1-5
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十五歳の産毛の少女
十六歳の猫背の少女
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わたしのノートにはそれだけ書き出されていた。
芹澤千春に本を奪われてから、わたしは帰宅するあいだずっと考えていた。学校から最寄り駅まで歩くあいだも、そこから三十分かけて電車に揺られてるあいだも。さらにそこから自転車をこいでいるあいだも。
でも、けっきょく何を書いても陳腐な言葉にしか思えなくって。いかにモリッシーって人の詩が素敵だったかを思い出すばかりで、わたしが自分の才能のなさがイヤになった。
そうして午後八時頃、お父さんが「今日は遅くなる」って連絡を寄越したから、一人でご飯を食べてお風呂に入ることにした。今日の夕飯は、道中のスーパーで買った豚キムチとご飯、それからポテトサラダだった。
お風呂の時間は嫌いじゃない。
なぜかと言えば、創造性は四つのBから生まれるらしいから。つまりベッド(寝る前)、バスルーム(お風呂とトイレ)、バス(移動中)、そしてバー。あいにくわたしはまだ十六歳だから、バーにはいけないけれど。でも風呂とベッドは体験できる。バスじゃないけど、電車通学だしそれもオッケー。
「十五歳の少女、半人前の少女、三六五日×十五回の人生……なんか違うな」
iPodとスピーカーをもってお風呂へ。スピーカーを脱衣所におくと、わたしは何かBGMを再生する。いつもは気分で曲を選ぶのだけれど、今日はひとつ聴きたいものが決まっていた。
つまりそれはデヴィッド・ボウイの『
"Heroes"って、わたしこの曲はかなり好きな部類立った。DとGだけで構成される本当にシンプルな曲。だけどどうしてだろう、こんなにも引き込まれるのは。ベルリンの壁越しに出会う男女を歌う詞はすごくドラマチックだし、八〇年代っぽいシンセサイザーとギターの旋律はどこかノスタルジックなんだけど、でもわたしにはとても新鮮に聞こえる。
この曲を聴くと、すぐに目に浮かぶのだ。ベルリンの壁。人々が自由を渇望し、その熱気があふれる姿を。もちろんわたしが生まれたのは、東西ドイツが統合されたあとだけれど。それでも、どうしてこんなにも心を突き動かされるんだろう。
「こういう曲がわたしにも書ければいいのに」
でも、どうすればいいの?
ボウイにはブライアン・イーノっていう名プロデューサーがついていたって言うけれど。あいにくいまのわたしは一人だ。
というよりも、わたしは一人でいることを選択したのだ。
湯船につかると、わたしの華奢な身体が目に映った。こんな身一つでよくロックスターをしたいだなんて考えつくな、わたし。
風呂上がり、まだ父は帰って来なかった。この家はまだ死んでいた。
わたしは濡れた髪を乾かしてから、すこしだけギターを弾き、ベッドに入った。詞はまだ書けていなかった。
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