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図書館はこの学校でも好きな場所だ。曲がりなりにも進学校だからか、蔵書はそこそこに良い。なんでも昔は地区の図書館も兼ねていたらしくて、数十年前までは市立図書館の分館扱いだったらしい。だから高校生向けじゃない本もいっぱいあったりして、わたしはけっこう気に入っていた。
でも唯一気に入らない点があるとすれば、北校舎のすぐ隣にあって、しかも古い建物だから音が漏れやすいってところ。図書館自体はとても静かなんだけれど、北校舎は別。あそこは吹奏楽部と軽音部の練習場所があるし、北校舎の裏はちょうど校庭からのランニングコースになっていて、図書館に続く渡り廊下の下は、いつも野球部のかけ声が響いていたから。とにかく騒音が来るポイントにあるのだ。よりにもよって、静かにすべき図書館の近くに。
図書館にはわたし以外に一人男の子がいるきりだった。閲覧席に座って、ハードカバーの本を四冊ぐらい並べてる。よほどの読書家なんだろうと思った。
彼以外には図書委員が眠たそうにしているきりだ。メガネをかけた二年生があくびをしてた。
「えっと、こっちの禁帯出の棚に……あった」
閲覧席のさらに向こう。分厚い辞典が並ぶ棚の一番下にそれはあった。イメージ・シンボル辞典が一式。キリスト教シンボル辞典だとか、東洋思想のイメージ辞典だとか。でもわたしはオーソドックスなシンボル辞典だけ取り出した。背表紙に日に焼けた紙で『禁帯出』の帯が封付けされていた。
四〇〇ページぐらいある分厚い辞典だから、小脇に抱えたらそれでいっぱい。両手で持っても大変だ。あともう一冊辞典を持ってこようなんてとんでもない。
でも、わたしにはもう何冊か本がほしかった。そうしないと良い言葉が見つからないような気がして。
いったん閲覧席に辞典をおいたら、今度はカウンター近くの新規購入本のコーナーを探した。図書委員が予算をやりくりして買ってきたリクエスト本が並んでいる。でもこのリクエストって、意外とザルで、提出するとかなりの確率で買ってきてくれるのだ。つまりわざわざ図書館に本をリクエストするような生徒は、この学校にはロクにいないってこと。誰も本を読もうなんて思いもしないわけだ。
購入本のリストを見ていると、そこにはちゃんとわたしのリクエストが反映されていた。『モリッシー詩集』と『モリッシー発言集』それに『ジョニー・マー自伝』こんなのわたし以外に誰がリクエストするわけ? ちゃんと買ってきた図書委員はほんとによくやってると思う。
――それに、こんなのわたし以外に誰が借りて読むわけ?
わたしは早く読みたい気持ちに駆られながら、コーナーからその三冊を探した。でもおかしい。端から端まで舐め回すように見て回っても、どこにもないのだ。モリッシーの『モ』の字もない。マー師匠だっていない。あったのは最近映画化したくだらない恋愛小説の原作本だけ。ヤンチャなお坊ちゃまにケツを追いかけ回される下らない話だった。予告を見ただけで反吐が出そうになるやつ。
「……ない。ウソでしょ?」
本当にない。
どこにもない。
わたしは信じられなくなって、もう一度リストを見た。
いや、確かにある。モリッシーの詩集と発言集、それにジョニー・マーの自伝まで。だけど棚にはどれもないのだ。
――図書委員が間違えた?
まさかそんなはず。でも、誰かが借りたなんて考えられない。この学校でそんなことするのわたし以外に誰がいるって言うわけ?
わたしは意を決して、あの眠そうな図書委員に聞くことにした。ツカツカとカウンターに向かって来ても、委員の彼は眠たげにまぶたを閉じようとしていた。
「あの、すみません。あの、聞いていいですか?」
「なんです?」
「このリストにある、その……モリッシーなんっとかって本と、ジョニー・マー自伝って本。どこにあるんですか?」
「ああ、それなら」
くいっ、と彼は人差し指を持ち上げ、それをゆったりわたしの背中のほうに向けた。
――え?
わたしがそう思ったのも束の間、振り返るとそこには、わたし以外の利用者――つまり、あの何冊もハードカバーを広げた男の子――が座っていた。そしてよく見れば、彼の広げていた本のうちの三冊が、わたしのリクエストした三冊だったのだ。
「あの人が借りてるから。返却されたら借りてください」
図書委員はそれだけ言うと、眠そうにまたあくびをした。
しばらくわたしは、その本を借りた彼の様子をうかがった。もちろんひとつ机を離して、辞典を開き、iPodでデモ音源を聴きながらだ。
彼は何冊か本を開いていて、そのうち二冊は写真集みたいだった。なんの写真集かは知らないけれど。でも彼は本以外にも鞄と、それからずいぶんとレトロなカメラ――たぶん一眼レフってやつかな?――を広げていたから、きっと写真部か何かなんだと思った。
三〇分くらいかな。
わたしはデモテープを一曲リピートして、そのあいだずっとあーでもないこーでもないと、ペンを走らせていた。色の剥げたクルトガは、ずっと丸や点を書いて、いっこうに黒煙を減らす様子がなかったけれど。
するとそのときだ。
彼がガラッと音を立てて立ち上がった。そして本を首からカメラをかけ、両手に本を抱えて、わたしのほうまで歩いてきたのだ。
「あの、何か用ですか?」
「え……?」
イヤホンを外す。でも、わたしは焦って停止ボタンを押すのを忘れてしまった。イヤホンからかすかにわたしのギターと、メロディを口ずさむ声が聞こえていた。
「いや、さっきからジロジロ見てたので何かと思って。もしかして、これですか?」
と、彼はわたしがリクエストした三冊と、もう二冊の本を差し出した。よく見るとその二冊は、デヴィッド・ボウイと、イエロー・マジック・オーケストラの写真集だった。
「いや、べつに……」
「そうですか。借りたかったら言ってください。僕は一年のチハルって言います。セリザワ・チハル。千の春って書いて、芹澤千春」
「ジュン。アマミヤ・ジュン。純粋の純で、雨宮純」
「雨宮さん。借りたかったら言ってください。僕はそんな急いでないんで。いつも図書館にいるから、言ってください。それじゃあ」
彼――芹澤千春はそれだけ言うと、いっぱいの本を鞄に入れて図書館を出ていった。
わたしは彼の背を見送ってから、もうしばらく図書館にいたけれど。でも、けっきょくこの図書館にも見合う言葉はなかった。
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