#004 世界


「スッゴクイイっ!」

「あ?」

「スッゴクイイ! スッゴクイイ! スッゴクイイ!」

 朝からコロンがぶっ壊れている。


 聞けば昨日、置いてけぼりをくらったコロンとアオイは森で山菜を採っていたらしい。

 が、ジノの目利きを待たずに勝手に食ったらしく、アオイは腹痛を起こして、コロンは明け方からずっと「スッゴクイイ!」を連発している。


「学名はスッゴクイイキノコである」

「そのまんまだな」

 ジノが、自室で寝ているアオイの看病を終えたらしく、薬草の入ったすり鉢を持ってリビングに入ってくる。

「スッゴクイイキノコはブリジット公国近郊の、深い森に自生するキノコだ。美味だが、その毒に特効薬はない。数日ほど、昼夜の区別なくスッゴクイイと言い続ける。身体には問題ないが、冒険中に食べると厄介である。コミュニケーションがとれなくなるのでな。加えて言うならば、ちょっと卑猥でもある」

「考えようによっては恐ろしいキノコだな」

 俺はラピュタパンの乗った皿をジノに差し出す。

「今日はアオイの看病でお前が飯作れなかったろう? 俺が作っといた、食え」

「おお、それは! ありがたくいただこう」

 ジノがにっこりと目を細める。

「ママ上は昨日から工房に籠っているだろう? 朝食を届けたいんだが、俺が行くとまた迷子になる。それ食ったら悪いが届けてくれるか?」

「了解である。うん! 美味い! スッゴクイイぞ」

「それやめい」


 俺たちが話しているのをよそに、コロンはイスに腰かけ、窓の外をボーっと見ている。

 スッゴクイイしか言えない可哀想な身体になったが、言葉を発しない事自体はできるらしい。



 俺は港町、アイーシャの町のはずれにある砦を訪れていた。

 門の前の2人の衛兵に声をかける。

「おい衛兵たち。この前はよくもやってくれたな。世話になった礼をぶちかましてやりたいとこだが、今回は別件だ。オリヴィエに会いに来た。取次ぎを頼む」

「今日も今日とて偉そうだな。若様から話は伺っている。館に案内するからついて来い」

 門が開かれる。

 その先は細い道がくねくねと続き、岩肌の傾斜が続いていた。

「この前は観光に来たと言っていたな。運の良いやつだ。せっかくだから堪能していくといい」

「うむ。崖に無理やり道を作った感じだな。入り組んでて急だし、生活に不便じゃないか?」

「ここは砦だ。道が入り組んでいるのは敵の侵入を阻むため。陸からは吊り橋を通って、この道を抜けるしかない。海からは断崖になっていて上陸は不可能だ。ここはまさに、ロルンとの戦争時代の天然の要塞だ」


 しばらく崖を上下し、小さな台地を抜けると、石造りの館が見えた。

「衛兵、ホーホル・ガブリエルより報告! オリヴィエ様への面会にエピ様がいらっしゃった。開門されたし」

 こいつホーホルっていうのか。そう言われればなんかホーホルって顔に見えてくる。

 もう一人の名前は何なんだろうな?


 館の扉を抜けると、玄関にオリヴィエが笑顔で立っていた。

「エピ! よく来たな。上がってくれ。ホーホル、案内ご苦労だった」

「失礼します、若様!」

 玄関を抜けると中庭があり、小さな噴水が飛沫をあげていた。

「キレイだな。花もいろんな種類がある」

「ああ、シュンが花が好きでな。あいつの母国の『エガンデ』や、ロルン南海の先、『エノスヴァーゲン諸島』の花々もある」

「知らん単語がいっぱいだな。お、ウワサをすればシュンだ」

 中庭のパビリオンの下、白いテーブルの上に茶菓子の用意がしてある。ちなみにパビリオンとは、オシャレな庭なんかにある屋根付きの憩いスペースだ。


「やあエピ。よく来てくれたね。昨日は世話になった。歓迎するよ」

 シュンが笑いながらイスをすすめ、氷で冷やしてある銀の水差しを手に取った。

「でもその前に、オリヴィエ?」

 シュンが目でオリヴィエを促す。

「ああ、分かっている。エピ。昨日はお前に命を助けられた。そして従者であるシュンの命も」

「お礼は?」俺言う。

「あ、ありがとう……。いや、普通お礼を催促するか? まあいいや。オレたちの命を救ってくれたお前に、今日はささやかながら歓迎の会を催した。好きなだけくつろいでほしい」

