1-8

 夕暮れの空、電車の中はどことなく蒸し暑かった。イヤフォンで聴いているのは自分の曲じゃなくて、デヴィッド・ボウイのアルバム『ロウ』。詞のないインストゥルメンタルの楽曲が多いけれど、わたしとしてはかなりすきな部類だった。

 優先席近くのドア付近、座席の横に立ったまま背をもたれかけながら、わたしはメモ帳に詞を書き殴ってた。通過していく乗客たちの目に触れないよう、顔をうつむかせて書きながら。

 それから自転車に乗って家に着いたころには、自然と詞が形になっていた。四つのBはやっぱりただのしかったのか? それとも芹澤君のアドバイスが的確だったわけか?

 どっちが原因かわからないけれど、とにかくわたしは今にもギターを弾きたい気持ちでいっぱいだった。


「ただいま」

 そう言うまでわたしたちの家は死んでいたし、電気をつける瞬間まで心臓は止まっていたはず。そしてもちろんのことだけど、父は帰っていなかった。

 思いついた言葉が頭から逃げ出さないうちにと、わたしは部屋に駆け込んだ。着替えることもなく、セーラー服のまま。鞄だけベッドの上に投げ捨てた。

 ストラップも肩にかけず、パソコンにギターを繋いで。クリップチューナーで軽くスタンダード・チューニングにしたら、アンプシミュが起動する前に弾きはじめた。生音だけど、今のわたしにはそれで十分だった。


     ♪


 十五歳の産毛の少女

 いまだ不整脈の意味を信じない

 わかっても理解する気もないの


 十五歳の産毛の少女

 いまだ不道徳な自分を感じない

 感じても考える気もないの


 「帰りたくない」と言う少女に

 「送ってくよと」とある人が言って

 彼は少女を家に連れ込もうとした

 廃墟みたいな家に

 彼の人生みたく朽ちた家に

 ああ廃墟みたいな家に

 彼の人生みたく朽ちた家に


 人生は空虚を満たす作業でしょう?

 

 十七歳の産毛の少女

 いまだ不整脈を信じない

 わかっても理解する気もないの


 十七歳の猫背の少女

 いまだ恋心の意図も信じない

 わかっても理解する気もないの


 「戻りたくない」と言う少女に

 「送っていくよ」とある人が言って

 彼は少女を家に連れ込もうとした

 廃墟みたいな家に

 彼の人生みたく朽ちた家に

 ああ廃墟みたいな家に

 彼の人生みたく朽ちた家に


 人生は躊躇を致す作業でしょう?


 彼の家に音楽はなくて

 文学もなくて

 少女はひどく飽きてしまった

 蝶をピン止めするみたく、

 彼は少女を口説いたけれど

 「お生憎様わたしは蛾なのよ」


 人生は空虚を満たす作業でしょう?


     ♪


「……書けた」

 録音の終了ボタンを押して、わたしはしばらく呆然としていた。プレビューすると自分の歌声が聞こえてきて恥ずかしかったけれど、それ以上にわたしの歌がそこにあったのだ。わたしが書いた、最高の曲が。

 まだ全然作り込んでないから、コード進行が何となく決まったきりだけれど。でも、それでもたしかにわたしの歌が完成したいた。わたしには、ほかにドラムとベースと、ちょっと歪ませたエレキギターが入った状態での曲が聞こえてきていた。いまにもパソコンに向かって曲を打ち込みたい気持ちだった。

 でも、そういうわけにもいかなかった。

 ガチャガチャ、と玄関の向こうから物音。そして「ただいまー、純、帰ったぞ」という父の声が聞こえてきた。

「え、いま何時?」

 振り向けば、時計はもう午後九時を示していた。ご飯を炊いてもなければ、おかずも作っていなくて、風呂も沸かしてなかった。完全に曲作りにのめり込んでいた。


「曲作りに熱中して忘れてたなんて、相当熱中してたんだな」

 スーツからTシャツに着替えてから、父はテレビの電源を入れた。思えばテレビすらつけてなかった。たぶんこの家には、今の今までわたしのヘタクソなギターと歌しか響いていなかったのだ。

「ごめん、ほんとに。すっかり忘れちゃって」

「べつに謝ることじゃないだろ。むしろいつもやってくれてる純に感謝しないと。今日は出前でも取るか。ピザにでもするか?」

「いいよ。わたし、生地がカリカリなやつがいい。それでチーズが乗ってるやつ」

「じゃあ二人分でMサイズのピザが二つな」

「いいよ。そのあいだに風呂沸かしておく」

 わたしは鼻歌を歌いながら、風呂場に向かった。もちろんそのとき歌っていたのは、わたしが作った曲。タイトルは仮に『産毛の少女』と決めていた。

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