2-5
それからビールをお互いに一瓶ずつ空け、タバコを一本ずつ吸い終えると、徐々に朝陽が差し込み始めた。黒々と濁っていた空が、ゆっくりと紫色に変わっていく。
「来た。撮ろう、雨宮さん。立って、そこのグラジオラスを持って」
「うん、こうすればいい?」
三脚の前。鉄橋の下。そして流れる川面の前。わたしはジャージを脱いでセーラー服になると、グラジオラスの花を右手でつかんだ。そしてその花束をモリッシーみたいにグルグルと振り回した。花が散らないように優しく、くるくる。
「はじめはデジタルの方で撮るよ。光が良いぐらいに来たら、フィルムでも撮ってみる。いくよ。好き勝手にポーズして」
「好き勝手って、どんなふう?」
「カメラ目線で顔を映してみたりとか?」
「それはイヤ。わたし、風景の一部でありたい。それかヘルメットをかぶって、そこに『肉食は殺しだ』って書いて写るならいいけど」
「『ミート・イズ・マーダー』だ。でも、そういうんじゃないでしょ?」
「うん。そっぽ向いて花を振り回してるから、そこを撮ってよ」
「いいよ、動いて」
くるり、とグラジオラスを揺らす。わたしはピンと背筋を伸ばして、セーラー服のスカートを揺らした。川の一部みたく、鉄橋の梁の一つのように。
絶え間なく聞こえるシャッター音は、まるでスネアドラムか何かのようで、わたしの頭のなかには音楽が聞こえていた。次の曲。わたしの、雨宮純のはじめてのEPを飾る最後の曲が。
♪
病弱な僕に、茨を抜くことはできないから
薄弱な空を、見上げることもできないから
共謀しよう、いつか二人で
鉄路の下、分け合ったタバコを
逃亡しよう、明日二人で
鉄路の下、差し込んだ日差しに向けて
想像しよう、いつか二人で
鉄路の下、触れ合った唇を
逃亡しよう、明日二人で
結露をした窓の向こう、青く冷えた街に向けて
無限に見えた時間はいつか無くなる
それは君も知ってるだろう?
有形に見えた言葉もいつか消えてく
それは君も知ってるだろう?
生けたグラジオラスが枯れるように
いつか僕は死ぬけれど、
老けた僕が醜いように
いつかの言葉は衰えるだろう
だから光を消さないで、切り取って、ピン留めして
想像しよう、いつか二人で
鉄路の下、触れ合った唇を
逃亡しよう、明日二人で
決意をした窓の向こう、青く冷えた街に歌って
♪
フォトセッションは、完全な日の出とともに終わりを告げた。
そのころにはもう酔いは覚め始めていて、ただちょっとだけ喉はイガイガした。今歌ったら、パティ・スミスみたいな声かもしれない。
撮り終わるや、わたしはすぐにギグバッグに入れたメモ帳を取り出した。そして思いついた言葉を一心不乱に書き連ねた。さっきまで頭の中に流れていた曲。脳内に生まれた音楽。それが逃げてしまわないうちに。
そのうちメロディもカタチにしないとと思って、ギターも取り出した。そしてイメージした音が正しいか確かめるように、コードをかき鳴らした。じゃらん、と鳴らしながら、メロディを確かめるように歌を口ずさむ。まるで天啓みたいに曲が舞い降りてきていた。
「その曲、すごくいいね」
芹澤君が写真を撮りながら言った。
彼はわたしの握っていたグラジオラスの花を撮っていた。振り回したせいで萎び始めていたそれを、ハイネケンの瓶の中に入れて花瓶のようにしている。その姿を撮りながら、彼は背中で問いかけた。
「わたしもそう思う。この曲、わたしのはじめてのEPのラスト一曲にしようと思う」
「いいね。ねえ、もし作るとしたらだけど。ジャケットの裏の写真はこうしない? グラジオラスをハイネケンの空き瓶に挿してる写真」
「いま撮ってるやつ?」
「そう。あるいは、吸い殻の写真でもいい。なにか退廃的なものが写ってたらいいかなって」
「それ、すごくいいね。この曲にもあってる気がする」
わたしはコードをじゃらんと鳴らしながら、少しだけ酒やけした声で歌った。
*
想像しよう、いつか二人で
鉄路の下、触れ合った唇を
逃亡しよう、明日二人で
決意をした窓の向こう、青く冷えた街に歌って
*
それから芹澤君はわたしのことをアパートの前まで送ってくれた。
わたしは、
「別にいいのに。芹澤君の家、浦和でしょ?」
って言ったけれど、彼は聞かなかった。
やっとアパートに着いたころには、わたしも芹澤君もヘトヘトだった。わたしはギター背負ってるし、彼はカメラ背負ってるし。三十分も自転車漕いだらつかれるに決まってる。それに、寝不足だったし。
「ありがとう、いろいろやってくれて。良い曲が書けそう」
「よかったよ。フィルム、現像したら送るよ。そしたら三曲と、ボーナストラック入りのEPにして世に出そう」
「ボーナストラックって?」
「雨宮さんのスミスのカバーとか。There is a light that never goes outとか歌ってよ」
「考えておく。じゃあ、おやすみ。今日のことは二人だけの秘密にしておきましょう」
「そうだね。バレたらマズいから。じゃあ、また学校で」
「うん、じゃあ」
リュックを背負いなおして、駆け抜けていく彼。
わたしはその背を目で追いながら、あくびを一つ漏らした。
劇伴:Hand in Glove / The Smiths
手を組もう
陽の光は僕らをのけ者にする
違う、それは他の愛とは似ても似つかない
まったくの別物――だって僕らの愛だもの
Hand in Glove
The sun shines out of our behinds
No, It's not like any other love
This one is different――because it's us
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