#010 追跡者エピ


「お見送りをありがとう! わたしたちはまたアイーシャに来るよ!」

「エピーーっ! またねぇ! 羽根ペン、大事にする。また遊んでねえーーっ!」

「カルナ! 達者でな。また来い! 俺はずっと、ここに居るぞ!」

「バイバーイ」


 数日の滞在を経て、桟橋から、カルナとパパを乗せたガレオン船が出港していった。

「とうとう行っちまったな」アルファが眩しそうに沖を見る。

 空は快晴、風は南。

 アイーシャ村の朝が始まる。


 森の家に帰る道すがら、俺たちは教会に立ち寄った。

 丘の頂にあるアイーシャの教会。

 外れにはぽつんと石碑が立っている。

 この村を出る者が祈りを捧げていく、旅立ちの石碑だ。

 俺とアルファ、アオイにリサは石碑に頭を下げ、カルナたちの無事を祈る。

 たった数日の日々だったとは言え、カルナはもう立派な仲間だ。


「エビ丸。友だちが増えたな」

「うん。また会いたいな。会えるだろうか?」

「あの船はエノスヴァーゲン諸島を巡って、イリマナを経由してドルノーマスに帰港するそうだ。再びこの地に来るとしても数年後の事になるだろう」

「俺がドルノーマスに行ってもいいしな」

「そうだな」

 リサが笑う。


 丘は陽の光を浴び、東への州都ガルバナへ向かう街道、北の山を越えてブリジット公国・公都「ペンタクルス」へと向かう山道、そして西の隣町マクスリーへ向かうあぜ道が、3本の線を描いて平地を横切っていた。


「わたしはちょっと町に残ってく。いいだろ、リサママ」アルファがそう言ってリサを見る。

「かまわない。夕食には間に合うか?」

「ああ、それまでには絶対だ」

「ママ上、俺も午後から親方のところだ。戻ってまた来るのも億劫だし、時間まで町にいるよ」

「勝手にしろ。アオイ、行くぞ」

「うん! ママと2人なのも、考えてみたら久々だな。ねえ、マルシェに寄っていこうよ」



「おねえちゃんはあっちだ。おっとうと、おまえはどうするんだ?」

 アルファがそう言ってあくびをした。早朝のお見送りはアルファにとって辛かったらしい。リザードマンは朝に弱いというのがアルファの持論だ。

 ちなみにジノとコロンは素材集めのクエストに出ていて、昨日から遠征している。

 俺はあれ以来連れて行ってもらえないが、リサの錬金の素材は、ギルドで交替で集めに行っている。リサの工房が家計を支えているからだ。

「う~ん。昼間っからおねえちゃんのあとついて歩くのもな。せっかくだから町の新しい店でも開拓してくる」

「分かった! じゃあまた夜にな!」

「行ってらっしゃい、おねいちゃん!」


 笑顔で丘を下るアルファを見送る。

 行ったな。俺は念のためゆっくり10数える。

「9……、10。良し、作戦開始だ」

 絶対怪しい。

 あのアルファが、昼間から町に何の用だ?


 あんな飯か宴会か俺の事しか考えていないやつに、この町に用がある筈がない。

 あるとすれば、1つ。

 男だ。

 俺だって男の子だ。そういうアレを察する力は備わっている。


 尾行を開始する。

 アルファはいつも通りご機嫌で町を歩いていく。

 アルファの、ああいう感じいいよな。俺は尾行している事もついつい忘れてアルファを見つめる。

 彼女はイヌを連れて散歩しているおばさんに気さくに声をかける。2言3言あいさつを交わして、わしゃわしゃとイヌの首を撫でる。

 最高に根明で社交的だな。アルファの笑顔を見ていると青空までもがいつもと違って見える。

 そんなアルファが、追い求める男。

 どんなやつなんだ? 本能の赴くままに追跡する。


 町を横切り、浜に沿って歩いていく。繁華街からは離れる感じだ。

 お、細道を曲がっていくぞ。あの先って何があるんだ?

