#007 斬らない刀
翌日明け方。
「お、おはよう、エピ……。ふああぁ~。眠いな、農家ってこんな早起きなのか?」
「贅沢言うな。昨日は午後一杯費やしても仕事のしの字も見つからなかったんだ。ここでやるしかない」
「フレンチトーストが食いたい」オリヴィエが言う。
「お前、気合いが入ってないな。家畜とは言え動物だぞ。油断してるとガツンとこられるぞ」
俺がそう言うと、巨大な農用フォークを持ったおっさんが大声をあげる。
「その通りだガキンチョ! 馬や牛だって、生きた巨大な生物だ! 人間を見るし、生温い人間は舐められる! さあフォークを持て。ジノさんとこのご推薦だ、さぞ良い働きしてくれんだろうなあ? バリバリ行くぞ! 声出せ声!」
マルガージョ牧場の主、ポン・マルガージョが、ゴマ塩頭を振りたてて、さっそく農用の巨大フォークで飼葉を馬房に配っていく。
「農業はなあ、腰だ! 腰に、上半身のリズムを乗せんだよ! かく、浮かす、撒く! かく、浮かす、撒く! リズムよく行けえ!」
まずは馬の餌。
オリヴィエは溜め水場から真水を馬房の桶に移していき、俺は飼葉以外の、ニンジンや穀物などの餌を給しつつ、馬房に落ちている馬糞を拾って回る。
「そうだ! ボーズ! 分かってるな! 初日だから馬糞と床均しは後でと思っていたが、やれるなら馬糞だけでも拾っておいてくれ」
「オッケーです、マルガージョさん」俺言う。
「それに比べてなんだ、ロズデイルの若様はぁ! 馬は餌と水が欲しいんだ! 腹減ってりゃ、そりゃ暴れるわ! さっと、ずびっと、水入れて次の馬房へ。ちんたらして、ビビってるから余計に馬が荒れるんだ!」
「そ、そんな事いってもよ、こいつら最初から暴れているんだ」
オリヴィエはもうヘロヘロだ。
「ボウズ、エピっていったな。ちょっと見本見せてやれ」
「オーケー」
俺は水を汲んだ桶を手に馬房の前に立つ。
「見てろ。そっと扉を開ける。この時、扉は半開きだ。だが馬が逃げださない程度の隙間だ、万が一の時に自分が逃げ出せる隙間だと思え。そしてするっと入って素早く水を足してバッと出る。どうだ、簡単だろう、こんなんでビビってんじゃねえ! 後ろにさえ回らなければ蹴られはしない。お前みたいにオロオロビクビクしてるから馬の方も警戒するんだよ。こっちは飼育してる側。落ち着かせてやれ。デカい身体だが、こいつらの心は従順で繊細だ。安心感を与えてやれ。こいつらは賢い、格上の人間の言うことは聞くんだよ」
「上の人間の、命令……」
午後1。
「農地を少し見て回ったが、自生している牧草は、イネ科が多いな。カルシウムが不足している可能性があるので、馬房では飼料にアルファルファの量を少し多めにあげて欲しい。それから牛。この時期にしては乳の出が悪いみたいだから、気持ちクローバーを増やした方が良い。だが与えすぎには注意だ。腹にガスが溜まるのでな」
「なるほどな。牛の乳はクローバー不足か」親方が呟く。
「あと馬の蹄鉄だが、何頭か釘が曲がりかけているやつがいたぞ。近いうちに蹄鉄師を呼んだ方が良いだろう。マルガージョさんに言うまでもないが、蹄は馬の命だ。見た感じあの打ち方の馬が何頭かいた、最悪、新しい蹄鉄師を探すのも手だぞ」
「いや、蹄鉄師のおっちゃんは先代からの付き合いだが、曲がった釘のやつは、新しく入った弟子の手だろうな。注意するように言っておく」
※
俺はその働きをマルガージョさんに買われ、午後も農場で雇ってもらえることになった。
午前のあいだに牛と馬を放牧させた後、床均しをし終わった時点でオリヴィエは港に出向いて職探し。親方と2人して牛の乳を搾り終えた休憩時間に、世間話しながら牧草地を歩く。
「しかし立派な農地だな。この広さを親方1人で仕切るのは大変だろう」
「ああ、いやまあ、な。今さ、嫁が臨月で、実家で出産準備なんだ。それまでは2人でやっていて、たまに地元の人のヘルプで回していたんだが、お前が来てくれて助かった。知り合いの調教師にも手伝ってもらっていたが、金がなあ」