「分かった。じゃあ、俺からも一言」

「なんだエピ?」

「脂ののった牛肉のステーキが食いたい」

「そ、それは……。分かった、用意するように言っておく……」

 ここは押していこう。

 どうせ友だちに感謝もありがとうも必要ないんだ。恩を感じてくれているうちに押せるだけ押してやろうと思う。


「ははっ。エピは性格なのか、とても自由だね。さあ、グラスをとって」

 シュンはそう言って水差しを傾ける。シュンのお酌で、俺のグラスにはキンキンに冷えたミルクが注がれる。

「ここにもうひと手間だ」オリヴィエが小さな容器からグラスに琥珀色の液体を垂らしてくれる。

「この辺りで採れたハチミツだ。ミルクと良く合うぞ」

 マドラーでぐりぐりかき混ぜて一気に飲む。

「おお! 甘い。ミルクが倍美味いな!」

「そうだろう。クッキーも砂糖菓子もある。遠慮せずに食べてくれ」


 茶話会になる。

 オリヴィエは俺より3つ年上の8歳、シュンは15歳だった。

 シュンは短髪に細い筋肉質の身体ながら、心がすごく穏やかな男だった。

 オリヴィエは、年相応に生意気なガキ大将。

 3人で菓子をつまみながらウノに興じていると、とてとてとて、と金髪ツインの小さな女の子が近づいてきた。

「お兄様。お客様が来ていたのね。楽しそう。クリスもお仲間に入れて」

「クリス、構わないよ。こいつはエピ。お前と同い年の5歳だ」

「クリスティーヌ・ロズデイルです。エピさん、仲良くしてくださいね」

「ああ。こちらこそよろしく頼む。こっち座れ。俺はエピ。こいつらさっきから2人がかりで俺をハメてくるんだ。お前ウノは得意か?」

「ルールは知っています」

 愛らしい声で答えるクリスは、まるで白ウサギのようだ。

 子供用のフリルドレスを着て、いかにもいいとこのお嬢ちゃんっぽい。

「クリスはちょっとだけ身体が弱くてね。オレたちがアイーシャに来ているのも、クリスの療養をかねての事だったんだ。エピ。オレたち共々、クリスとも仲良くしてやってくれ」

「よかろう。クリス、グラスをとれ。俺がハチミツ入れてやる」

「ありがとう。エピさん」


 クリスを交えて午後からは釣りをして、夕飯は釣った魚と牛ステーキ。

 土産にハチミツの瓶までもらって大満足で別れを告げる。



「スッゴクイイ! スッゴクイイ! スッゴクイイ!」

「もういいっちゅーねん」

 コロンは、話そうとするたびに口からは「スッゴクイイ」しか出てこないジレンマを飼いならして無言になる。

 時間はもう夜。

 交替で露天風呂に入り、俺はもう寝る支度を始める。

「そう言えばママ上、今日は1回も顔合わせてないな」

「お前のシクスティーナの修理で忙しいんだろうな。シクスティーナは魔女にしか作れず、直せない。リサママが心配なら寝る前に工房に顔を出してあげな」風呂上がりで髪にバスタオルを巻いたアルファがそう言ってきた。