 そこに。

「お~い! エピじゃないか! 仕事どうしたんだ?」

 オリヴィエが網の修理をしながら大声で呼びかけてきた。

 あのバカ! 気付かれるだろう!

 しかも、おばちゃんたちに断ってこっちに走ってくる。

 ちょっと待て。お前は友だちだが、今はすごく邪魔だ。


「お姉さんも前を歩いてたよな。ちょっと前も1人でこの道通ってたぞ。この先って何かあるのか?」

 お、ん? 新情報だ、常習的な逢瀬なんだろうか? さっき笑顔でイヌを撫でていた横顔が思い出される。思いやりのある、優しい笑顔の裏側ではエッチな行為を想像していたのか。女は怖いな。

「お前ちょっと黙れ。気付かれるだろう。隣りの部屋のカップルの性行為くらいの声で話せ」

「だいぶデカいな」

「とにかく! 俺は今アルファを追跡してるのだ。ちなみに仕事は午後からだ。お前こそちゃんと働け」

「いやさ、お金溜まったから辞めます、って言い辛くて今日も働いてるけど、給料は安いし、延々と単純作業だし、目は疲れるしでたまったもんじゃないよ。お前はいいよな、マルガージョさんに気に入られて午後はダベってるだけみたいなもんだろ? それなのに俺よりもらってて、ズルいよな」

 憎たらしい物言いで笑うオリヴィエ。

 適当にかわして追跡に戻ろうと思っていたが、その発言に俺はカチンときていた。


「お前バカか。何のスキルもないペーペーのお前を、親方も浜の漁師さんも雇ってくれたんだぞ。給料が安いのは当たり前だ。お前はその分他の物をもらってるんだぞ」

「あ? もらってねーよ。日給の手取りで全部だ」

「信頼だよ。バカたれ。辺境伯の息子だからじゃない。ただの子どものお前の仕事に、お給料払ってくれる、ありがたい信頼ってやつをお前はもらってるんだ」

「信頼……」


「前から思っていたが、お前やっぱボンボンだよな。仕事に文句言って、給料に文句言って。軽口叩くのはいいけど、お前のそれまんま本心だろ。言っとくけどな、お前に指導してくれたマルガージョさんやおばちゃんたちはある意味無償だぞ。働いた分の給料? はっ、大甘だな! かけた手間やコストに見合う100%のリターンなんてありえないんだよ! ここでサボったら他の人が自分の分を働く、今のあの人は手いっぱいだからサポートに入ってあげよう。全部、信頼なんだよ。おまけに頑張ってれば経験って報酬だって手に入る。お前が思ってないのは知ってるけどな、それは命ずれば手に入る、上に立つ人間の奢りだぞ。ましてや今はそんな事も分かってない、何もないくせに権利ばかり主張するクソガキが溢れ返っている。お前は! そんな風に! なるなっ!」


「………………」

 オリヴィエは絶句したように俺を見ている。

 たぶん、普段の口ゲンカ以外で、初めて俺は声を荒げている。

 ウゼーだろ、こんなのがダサいのは知ってるよ。でも俺は、お前につまんない辺境伯になって欲しくない。


「ゴメン、オレ……」

「………………」

「姿勢なんだろうな。思ってないけど、お前も言ったけど、オレ、やっぱりどっかでボンボンだった。お前は、偉いな。今まで、俺をちゃんと叱ってくれるのはシュンだけだった。でもシュンも、あいつは従者だから、俺の立場を考えて言葉は選んでる。お前は、何のメリットもない、いや、メリットって言葉もダセえよな。1人の人として、友だちとして、俺を叱ってくれた。ありがとう」

「いや、俺もヒートアップしてて、言い過ぎた」

「そんな事ない! マジで感謝してるんだ。オレ、もうちょっと本気でやってみるよ。お前もさ、大変だろうけど頑張れよ。なんか理由があるんだろ? だからお姉さんの尾行、頑張ってくれよ!!!」