「おお、子どもか。それはめでたいな。予定日はいつだ?」
「来月半ばって話だ。だから悪いんだけどよ、それまではよろしく頼む」
「こっちも楽しんで仕事してる。動物相手の仕事は俺も楽しい。奥さんも産後すぐに職場復帰は酷だろう。俺の手が必要だったらいつでも魔女の森に連絡くれ」
「はははっ。魔女様の息子さんをこき使って悪いが、たまには頼らせてもらうよ」
※
「ほお、エビ丸にそんな特技があったか」
「特技ってほどじゃない。物心つく前から馬や羊相手に日々暮らしてたんだ。身体がリズムを覚えている」
夕食時。
1日を報告して、俺はジノお手製のキノコ汁を食う。
「まだ初日だが、この分ならエビ丸は大丈夫そうだな」
「ああ。俺は農業経験があるし、シュンは身体が出来ている。問題はオリヴィエだな」
「いくら辺境伯の息子でも、本人は8歳の子どもだしね」コロンが言って、パンでキノコ汁を拭う。
そんなこんなで初日は終わった。
※
数日後。
今日も早朝からマルガージョさんの農場で働く。
「で、結局お前は午後から何してるんだ?」俺はブラシで馬体を擦りながらオリヴィエに聞く。
「ああ、色々探したんだけど、今は網の修理に落ち着いたよ。でもスピードはおばさんたちの半分。いや、3分の1だな」
オリヴィエはプライドが許さないようで、悔しそうな顔で思い出していた。
「あのなあ、そのおばちゃんたちは10年仕事だぞ。俺だって物心つく前から動物の世話してたから今やれてるんだ。張り合う方が間違ってるんだよ」
「だよなあ。うん。分かってるんだけど、お前に負けてるっていうのがなあ」
「でもお前、手際だけならまあまあ良くなってきだぞ。ねえ、親方」マルガージョさんに話を振る。
「ん? ああ。負けん気が強いのは結構なことだ。それに同じ世代のエピの動きを見て、上手く真似てるな。大人が力でするところを、エピのテクニック見てそれを補ってる。農作業ってのはな、筋力じゃねえ。終わりのない作業の中で、いかに筋力を使わないかだ。骨で支えて、身体で受け止めて、その間に他の部分を休ませる。エピはそういうのが体に染み付いてるな」
「力じゃ大人に勝てんのでな」
「力を使わない、か」
オリヴィエには何か響いたようで、それからは時折なにか考えながら作業をするオリヴィエの表情が目に付いた。
「試したい技があるんだ」
「試したい技?」
休憩時間中、オリヴィエが日本刀を持って俺を見つめる。
「さっき、力を使わないで受け止める、みたいなこと言ってたろ? 力に力で対抗しない。試しに打って来てくれないか?」
「分かった」
俺は腰のアイスダストの刃を伸ばし、軽くオリヴィエの面を打ちにいく。
するり。
「えっ!?」
俺の打ち込みは、吸い込まれるように打ち消されて、カウンターで面を打ち返される。当然、オリヴィエの日本刀は峰だ。
「いってえ」俺はおでこを押さえる。
「出来た。こうか。こうだったんだ!」
オリヴィエは、日本刀を持った自分の腕を見つめて得心した表情だ。
「なんだ、今の?」
「父上に教えていただいた技だ。一の太刀、『空蝉』。あれは、こういう事だったんだ……」
なんか知らんが、農作業で剣の技を閃いたらしい。
普段普通に接しているので忘れていたが、オリヴィエは、武門の家系、名門ロズデイルの家柄だ。
天才は何がきっかけで閃くか分からんと言うが、今回がまさしくそれだな。
オリヴィエはじっと手元を見て考え込んでいたが、顔をあげると俺を見た。
「なあ、エピ」
「なんだよ」
「多分だけど、お前これ、できるぞ」
「なんだって?」
「逆らわずに受ける。刃は合わせて引くように。そして引き切った刃を相手に返す。力を使わない、空の空蝉。農作業で負荷を受ける身体を、他の全身で休ませながら働いているお前にならできる!」
※
俺は氷刃を構えて立ちはだかる。
「行くぞ、おりゃあっ!」
オリヴィエが駆けてくる。
俺は腰を落とし、迎撃態勢。
風のように。包み込み、巻き、払う。
そのイメージだけを描く!