「いや、行きたいのはやまやまなんだが、1人で行くと迷子になる」

「じゃあ、おねえちゃんがついて行ってやろうか?」

「お、いいのか?」

「どうせもう寝るだけだ。可愛いおっとうとの頼みは聞いてやらないとな」

 アルファが髪のバスタオルをとってごしごしし、席を立つ。

 彼女からは甘い、花のような香りがした。

「アルファ、いい匂いだな」

「ありがとよ」

 2人で2階への階段を登り話す。

「男っぽくしてるのに意外だが、アルファはお風呂好きだよな。しずかちゃんと名付けたい」

「のび太さんのエッチ、ってやつか」

「それだそれ」

 笑ったアルファは、ふっと視線を落とし寂しそうな顔をする。

「わたしはリザードマンだ。親もいなかったし、ここに来るまでは辛い思いもした。『トカゲ臭いから近寄るな』とかね。言ってきたやつらは悪口を言えればなんだってよかったんだろうけど、昔のわたしはバカでな。毎日、何回も風呂に入ったよ。風呂が好きなのはその名残だな」

「ムカつくな、それ」

「昔の話だ」


「でもさ、それ。半分は照れ隠しだったんだろうな」

「あ? どういう意味だ?」

「アルファは美人だ。言ってきた男は気を惹きたくて、言ってきた女は嫉妬だったんだろう」

「そうか? そうなのかな。そんな風に考えたことなかった」

「言葉は言葉のままに。想いは想いのままに。素直に表せるやつは稀だ。美人の有名税だと思って許してやれ」

 アルファは何か考えているように沈黙していたが、やがて顔をあげて笑った。

「サンキュな、おっとうと。でも偉そうにおねえちゃんに説教する前に、リサママの工房の場所くらい覚えろよ」

「いや、だからここの2階が異次元なんだってば」



 コンコン。

 アルファに別れを告げ、工房の扉をノックする。

「エピだ。入っていいか?」

 待つ。やけに長い間を空けて、リサが返事する。

「入れ」


 部屋の風景は、まさに魔女の工房らしい景色だった。

 壁際には本棚に本がびっしり。棚には、触媒なのか、ガラス瓶に入ったなんかの目玉とか標本のような物体が並ぶ。

 そして部屋の中央には大釜。

 釜からもくもくと上がる煙は、天井の煙突から抜けて、部屋には香辛料のような独特の匂いが漂っている。


「用事か? お前の短剣なら、もう少し時間がかかるぞ」

 答えたリサの顔は疲れが色濃く出ていて、そのくせ妙な生気でギラギラとしている。

「今日は1日会えなかったからな。どうしてるのかと思って顔を出した」

「1日引きこもっていたよ。わたしは、熱中すると他が見えなくてな。今日は他に何をしていたのか記憶にない。ああ、でも。朝食をありがとうな、ジノが届けてくれた」

「焦げたりしてなかったか?」

「その焦げた部分が美味かった」

「そうか」

 リサは座っているイスでテーブルに肘をつき、手のひらでまぶたを揉んでいたが、立ち上がると俺の前に歩み寄って来て膝を折った。

「お母さんに会いに来てくれたのか?」

「うん」

「おいで。そら、抱っこだ」

 リサの胸に身体を預ける。

 あったかい。

 俺たちはしばらくそうやって抱き合っていた。

「今日はオリヴィエの砦に行った。シュンも怪我が治って元気そうでな。あと、妹に会った。クリスって名前でな。俺と同い年で、ウサギのように愛らしい子だった」

「友だちになれそうか?」

「うん。あいつらいいやつだ」

「そうか」

「でも」

「ん?」

「チョット、ツカレタ」

「やかましいわ」



 目が覚めるとそこは見知らぬ部屋だった。

 俺の横に、リサが寝ていた。

 そうか、あの後なんだかんだで寝ちゃったんだな。それにしてもここどこだ?

 ベッドから起き上がり辺りを見渡す。

 簡素な部屋だ。ベッドと机と鏡。それでほぼ全部だ。窓もない。

 工房を使ってる時のリサの休憩室かな?

