しようと内心肝に銘じながら。涼の言葉に一歩引いた場所から聞いてた森下先輩は歩み寄り、そして箱に入っていたノートを差し出す。

「その通り、そしてそのノート……みんなに、特に米島君に見て欲しいものがあるわ」

「これって……手作りのアルバムじゃない?」

 美紀がノートを受け取って開くと、最初のページには森下先輩が教えてくれたルールが書かれていた。

 更にページを捲ると、二ページいっぱいに思い出を切り貼りした写真や、落書きで埋め尽くされていた。真ん中には卒業式の日を切り取ったのか、卒業証書の入った筒を持った制服姿の男女四人と後輩らしき一人の女の子の写真が切り貼られていた。

「あれ? この人……」

 葵は微かに驚きを見せると美紀が気付く。

「どうしたの葵?」

「ううん、なんでもない」

 葵は写真の下に書かれた真島翔の名前に手を触れる、図書室に寄贈したこの四人だった。誰が書いたのかわからないが、丁寧な筆跡で書かれていた。

『平成一五年五月一〇日、今しかない今を精一杯生きるために結成したエーデルワイス団は平成一八年三月一日、未来に向けて解散する』

「この人達が……エーデルワイス団を作った」

 美紀は呟きながらページを捲ると今度は別の生徒達で、結成は平成一九年六月三日、解散は平成二一年の三月一日卒業式の日だった。ページを捲ると二年生になってから見つけた人達や、三年生の夏休みの終わりに結成した人達もいた。

 美紀は温かい笑みでゆっくりページを開く。

「……みんな楽しそう笑ってるね」

「うん、凄く羨ましい」

 葵も羨望の眼差しで見てる。そして次のページを開くと、涼は目を見開いた。

「えっ……どうして」

 次の瞬間、涼はページを見つめたまま硬直した。

 開いたページには死んだ涼の兄――米島隼人の姿があった。

「兄……さん」

 しかも驚くことに、一年生の頃の森下先輩と親しげに写っていた。静かに動揺する涼に気付いた葵が肩を掴む。

「どうしたの涼君!? 大丈夫?」

「兄さん、兄さんだよこの人!」

 涼の震えた言葉でみんなの視線が兄に集中する。

「この森下先輩と写ってるの……米島君のお兄さん!?」

 睦美は驚愕を隠せず、美紀も写真を見つめる。

「嘘……涼のお兄さんエーデルワイス団だったの?」

「森下先輩、もしかして涼の兄貴と……」

 大地は森下先輩に視線を移すと、彼女はゆっくりと重く首を縦に振った。

「そう、米島君のお兄さん……隼人君と付き合ってたの、内気でクラスに居場所がなくて図書室に篭ってばかりいた時に、隼人君が手を差し伸べてくれて……夏休み前に思い切って告白して一緒に夏休みを過ごしたの」

 その頃の涼は中学二年で中体連出場に向けて練習に励んでいた頃だ、森下先輩はそっと兄の切り抜いた写真に触れて思い出すかのように瞼を閉じる。

「隼人君がこの世を去る日まで私の人生で一番美しく、眩しく、カラフルに輝いていたわ。これからの人生がずっと思い出に浸るための余生だと感じるほどね」

 森下先輩はもうずっと前から兄の死を受け入れてるようにも見える。まるでもうすぐ兄の後を追うような、ある種の危うさを感じるほど穏やかで眼差しと表情だ。

 どの写真でも兄の表情は卒業アルバムには見せてない、穏やかな輝きを見せていた。

「あ……ああっ……」

 涼は記憶を封印した鍵がボロボロ崩れるように解かれ、兄との思い出が蘇るたびに止めようのない大粒の涙が溢れ出して震えた声を絞り出す。

「兄さん……兄さん……兄さん!」

 嗚咽する涼に葵は温かく心を包むよう微笑みながら涼の背中に手を添える。

「涼君、あたしにはわかるわ……写真の隼人さん、心から笑ってるよ」

「うん、少なくとも隼人君は満たされて逝った。これだけは確かよ」

 森下先輩も頬には一筋の雫が流れる。涼は兄が追い詰められて苦しんだ末ではなく、心を満たされて死んだという安堵と、改めて兄を亡くした実感でいっぱいだ。

 兄さん、どうして? もう訊いても答えてくれない兄のことで必死に涙を拭っても止まらない、彼女の前で泣くべきではないのに。

 それでも葵は温かくて優しかった。

「涼君、我慢しないで……泣いていいんだよ」

 涼はくしゃくしゃになった顔で彼女を見つめると、そっとに抱きしめてくれた。

「自分のために流す涙と、誰かのために流す涙は違うわ。君はお兄さんに生きて欲しかった、幸せになって欲しかった、その気持ちでいっぱいだから泣いてるんだよね?」

「涼、お前が泣く時はいつも誰かのためだった」

 大地が言うと美紀も頷き、涼はもう止められなかった。大丈夫、この瞬間を守ってくれる友達もいる。涼は葵の胸の中で泣いた。こんなに声を上げて泣いたのはいつ以来だろう?

 写真の兄が森下先輩を見つめる温かい眼差し、それは涼にもよく見せてくれた。

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