第六章その5
――涼、真っ暗闇で最悪の状況下でこそ最高の自分を出せるようにベストを尽くせ!
痛みを堪えながら立ち上がって翔に押さえ付けられた男のフードを脱がせる。
「あんただな、SNSで散々葵に嫌がらせをして晒したのは!」
「それがなんだっていうんだ!? お前に関係あるのか!?」
男はヒステリックに喚き散らして暴れるが、翔が完全に押さえて動けないようだ。
男は肥えて髪が不自然に禿げ上がっており服装の割には不釣り合いな程歳を取っているが、この人どこかで見たことあると思いながら追求する。
「それじゃあ細高にOBだと名乗って理不尽なクレームを送り、おまけに僕達に不利な情報や嘘の情報や噂を流したのもあんただな!」
「ああそうだよ! お前こそ先輩への口の利き方と敬意ってもんがないな!」
男は口角泡を飛ばす、涼はキッと睨むと葵は戦慄した表情で見つめる。
「涼君……この人知ってる……ハロウィンであたしを撮ろうとした人よ」
それでやっと思い出した。この男はハロウィンデートの時に着替えて戻ってきた葵を撮ろうとして断られたあのカメラマンだ! まさか彼女が断ったからという些細な理由でアシッド・アタックを!? 涼は問い詰める。
「まさか、撮影を断ったからあんなことを!?」
「いいやあの平田葵がお前と付き合ってること自体だよ、知ってるぜ! お前は米島涼で、平田葵と付き合う前は根暗な陰キャだったんだろ?」
挑発する男に修也は殴り掛かろうとする。
「この野郎そんな理由で草原に――」
「待って修也、落ち着いて」
涼は右手をかざして制止する、修也はピタリと止まって「ああ」と我に返った表情で引き下がる。この男の言う通りだ、葵と出会わなかったら今もそうだったから涼は否定しなかった。
「ああ、そうだよ」
涼は頷くと男は見上げて絶望・嫉妬・憎悪・殺意に満ちた眼差しで饒舌に、そして大袈裟に捲し立てる。
「俺もお前くらいの頃はよぉ、お前と同じ根暗な陰キャだったんだ! クソ理不尽に厳しいブラックな校則の中、真面目に勉強やっていても校則を守らねぇクラスのカスゴミどものサンドバッグにされながら受験勉強頑張ったのに失敗! 虐められたトラウマで人が怖くて四〇になっても未だに就職もできねぇ! 好き放題やってたあいつらは俺よりいい大学に行くし、いい会社にも入って金も時間もあって結婚して子供もいて幸せで順風満帆な上級国民になってやがる! こんなの不公平意外なにものでもねぇだろ!!」
確かに理不尽で不公平だ。だけど人生とはそういうものだ、彼は未だに気付いてない――いや気付かないフリをしてるのだ。その事実に目を背け続けて喚き散らす。
「わかるか!? あいつらのせいで俺はこうなった! 細高の理事長が死んで校則が緩くなって、俺は今までなんで心身削って我慢してきたのに!? なんでお前みたいな陰キャが友達もいて子役アイドルだった彼女もいて! 平田葵! お前もだ!」
男に唐突に呼ばれた葵はビクッとして怯えながら見つめ、男は容赦なく罵倒する。
「お前だけ苦しくて辛い現実から逃れて、沢山の人に迷惑をかけて失望させたくせにのうのうと楽しそうにくだらない青春を謳歌しやがって! だからぶち壊しにして目覚めさせてやろうと思ったのに、こいつが邪魔しやがったんだ!」
男の言うことはだんだん支離滅裂になっていく、きっと何を言ってるのか自分でもわからなくなってるんだろう。
あまりにも哀れだ、こんな奴に葵が掴もうとした青春や人生を……と思うと涼は頭の中が真っ白になり、次の瞬間には純粋な憤怒で満たされて歯をギリギリと噛み締めて気付いてなかったが、怒気を放ってエーデルワイス団のみんなは察したのか静かに動揺しながらも身構えていた。
哀れな男の意味がわからない罵詈雑言に翔も聞き飽きたのか、あるいは涼の怒りを察したのか、お喋りは終わりだと言わんばかりにギリギリと締め付けを強くして男は情けない悲鳴を上げる。
