#002 アイスダストは砕けない


 俺は朝のマドレーヌを食べる。

 今日はお寝坊してしまい、リビングに行くと、ジノがダーツをしていた。

 みんなはもう朝食を終えたらしい。

「ヒゲ」

「ん? どうしたのかね?」

「俺がここに来てもう3日。そろそろ外出がしたい」

「外出か」

「そうだ。お前たちが俺の事をラブラブ愛してる状態にしてるのは別に構わん。もう慣れた。だが、俺だって男の子だ。時には野を駆け、峠を攻めたいのだ」

「リサくんには聞いてみたか?」

「ん?」

「あいつ、お前と帰って来てから、毎日何か作っていたぞ。工房にいるから、一応許可だけはもらっておけ。あんなでもうちのママだからな」


 探索フェイズ。


 この際、広場は割愛する。

 問題はこの家だ。

 大木、と言うにも大きすぎる巨木。てっぺんの方はもうほんとに木で、初夏のこの頃、青々とした葉を茂らせている。

 見上げれば、陽の当たる南側の壁面いっぱいにステンドグラス。荘厳な色調でドラゴンの姿が描き出されている。

 俺はありえんくらいのバカでかいリビングを抜け、階段を上がる。ちなみに裏は厨房だ。


 2階。

 ここからこの家の異常さが浮き彫りになる。

 まずざっと見渡して、3階への階段がない。

 2階のフロアはまるで迷宮だ。

 小部屋がやたらと多い。そして廊下は入りくねっている。ホグワーツかと見紛うほどだ。

 照明は天井にマジックヒカリゴケを配置しているから問題ないが、ここは我が家にしてもうダンジョンだ。

 俺はマッピングしながら廊下を進むが、下り階段やらスペースシャトル打ち上げ場やら、なんかもう理性を保つのがシンドイ作りだ。だいたい下り階段ってなんだ。この家には1・5階があるのかと推測する。

 そして一向に3階への登り階段は見つからない。


 俺は言う。

「助けてママ」

 そう呟くと、廊下の壁からリサの声が響いてきた。

 リサは言う。

「君、何回目だそれ」

「俺が悪いんじゃない。この家が異次元なんだ」俺は壁に向かって叫ぶ。

「はあ」

 リサは数秒、考える間を空けて、こう言った。

「B7ホールを最大戦闘速度で通過後、谷間を匍匐飛行。C49エリアとキノコ岩道の境でブーストジャンプ。そのまま一番太い通路を通って相模湾沖で展開中の米国海軍第206大隊と合流せよ」

「ラジャーザット!」


 俺は言われた通りに進軍し、米国海軍に救出されて1階に戻る。


 はあはあはあ。

 俺が息を上げていると、リサが階段を下りてきた。

「君、いい加減に工房の位置くらい覚えろ。2階に上がるたびに迷子とかちょっと面倒くさいんだが」

 反論したいがその通りなので我慢する。

「まあちょうどいい。君に渡すものがある」

 リサは手を差し出した。

 なんだ?

「さっき完成したばかりだ。受け取れ」

 見るとそれは、白い石を基石にしたペンダントだった。

 銀鎖のチェーンが光を受けて輝く。

「もらっていいのか?」

「ああ。これは材料に希少な素材を使っていてな、特別なものなんだ。売るなよ」

「分かった。ちなみに売るといくらくらいするんだ?」


 ………………。


「ちょっと道具屋行ってくる」

「売るなって言ってるだろうが!」

 バカな。こんなキレイと言えばキレイ、微妙と言えば微妙なペンダントがその値段……。

「なんか不安だな。念のために『命令』する。それを肌身離さず身に着けていろ」

「5歳の男の子が常にペンダントってなんか微妙じゃないか?」

「ごちゃごちゃ言うな。ちなみに、それはこのギルド、固い尻のメンバーは全員持っている。身分証にも使えるからマジで売るなよ。以上、解散!」

 リサが背を向けて歩きだす。

 そこで俺は思い出していた。

「そうだママ上。外出してみたいんだがいいだろうか?」

 リサは面倒くさそうに手のひらを振った。

「構わん。村の領線は越えるなよ。検問のおじさんたちにも迷惑かけるな」

「オッケー。俺もそこまで遠出する気はない。じゃあちょっと行ってくる」

「夕食までには帰れよ」



 木の家の広場を抜けて、俺は町へと向かう平地を歩いていた。

 町まではそんな遠くない。その代わり、なだらかな丘を登っていかなくてはならない。

 空には雲。初夏の入道雲がさえぎる物のないキャンパスに浮かび、向かい風が頬を撫でる。


 向かっている町、アイーシャは漁港だ。

 南に広く浜を持ち、海路でこの辺りを出入りする冒険者たちの拠点ともなる港だ。

 この辺りに冒険者たちが目指す「遺跡」はそうないが、それでも人の出入りは少なくないので情報や流通に困ることはないらしい。そんなようなことをさっきジノから聞いていた。