ふわっ。
ザクっ!
「おぎゃあああーーーっ!」
「お、おい。すまんかった。大丈夫かエピ! 逆に、なんで出来なかったんだ?」
「知らんわ! 俺もこの流れで行けそうな気がしてたわ!」
額の切り傷に、マルガージョさんが軟膏を塗ってくれる。
「エピ。お前、牧畜はともかく、剣術はからっきしだな」
「うるせえ! お前ができるって言うからやったんだ。俺のせいじゃない」
言い合っていた俺とオリヴィエを見て、マルガージョさんが額をかいた。
「オリヴィエ。ちょっと打ってみろ」
「え、マルガージョさんにですか?」
「ああ、そうだ。早くしろ」
マルガージョさんは、農用フォークを構えて、オリヴィエを見つめる。
「け、ケガしても知りませんよ。たあっ!」
オリヴィエは予備動作なく刀の峰をフォークに打ち付ける。
するん。
ドサっ。
オリヴィエが、マルガージョさんの引いた動作だけで、地に転がっていた。
「え、あ、なんで?」
寝転がったオリヴィエは訳が分からない様子だ。
「オリヴィエ。お前のその技、完成じゃない。引いた動きで敵をいなしきる、それがまだ身に付いていない。問題はお前だ。エピ。フォークを構えろ」
「いや、でも俺、アイスダストが……」
「いいからやれ」
フォークを構える。
「いいか。おじさん全力で打ち込むぞ。当たったら怪我するぞ。いなせ」
「いや、いきなりそんなこと言われたって」
「せいっ!」
マルガージョさんのフォークが迫る!
俺は無我夢中でフォークを操る。
するん。
どさっ。
「え?」
見ると、マルガージョさんのフォークが床に落ちていて、俺はただ茫然と立っているだけだった。
マルガージョさんはフォークを拾い、1つ息を吐いた。
「たぶん、その技。完成系はこれだな。いなしきり、敵を封じ込める。カウンターはオマケでしかない。見ての通り、俺の武器は俺の手にはない」
「でもエピは、その……」
オリヴィエが当然の疑問を口にする。
それに答えて、マルガージョさんは言った。
「エピ。お前。剣が怖いんだろう」
南陽が納屋に差し、不思議な灯りとなって屋内を照らしていた。
「お前は優しい子だ。動物と接しているお前を見れば分かる。剣は対極だ。傷つけ、奪い、命を刈る。剣は怖え。命を奪う、悪魔の道具だ」
親方の言葉に、俺は何も言えない。
ああ、そうだよ。
俺は忘れられない。
母を、父を、姉を、仲間たちを突き殺した、刀ってやつが怖い。
振るう事も。振るわれる事も。
「俺はもう嫌なんだ。人間が、人間を切るって事が。みんな簡単に刃物を振り回す。当たれば、肉が裂けるって事を、ちゃんと理解してない」
俺が言うと、親方は真顔で俺の肩に手を置く。
「でもな、エピ。農家のおじさんのたわ言だが、『護る刀』ってのも、あるんじゃないのか? それだったら、さっきの技はお前にぴったりだ。大切な人を、失わないために振るう刀。そして、相手すら傷つけない刀。そんな刀だったら、お前の腰に差しといてもいいんじゃないか?」
「俺の、刀……」
「言うなれば、それは愛の刀だ」
「愛の……」
時間が止まったようだった。
俺の刀は、愛の刀。
誰かを護る、愛の刀。
「ふぼっ」
「ふぼ?」親方が首を傾げる。
「ふぼ、ふぼ、ふぼっ、ブハハハハハハっ! あいのお、かたなあ? ブハハハハハ。ラブラブソードですかあ。ぴよぴよちゅちゅちゅでちゅかあ? ブハハハハハっ!」
俺は今までの信頼をかなぐり捨てて、笑いに笑った。
「はあ、はあ、はあ」
「てめえ、おじさんが良い話したって言うのに盛大に笑いやがって」
「オコなの?」俺言う。
「イカリングっ♪」親方言う。
「クソやかましいわ」
「お前ら仲良いな」オリヴィエが呆れたようにツッコんだ。
俺にも使える刀。それが、見つかった気がした。
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