「あああああ痛い痛い痛い!! やめてくれ……」
「ならもう喋るな、すぐに警察も来る。お前の戯言はもう終わりだ」
翔は威圧する口調で告げ、顔を上げて涼にサングラス越しにアイコンタクトすると男に冷たい眼差しと表情を向け、今まで抑えていたものを開放、腹に溜め込んだ怒りを吐き出すように声を張り上げた。
「……自分の不運や不幸を他人に押し付けるな!!」
男の表情が「ハッ」として固まり、辺りが一瞬で静まり返った。
エーデルワイス団のメンバーや通行人、騒ぎを聞き付けてスマホで動画を撮ってる野次馬、果ては駆け付けた警察官まで涼に視線を向けていた。
「悲運を大袈裟に嘆いて自慢して悲劇のヒロインぶるな! 見苦しいぞ! 惨め? 理不尽? 不公平? そんなの当たり前だ!!」
男は図星なのかさっきまでの歪んだ表情が徐々に重く沈んで言い返せない表情に変わる、それでも涼は自分に手を差し伸べてくれた女の子を傷付けた奴に、容赦なく罵声を飛ばす。
「あんたにだって今日まで立ち上がって、向き合って、変わるチャンスはいくらでもあったはずだ! 違うか!? 今日まで何をしてきたか言ってやる! あんたは何もせず、安全な場所に引き篭って、偉そうに不平不満ばかりを口にして、他人の成功や幸福を嫉妬して、失敗や不幸を喜んで同じような境遇の奴と傷を舐め合うだけ! そうだろ!? 違うなら違うって言ってみろ!」
哀れな男は何も言えないのか惨めな表情を見せる、それでも涼は葵を傷付けた代償を突き付ける。
「このままじゃいけないってあんたにだってわかってたはずだ! だけどそれから目を背けて、逃げ続けて、耳を塞いだ! 立ち上がろうとしない、向き合おうとしない、変わろうとしない、そんな奴に差し伸べる手なんていない! そして僕も、あんたに手を差し伸べるつもりはない! そして敬意を払う価値もない!」
哀れな男の表情は沈みきって何も言い返せないようだ、それでも涼は純粋な怒りを鎮めるつもりはない。
「葵が必死で足掻いて掴もうとした夢を、人生を、青春を、お前は苦しんでるのを見て喜んで、そしてバラバラに壊そうとした! 僕はあんたを一生許さない!」
「やめろ……それ以上言うな、頼む!」
「あんたのしたことはあんたを虐めていた奴らと同じ――いいやそれ以下のクソ野郎だ!! 惨めで、卑屈で、器の小さい自分を守るため、他人に嫉妬して、足を引っ張って、自分が不幸だからって他人を不幸にする奴は一生陽の当たる場所に出てくるな!」
涼は左手の痛みを忘れてここまで怒りを露にしたのは初めてだ。
言いたいことを言い切った気がすると、全身から汗が滲み出て呼吸も荒くなっている。
辺りが静まり返る。男は無様で悔しそうに涙を流してると、翔は彼を立ち上がらせて駆け付けた警察官に身柄を引き渡す、すぐに手錠がかけられてパトカーに乗せられた。
その後、涼は翔に連れられて近くの病院に行くとすぐに診察を受ける、その間に翔は家に連絡して両親が迎えに来るという。
そして左手はしばらくの間、包帯を巻くことになった。
病院受診を終えて涼は葵と翔の三人で病院を出ると、葵は安堵した表情でお礼を言う。
「危ないところを助けてくれて本当にありがとうございました」
「間に合ってよかった、君に嫌がらせをしていた奴は他にもいてね。うちのサイバー戦部隊が特定済みだ。軽いものは警告、悪質なものは警察に通報してるから鎮静化も時間の問題だろう」
翔は軽く言うが大丈夫だろうかと涼は不安な表情を見せると、翔は優しく微笑む。
「心配しなくていい、うちの社員は日本の自衛隊や警察特殊部隊出身者もいっぱいる。それにああいう奴らは自分より弱い奴には気が強いが、強い奴だと途端に弱くなる」
「だといいんですけどね、ところで翔さんいつから帰国してたんですか?」
「昨日帰国して妻の定期妊婦検診さ。遥翔を保育園に連れて行って午前中に終わらせてお昼からは妻とランチにデート、夕方遥翔を迎えに行って家に帰ったら仲間から細高の周りに怪しい男がいるって連絡が来たんだ。そのまま走って行ったら間一髪だったよ」