「台無しだあ~~~!!!」



 嗚呼、温かい心の交流があったはずなのに俺のメンタルはボロボロだ。

 やっぱ柄にもない説教なんてするもんじゃないな。


 何はともあれ、あの細道だ。

 曲がり角に糸杉が生えていて、絵になる風景だ。

 わだちを歩いていくと、奥には小さな一軒家。道は行き止まっていて、残りは農地だ。

 アルファが来るのならこの家しかない。こじんまりした庭には馬房があり、ブランコまでついている。


 さり気なく眺めていると、お父さんらしき人が馬の背を拭っていた。

 30代半ばくらいの、ガタイの良い農家のお父さんって感じだ。

「お母さん。配達を頼まれてくれ。トマトとトウモロコシと、青菜も少しある。馬の準備をしているから、ゆっくり行って、ゆっくり帰ってこればいい。こっちは心配いらない。ねえ、どうだ、お前。行ってくれるね?」

「はいはい。たまには羽を伸ばしてきますよ。裏の鶏の卵をお願いしますね」

「ああ。さあ、行っておいで」


 心温まる風景だ。

 慎ましい家に、慎ましい生活。

 だが俺は知っている。この家には、十中八九、アルファがいる。

 あのお父さん、お母さんを追い出して何するつもりだ?

 うちのおねえちゃんに淫らな事したらただじゃ済まさないぞ。



 お母さんが馬を連れて出て行った。

 しばらく物陰に身を隠し家に近づいていく。

「どうだ、ここか? ここがいいんだろう?」

 アルファの声だ。

「ああ、堪らないよアルファさん」

「随分溜まってるな。ここいらですっきりしとこうや」

「こんな、こんな事を。息子の世話ばかりか、おまけに、くっ」

「まあまあ。あんたは普段、家族のために頑張っているんだ。これくらいの息抜きはバチなんて当たらないぜ」

「しかし、妻が仕事で出かけているのに」

「そんなこと言っても、ここはだいぶ固くなってるぜ。それっ!」

「ふっ、くっ、ふぬわあ」

 な、なんだ。思っていたより、はるかにアダルティーな行為が行われている予感がする。

 俺は弟として、男として、よりしっかり聞き耳を立てる。


「はあはあはあ」

「くくく、さすがに大人しくなったな。さすがのアルファさんも汗だくだ。じゃあ最後の……」


 俺はたまらず駆け出す。

「なにやってんのおおおーーー!」

 俺は玄関を通り抜け、寝室に駆け付ける。

 そこには、お父さんを下にして、アルファが上からまたがっていた。

「ダメえええ! 今回は、極力そういうのなしでいこうってコンセプトなのに! よりによってアルファがそんな……」

「お、おっとうと。お前、こんなとこでなにしてんだ?」

「ヤダから! ヤダから! そういうのって、そういうのだって知ってるけど、でもヤダから! そんな、そんなの、破廉恥よおっ!」

 俺の声を聞いてアルファは起き上がり、お父さんもその下から顔を出す。

「おいおっとうと。お前何言ってるんだ」

「そんな、そんな、着衣で……。着衣のままでなんばしとっとんですか!」

「なにって、マッサージだけど」

「マッサージって、そんな暗喩で……。小粋なメタファーで誤魔化さないでよ!」

 俺はおネエ気味にキレる。

「落ち着けって、どうしたんだエピ」

「僕は、エヴァンゲリオン初号機パイロット、碇シンジです!」

「いや、エピだろ」


 んで。

「ホントにマッサージなのですね」

「ああ。まごう事なきマッサージだ。この家の子は足が悪くてな。わたしがたまに遊んでやってるんだが、流れで家族とも仲良くなってな。ここのお父さん、頑張り屋さんだから、色々体に無理が来ててな。それでまあ、そういうことだ」

「柔らかい穴に関わる事実はないのですね?」

「ないわ。その言い方やめろ」

「ああ。よかったぁ……」

 俺は息を吐いてずるずると床の上に座った。

「おっとうと、お前わたしのことどんな目で見てたんだ。ちょっとショックだぞ」

「いや、男にはエッチな目標があるとブースト機能が発動するという特性があってだな」

「言いたくなかったんだよ。足が悪い子だから優しくしてるって思わせたくなかった。あの子はまだ子どもだ。これからきっと、辛いこともたくさん待っている。だから、心から楽しかった思い出ってやつを、作ってやりたかったんだよ」