 俺はリサを起こさないようにベッドを抜け出して部屋の扉を開ける。


 扉の向こうは、迷宮でした。


 ムリだ。部屋に戻る。

 どうしよう、リサが起きるまで待ってるかと思っていると、ベッドの上のリサが可愛い声を出してもぞもぞし出した。

「ぅう、う~ん。あぁ。ふわ。くぅう、ふわあああぁー」

 うお、目つきクソ悪い。寝起き最悪だな。

「おはよう、エビ丸」

「おはようママ上。よく寝てたな、第二次成長期か?」

「とっくに終わったわ!」


「ああ、ダルイ。わたしはもうちょっと寝てるから、君は朝飯でも食って来い」

「いや、外が迷宮なのだ」

「そう言うと思って、昨日この部屋からリビングへの地図を書いておいた。テーブルの上だ、じゃ、おやすみ」

 優しいな。俺の短剣の修理で忙しいだろうに。

 俺は地図を持って廊下へと出た。



 窓の外は雨だった。

 この雨だから町にも森にも行く気がしなくて午前中を無駄に室内で過ごした。


 午後になるともう限界だった。

 ヒマの極みである。

 デッカいリビングで1人ダバダバしていると、アオイがやってきた。

「あれ、みんなは?」

「知らん。朝の間はみんな出たり入ったりしてたが、昼食ってからはそれぞれどっか行ったな」

「ふ~ん。で、エピは何してたの?」

「ダバダバしてた」

「ダバダバって?」

「1人時の流れに身をまかせて思索に耽りながらコーヒーをすする事だ」

「ほんとにヒマだったのね」


 アオイが席についたので、コーヒーを入れてやる。

「なんか面白い話ないか?」

「いや、そんな雑なフリには答えられないけど」

「けど?」

「昔話でいい?」

「この際なんでもいい」

 そう言うと、アオイは話し出す。


「あのね、アオイの故郷は『ジン』っていう島国なんだけど、大昔は戦ばっかりだったんだって。国内は荒れ果てて、『ダイミョウ』同士が争う血で血を洗う国」

「ダイミョウってなんだ」

「この国で言う辺境伯。その頃は王と呼べる存在がいなくて、ダイミョウ同士はにらみ合っていた。国は疲弊して、民は常に飢えていた。そんな停滞した状況に、変化をもたらした人がいたの」

「ほう」

「そのダイミョウの名はオダ」

「オダ? お前もオダだろ。アオイ・オダだったよな?」

「うん。でも名字が同じなのはたまたまだよ。それでね、その若い小国のダイミョウは勉強嫌いで、いつも野山を駆けまわっているようなバカ殿だった。でもそれは家臣をも騙す仮の姿。本当は野駆けに行っては各国の情報を仕入れて、領地を把握し、あるモノが手に入る場所を探していた」

「あるモノ?」


「それはね、金だよ。金は魔法を無効化する特性があるでしょ。みんな知っていたけど、金はその頃から高価なものだったから、誰も数を揃えて戦に使おうなんて考えなかった。でもオダは違った。国内外の貿易で莫大な富を得て、金を採掘し買い集め、そしてジンの礎、『黄金兵団』を築き上げた。たった一代でね」

「すごいな、そいつ」

「その頃は、魔法電導の高い銀の価値が高かったから、銀を売って金を買うなんて誰も思いつかなかったんだよ。それでね、黄金兵団を率いて破竹の勢いで進撃したオダだったけど、その急進的なやり方は家臣の不審を招き、国を統一する直前で謀反にあいその命を終えた。でも人々は今でも恐怖と畏敬を持ってオダの事をこう呼ぶ。『第六天の魔王』と」

「とへ~」

「オダは歴史から姿を消したけど、ジンには今でも黄金兵団がある。小さな島国が、未だに他国の侵略を許さないのは黄金兵団のおかげ。これがアオイの故郷、ジンの昔話だよ」



 ここ2日ばかりみんなの話を聞いていて思う。

 世界は広いな。


 俺はずっと、チャンティ国の、さらに遊牧民だった。

 村を転々と変え、羊や馬を飼い、毎日を過ごす。

 良く言えば悠久を生きていて、悪く言えば変化のない、停滞した世界。


 停まっていた俺の世界を動かしてくれた人物、それはリサだった。

 停まっているのが悪い訳じゃない。

 でも俺は知ってしまったんだ。


 世界はなお広くて、争いながらも、生きている。

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