翔は苦笑しながら話すと、葵はニヤつきながら冷やかす。
「結婚してもラブラブなんてお熱いですね!」
「褒め言葉として受け取っておくよ。明日は遥翔を連れて遊びに行かないといけないし、明後日はもう日本を出ないといけない、妻には感謝してもしきれない」
かなり大変そうな仕事だが翔は誇らしげだった。涼は両親が迎えに来るまでの間、翔や葵と話しながらポケットのロケットペンダントに手を触れて決意を固めていた。
翌日、昨日の出来事は既に学校中に広まり涼は一躍有名になったが、謙虚に振る舞って一日を過ごすと、みんなにはやることがあると言って涼は先に帰る。
幸いにも左手の化学熱傷は軽く、自転車のハンドルを握るのに支障はなかった。
夕暮れの家の近くにある緑川河川敷で涼は自転車を置いて幅の広い緑川のほとりに立つと、ポケットからゆっくりとロケットペンダントを取り出して開き、兄の写真を見つめる。
それを強く握り締め、そっと胸に当てると温かい思い出が溢れていく、ここの河川敷でも兄と泥だらけになる程、よく無邪気に遊んでいた。
かけがえのない兄との思い出と共に涙が溢れ、心の中で兄の声が聞こえる。
――涼、世界を変えることは誰にでもできる、お前だって例外じゃない。まずは小さなことから変えていこう! なんでもいい、一日の始まりに日課を一つ完璧に成し遂げてから一日を始めよう! 毎朝のベッドメイクから始めるんだ!
うん、兄さん。みんなにも勧めたよ、涼は心と体を震えさせて頬に涙が伝う。
――世界や自分自身を一人では変えることはできないことがある。だから一緒に漕いだり、歩いてくれる仲間や友達を見つけよう。そして人に大切なのはキャラや立場、ルックスやコミュ力ではなく心の器の大きさだ。
僕にはいるよずっと前から。大地や修也、木崎さんに花崎さん、それに森下先輩。葵は僕の心の奥底を見抜いて選んでくれた。僕はずっと前から一人じゃなかった。
涼はすすり泣く。
――人生は理不尽や不公平で満ち溢れてる、だからこそ前を向いて歩き続けろ! どんなに失敗を重ねてもそれは絶対に無駄じゃない、失敗を恐れるな! そして立ちはだかる試練には頭から思いっきり突っ込んで一気に滑り降りろ!
気付くことができたよ。もう兄さんが居なくても、どんなに打ちのめされても、前を向いて歩くから、葵がそうしたように。涼は歯を食いしばり、兄の写真を見つめる。
――馬鹿デカいサメに出会っても怯えて引き下がらずに勇気を見せろ、何も見えない真っ暗闇で最悪の状況下に置かれてもベストを尽くせ! そしてみんなに希望を与えるんだ!
ああ、これからもやってみせるよ。それをやってみせたんだ、兄さんも見てたと信じてるよ、涼はロケットペンダントを閉じようとする手が震えてることに、まだ自分が躊躇ってることを嫌と言うほど実感するが。
――どんなに苦しくても、絶対に、間違っても辞めるな! 諦めるな! 投げ出すな!
そうさ! 僕には葵という守るべき人が、力を貸してくれるエーデルワイス団のみんながいる。兄さん、細高に来いと言ってくれてありがとう……僕はもう沢山のものを得たよ、だから兄さん。
「……さよなら」
涼は迷いと躊躇いと未練と共に、写真の兄に別れを告げた。ロケットペンダントを閉じると思いっ切り振りかぶって夕焼けの川へと放り投げた。
ロケットペンダントは一瞬だけ、太陽の光に反射して兄の魂が光ったかのように見えたが、次の瞬間には水音も立てずに最初から存在しなかったかのように儚く消えていった。
「いつか胸を張ってそっちに行くから……待っててね」
涼は涙を拭って軽やかに踵を返し、歩き始める。もう下を向いていないし、振り向くこともない、堂々と胸を張って、前を向いて涼は歩き始めた。
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