 やがて丘の頂上の教会が近く見えてくる。

 簡単な石塁の検問を抜け、言われた通りおじさんに挨拶して、町に入る。

 教会は物見台も兼ねており、尖塔の頂上には鐘。

 そこから海へと丘は下っていく。


 石畳の道を下っていき、俺はこの町で唯一知っている酒場、ヴィーナスの貝がらに入る。

 5歳の子どもが昼間っから酒場に行くのもどうかと思うが、そこは言いっこなしだ。

「オヤジ、牛乳とつまみをくれ」

「牛乳につまみってなんだ」ツッコみながらオヤジはミルクの入った水差しとジョッキ、ジャガイモとベーコンの小皿を出してくれた。


「疑問だったんだが」

「ん、どうしたじゃりン子」

「町の奥にある砦、あれは何なのだ?」

 俺が聞いているのは、町の端にある、小さな半島の付け根の砦のことだった。

 町と半島を隔て、ご大層にも堀を巡らせた小要塞。

 牧歌的なこの辺りの雰囲気に異彩を放っていた。


「ああ。ありゃあよ、昔の出城だ。この町は、公国、『ブリジット』の領地だ。そんでな、昔この国と『ロルン』って国が戦争をしていた。ロルンは大陸から突き出した巨大な半島の国でな、海兵戦の得意な国なんだよ。そいつらの海からの進軍を阻むために、あの砦は築かれたって訳だ」

「ふうん。なんで戦争してたんだ?」

「詳しいことは知らねえな。でもよ、この辺が戦場になったのには理由がある。それはな、北の方角にある山々だ。あの辺は昔の鉱山だ。金もとれたらしい。ロルン側はそこを押さえたかったんだろうな」


「そうか。何はともあれ昔の砦なんだな。観光がてらちょっと行ってみるか」

「いや、それは無理だ」

「ほわい?」俺言う。

「あそこは今な、ブリジット公国の辺境伯、『ロズデイル候』の別荘地なんだよ」



 実行フェイズ。


 行かない理由がない。

 あんだけちんたらモブがモブらしく説明していて、逆に何もイベントが起こらなかったら俺は作者の脳みそを疑う。


 町の中を通り抜け、砦を目指す。

 マルシェとか、道具屋とかカフェとか「シクスティーナ」の店とかあったが今回はスルーする。

 町のはずれに出た。

 そこは急なV字型の崖だった。

 崖と崖の上にアーチ状の石橋が架かり、そこをくぐるように細い道が伸びている。

 ここから見ると細道の先に吊り橋があり、その下は堀だ。

 半島自体が高低差のある小山のようになっており、まさしく天然の要塞だ。

 吊り橋の奥には大きな門。

 吊り橋を渡りそこまで歩いてゆくと、衛兵っぽい男2人が番小屋から駆け足で出てきた。


「子ども、見かけない顔だな。ここはブリジット公国・辺境伯、ロズデイル様の所有地だ。用がないなら立ち去ってもらおう」

「いや、観光したいんだが」俺言う。

「良い訳ないだろ! どういう神経してんだお前!」

「いいから通せ。言う事を聞かないとママ上に頼んで砦ごと爆破するぞ」

「お前みたいなガキに脅されて、『はい、どうぞお通りください』ってなる訳ないだろ! 邪魔だ、立ち去れ。しっしっ」

 なんだとっ、なんて無礼なやつなんだ。

「分かった。お前らのような僻地の砦警護なんかさせられている左遷組に用はない。俺はそこの岩場から釣りでもしてるから、釣り竿だけ貸してくれ」

「どんだけふてぶてしいんだテメエは! だいたい俺たちは左遷組じゃないぞ。ここに逗留しているロズデイル候の若様の警護の任を預かる身だ。その辺の兵士よりむしろ優秀だぞ」


 その言葉に俺の眉がピクリと上がる。

「ほう、では剣の腕に自信あり、という訳か」

「だったらどうした」

「一手、手合わせでもしてもらおうか」

「帰れ帰れ。子どものチャンバラに付き合う気はないんだ」

「子どものチャンバラ? ふっ。これでも故郷では同世代の中でも屈指の腕前でね。お遊び剣術かどうか、その目で確かめてもらおう」


 俺は後ろ腰に携帯していた短剣を皮鞘から抜き払う。

「む、それはまさか、シクスティーナの短剣っ!」

 衛兵の表情が変わる。


「そう。人類が知性を持つ前から、すでにこの地にあったとされる魔導具『シタリィ』、これはそれを模して造られた魔具、シクスティーナ。我が家に伝わる氷の魔剣、名をアイスダスト。こいつの錆落としをさせてもらおうか」


 俺のアイスダストを見て、衛兵たちの表情が変わる。

 2人は携えていた槍を構え、俺の動きを見つめる。


「俺も本意ではないが、この短剣が、血を啜りたいと唸るんでね」


 怪我はさせない。

 俺が魔力を込めると、短剣は氷の刃を伸ばし、長刀へと姿を変える。


「せいっ!」

 吹き抜ける風だ。無音で殺到し、袈裟斬り!

 衛兵が槍で受ける!

