#020 チャペルもないやろ
マルガージョさんに子どもが生まれたらしい。
朝、農場に行くと、赤ん坊を抱っこしたマルガージョさんの周りに、調教師のボーゲンさんとスラヴォミールさんが集まってワイワイやっている。
「親方、おめでとう。元気そうな子が生まれたな。これ、ママ上からの出産祝いだ」
「おお、エピ! 魔女様によろしく言っといてくれ。見ろ、男の子だ」
親方の腕の中では、本当に生まれたばかりの小さな赤ちゃんが不思議そうに周りを見つめている。
「子を持つ気分はどうだ?」
「さあな。今のとこ実感ねえよ。ちっこいし、何考えてやがんのかちっとも分からん。でもたまにニコオって笑うんだ」
「うん。子どもの笑顔は親にとって宝だからな。いつまででも見てるといい」
「偉そうやな、お前」ボーゲンさんがツッコむ。
「奥さんはどうした? 俺考えてみたらまだ奥さんと顔合わせてない。あいさつしとこうと思うんだが」
「それがな、子どもが夜中泣いてるんで、嫁は起きっぱなしでな。さっきようやく寝たとこなんだ。悪いな」
「そうか。俺が生まれたのは両親が40過ぎてからでな、今の親方たちと同じくらいだ。上に年の離れた姉はいたが、3人とも、目に入れても痛くなかったんだろうな、溺愛されてた記憶しかない」
「はははっ。俺もそうなるのかねえ」
「なるだろうな。調教の時以外の親方は、家畜に激アマだ。ボーゲンさんとよくその話になる」
「ボーゲン、お前そんな事言ってたのか」
「いややなあ、家畜に優しいってのは良い牧場主って事ですよ」
ボーゲンさんは、親方の後輩の調教師だ。俺はボーゲンさん大好きだ。茶目っ気があるし、無限に優しい。最近は休みの日に2人で釣りとか行く仲だ。
ちなみにもう1人の調教師、スラヴォミールさんは年配のおじいちゃんで、雇用する身だが親方もスラヴォミールさんには頭が上がらない。
聞けば親方の先代のお父さんの頃からマルガージョ牧場に出入りしているらしい。
「俺も馬や牛との生活が長いが、可愛がればかわいがるほど可愛いんだよな。それが人間の子ども、しかも自分の子だったらどうなっちまうんだろうな」
「思いのままに溺愛すればいいさ。赤ちゃんなんてあっという間に子どもになって、そっからすぐに大人だ」
「お前知ったようなこと言うな」
「俺の昔の村では、赤ちゃんの世話は子どもの仕事だった。女手は機織りに乳搾りに必要なのでな。牧場もあって、生活もあって、親方も奥さんも大変だろう。俺で良ければ頼っていいぞ」
「お前、普段は生意気なクソガキなのに、たまに妙に老成してんだよな」
「名前とか考えてるか?」
「ああ、ジルにした。嫁がどうしてもそうしたいって言っててな。あとな、結婚式やってくれってねだられてるんだ。結婚した時はどうでもいいような顔してたが、母親になると心も変わっていくのかね」
「嫁が40でチャペルもないやろ」
「切り殺すぞてめえ!」親方がキレる。
「冗談はともかく、牧場を丸1日空ける訳にもいかんだろ」
「そうなんだよな。牛は乳しぼらないと体調崩すし、悩んでるんだよなあ」
「まあでも、女はそりゃやりたいよなあ。教会の神父さんここに招いて、形だけでも式上げたらいいんじゃないか?」
「なるほどな。今度話してみる」
※
「見てみい、エピ。マルガージョさん張り切りすぎとちゃうか? なんで2回に分けて運ぶワラを1回で運んどるんや」
「ボーゲンさんもやなとこ見てんな」
調教を終えて帰ってきた3人と俺で締めの作業に精を出す。
赤ん坊、ジルはゆりかごですやすやと眠っている。
「赤ちゃんってこんなに寝るんやなあ。何のために生まれてきたのか分からんくらい寝るなあ」
「寝るのが仕事って言うだろ」
「おっぱい飲んで寝るって至福の時間やないか。子どもはええなあ」
「ボーゲンさんも仕事終わったら、ブスのカノジョにおっぱいでも吸わせてもらえ」
「誰がブスのカノジョやねん」
その時、マルガージョさんが大声を出す。
「おおし。スラヴォミールさんとボーゲンは上がってください。エピ!」
「はい?」
「悪いけど締めまで任せていいか?」
「分かった。ジルも腹が減ってる頃だ」
「サンキュな。じゃあ、今日も1日お疲れさまでしたあ!」
『お疲れ様でした~』
マルガージョさんがジルを抱えてすっ飛んでいく。
「お疲れさん。エピ。なんなら手伝ってったろか?」ボーゲンさんが言う。
「いや、いい。タバコの火だけはちゃんとしてってくれ」
「おお、わかっとる。じゃあなあ~」
「スラヴォミールさんも、お疲れさまでした」
「あい、お疲れさま」
スラヴォミールさんは寡黙だ。
でも根っこに優しさがある。
人気のなくなった厩舎で、俺はもくもくと餌をつけて回った。
餌をつけ終わり、馬体チェックして通路を掃くと1日が終わった、
俺はロウソクを吹き消すと馬と牛の厩舎にカギをかける。
ちょっと遅くなったな。
陽はもう沈んだ。
俺は丘を敷布で滑り降り、残りの平地を駆け足で駆けていく。風が追い風になり、身体が勝手に前へと進んで行くようだ。
秋の夜長だ。虫の声が平地に響く。
俺は何だか無性に、固い尻のあいつらに会いたくて仕方がなかった。
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