「その子は?」

「裏の畑で頑張ってるよ」

「俺も、仕事行かなきゃ」

「ああ、行ってこい! 煩悩炸裂させてた分、しっかり労働して美味しいミルクをとってこいよ!」



 アオイがケーキを作っている。

 厨房からは甘い匂いが立ち込め、ボールをかき混ぜる音が聞こえてくる。

「もしかしてだけど、夕食ケーキじゃないよな?」俺は聞く。

「たぶんケーキだぞ。ジノもコロンもいないし、今日はあの子が料理当番だ」リサが答える。

「いや、俺、午後から農場でしこたま汗かいたんだが」

「肉が食いたいのか。わたしもだ。この前のガレオン船のバザーで遠国の塩と胡椒を買ったから、ケーキ食った後にシメで肉炒めだ」

「順番が逆な気がするが」

「そう言うな。あの子は楽しそうにやってる」


 俺はぶっちゃけ腹が減っている。

 昼間はアルファの尾行でギリギリまで時間を使ったから昼食を食べてない。

 朝もカルナたちの見送りでだいぶ早い朝食だった。

 せめて夜くらいはと思っていたが、どうやら夕食はケーキらしい。


 そこに。

「たっだいま~。お、甘い匂いがする。ケーキかな、これ?」

 アルファが鼻を鳴らしてリビングに入ってくる。

「おかえり。アルファ。手に提げているのは何だ?」リサが聞く。

「フィッシュアンドチップス買ってきたけど余分だったか?」

『ナイス、アルファ!』リサとハモる。


「なになに、どうしたの?」アルファが驚いたように聞いてくる。

「実はな、アオイの夕食、ケーキらしいんだ。ケーキ嫌いじゃないが、俺は腹が減っている。だからアルファはナイスアシストだったぞ。この際、微妙なフィッシュアンドチップスでもありがたくいただこう」

「おっとうと、お前相変わらずありえんくらいに失礼だな」

「褒めてるんだぞ」

「バカにしてんじゃなくて本気で褒めてるとこが、逆に最悪だ」

 ぎゃあぎゃあ言い合っていると、厨房からアオイがあらわれた。

 満面の笑顔で、ホールのチーズケーキを運んでくる。

「はい、おっまたせー。砂糖カリカリチーズケーキだよっ! 張り切って召し上がれえ!」


 とりあえず食す。

「うん。美味い。めちゃめちゃ甘いけど」アルファ言う。

「のど乾くくらい激アマなのに美味いから、逆に欲求不満だな」俺言う。

「え? なにが?」無邪気な顔でアオイが聞いてくる。

「いや、いい」

「きみ、砂糖どんだけ使ったんだ?」リサ言う。

「え、計量通りだけど?」

『絶対ウソだ!』

 みんなで声を揃える。



 そして。

 アオイがご機嫌で自室へ引き上げると、俺たちの第2の夕食が始まった。

「とにかく塩をくれ、塩をっ!」

「わたしは胡椒だ!」

 飢えた鬼たちが塩分を求め、リビングはちょっとした修羅場だ。


「なあ、おっとうと」アルファが口をもごもごしながら言ってくる。

「ん、なんだ?」

「昼間のアレな、ちょっとルール違反だぞ。アルファさんにだってプライベートの1つや2つあるんだ。ちゃんと反省しろよ」

「うん。悪ふざけが過ぎた。ゴメン。これからはもうちょい考えてふざけるよ」

「オッケーだ」

 リサは俺たちの話が聞こえているのに口を挟まない。

 黙ってナイフとフォークを使っている。

 リサはリサで、ちゃんとママやってんだなと、妙なところで感心する。


「なあ、アルファ」

「ん?」

「だいすきだ」

「わたしもだよ、おっとうと」

 アルファがにっこり笑う。


 罪のないギャグが家のポリシーなのにな。

 今回はちょっと、しくじったかも知れん。

 俺は謙虚なので、心の中でちゃんと反省していた。

 どこが謙虚やねんってツッコミはなしだ。

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