1-3
朝、わたしの頬には蛇腹状のシワがくっきり付いていた。なんのシワかと言ったら、ノートの跡だった。詞を書こうにもいい言葉がまったく思いつかなくって、そのまま枕元にノートとペン、それからオスカー・ワイルドを散らかしたまま寝てしまったのだ。おかげで右頬がこの有様だ。
起きて、顔を洗って、まあ化粧なんかはあんまりしないけれど、化粧水とファンデだけ軽くやって、寝シワを必死に延ばした。ある程度よくなったら、もうそれで諦めた。
まあ、わたしを女性をしてみるような男子はいないだろうし。そもそもわたしは、そんな男の子を相手にする気はないし。なにより時間も無かったから。
マーガリンを塗った八枚切りのトーストだけ腹の中に押し込むと、そのまま自転車置き場に向かった。
お父さんはもうとっくに家を出ていた。たぶんわたしよりも一時間は早い。わたしが起きた頃には、もうとっくに出ていると思う。
だからこの家は死んでいるのだ。
わたしも父もいないあいだ、この家は死んでいる。
*
授業はいつ通り終わっていって、わたしはそのほとんどを話半分に聞いていた。もちろんちゃんとノートは取っていたけれど、取りつつも、なにかいい言葉が浮かべば片隅にメモしていた。
でも思いついたフレーズといったら、
ビッグマウス、
余計な一言、
君は僕の何を愛そうとしたの?
顔だなんて言わないで
口だなんて言わないで
ギターノイズに響かせて
余分な言葉をリフレインで
過分な歌のノイズに乗せて
「バカなの、わたし?」
五限と四限の間の休み時間、わたしは移動教室のあいだ自分のノートを見返してつぶやいた。誰にも聞こえないような小さな声で。
こんなのモリッシーのパクリだし、パクった結果にロクな詩にもなってない。これじゃリスペクトじゃなくてドロを塗っただけだ。
――もっとやりようあるでしょ。
自分の文才のなさに反吐が出る。どれだけ彼と同じように小説や戯曲を嗜もうとも、自分は彼にはなれないという現実。でも、わたしはそれでも音楽をしたいんだという矛盾。それだけでストレスフルになる。
LL教室にの机に突っ伏して、わたしはノートを覆い隠すみたいにした。そしてイヤホンを耳に挿して、残された五分のあいだに宅録した自分の曲を聞くことにした。
メロディは悪くない。わたしって天才だと思う。だけど、それだけじゃダメなんだ。自分の至らなさが歯がゆくて、イヤになる。
――あとで図書館にでも行こう。シンボル図鑑と韻律図鑑でも引こう。
そう思いながら、わたしはあと一時間の化学の授業をどう潰すか考えていた。
*
化学の時間に詩が書けるはずもなく。気づけば清掃の時間が始まって、帰りの学活になっていた。わたしは女子トイレの掃除だったけど、織物の入ったゴミ箱を入れ替えただけだった。他人の汚物に触れるのって、なんかイヤだけどイヤじゃない。人の恥部に触れているような感じがしてちょっと背徳的になる。
それってわたしがおかしいのかと思う。だって、ほかの当番の女の子は、「じゃあ雨宮さんよろしくね」と言ってどこかに言ってしまったのだから。ここ数日なんかは、もはやその「よろしくね」も言わない始末だった。
知ってる。わたしがあまり社交的な性格でなくって、まわりから明るい人間と思われていないことぐらい。でも、スミスを聴くような女が明るく社交的で、ボーイフレンドをたぶらかしているような女なわけがないじゃない。
わたしはその点割り切っていた。いい意味でも、悪い意味でも。
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