「食らえ、二段突き!」

 俺は二人へと殺到し、神速の二段突きを放つ。

 キイン!

 穂先の刃と氷刃が打ち鳴らされる。


 ボキっ。

 確かな手ごたえ。

 突き進もうとした俺の頭に、突如、衛兵の槍の尻がしこたまぶつけられる。

「あいたあっ!」

 俺はあまりの痛みに地面をのたうち回る。

「ぐ、ぐおおぉ」

 死ぬ、死んでしまうっ! 無茶苦茶やりやがるこいつら。こっちは自慢じゃないがまだ5歳だぞ。加減というものを知らんのか。


「なあ、ボーズ」

「はあはあ、なんだ、1発当てたくらいで勝ちを奢るのか?」

「いや、言いにくいんだが……」

「あ?」

「お前の家族伝来のアイスダスト、折れちゃったんだが……」

 な、なにいいぃ!!!

 急いで見て見る。

 氷の短剣、アイスダストが、刀身の真ん中からぼっきり折れている。

「ぎゃおおおぉーーー!」



「しくしく、ひっく、しくしく」

「なあ、まあ、悪かったよ。おじさんたちもちょっと大人げなかったって言うか。だからさ、もうおうちに帰りな」

「えっぐ、えっぐ」


 2時間が経過していた。

 俺の涙はとどまることを知らない。

 辺りはもう夕暮れだった。

 漁火を焚きはじめた漁船が湾の浅瀬を行き交い、丘の町並みはゆっくりと夜へと染まっていく。白亜の壁にぼんやりと灯りが反射して海の見えるこの町に白が浮かび立つ。


 俺はまだめそめそブヒブヒしていた。

「言いたくないけどよお、おじさんたちもそろそろ交替の時間なんだ。お前家どこだ? お父さんやお母さんは心配してないか?」

「ぐっす、い、家は、森の木の家……」


「えっ、魔女の家か!? お前魔女んちの子か?」

「うん」

「なら早く帰んな。こっから森までは子どもの足だとちょっと距離あるぞ。おじさん明日は早番だけど、今から遅番に替えれないか聞いてくるよ。おじさんが送ってやる。だから、なあ、もう泣くな」

「だって、だって」


 そこに足音が響いた。

 こつこつこつ。

 こつこつこつ、ぴた。

「こんなところに居たのかハナタレボーズ」

 泣き腫らした目を上げる。

 そこに。

「相変わらず泣き虫だな。立てエビ丸、みんな夕食も食べずに君を待っているぞ」

 リサ・マギアハートが、そこに立っていた。


「ま、ママ上……」

「心配したぞ。鼻をかめ。ほらティッシュだ。ちーんしろ」

 ちーんする。

 リサは衛兵たちに向き直ると酒の小瓶を放り投げた。

「ロズデイル候の衛士、うちの息子が世話をかけた。引き取ってもいいな?」

「はっ! 魔女様。どうぞご随意に」

「いずれ礼に来る。今日は失礼する」



 陽が暮れる直前の残光が眩しい。

 町は薄紫の西陽を浴びて白亜の壁がぼんやりと浮かび上がる。


「そうか。家族所縁の短剣が折れたか」

「うちのお父さんが先祖代々受け継いできた物なんだ。あんなあっさりポッキり折れるとは思わなかった」

「それは『熟練度』の問題だろう」

「熟練度?」

「シクスティーナは魔具だ。術者との繋がりが能力を左右する。お前がアイスダストを手に入れたのはいつだ?」

「お父さんが、死に際に渡してくれた」

「じゃあ繋がりもクソもないだろう。シクスティーナはただの道具じゃない。お前の魂を見て、お前に寄り添う、生きた道具だ。そのアイスダストは直してやれる。直したら、今度は心を込めて、慈しみ、大切に扱うんだ」


「なお、るの?」

「ああ。シクスティーナは生きている。そう簡単に死んだりはしない」

 俺はアイスダストの柄を握りしめる。

 折っちゃって、ごめんな。これからは、大切に使うから。


「寄り道をしようか」

 リサはそう言って前を歩く。

 しばらく歩いていると、牧草地に出た。

 陽は暮れた。

 柵に囲まれた小高い丘が、月の光を受けて鈍く輝いている。

「ここはマルガージョさんの牧草地だ。昼間は牛たちが放牧されている。そしてな……」

 リサはにやっと笑うと冒険袋から2枚の敷布を取りだした。

「それを尻に敷いて座ってみろ」

 俺は草原に座る。

「いいか、押すぞ、そうれ!」

 なだらかな丘を、敷布のソリが滑り降りていく。

「うわ、うわわ」

「はははっ。楽しいかエビ丸? この丘を覚えておけ。町から家に帰る定番のルートだ!」

 布のソリはなだらかな丘を駆け下りていく。

 星が瞬いていた。銀色に染まる丘をソリは滑り降りていく。


 2人でソリを走らせた。

 星々が、優しく俺たちを照らしていた。

 楽しかった。

 俺は声をあげて笑った。

 幸せはここにあるのだと、その日、銀色の丘を駆けながら俺は思った。

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