1-7

『わたしの曲なの、それ』



 そう言ったわたしの唇は、たぶんびっくりするぐらい閉じていただろうし、本当なら蚊の鳴くような声で誰にも聞こえなかったと思う。けれどこの芹澤千春という少年は鋭い聴覚を持っていたのか知らないけれど、それを聞き取ってしまったんだ。

 誰もいない図書館。聴いているのはわたしと芹澤君だけ。眠たげな図書委員はもう眠っている。

「雨宮さんが書いたの、この曲?」

「まあ。詞はいま書いてるところだけど」

「じゃあこのノートと辞典は作詞用ってわけなんだ。ねえ、聴いてもいい?」

 ふだんなら嫌がるはずなのに。彼が”同類”だと思ったからだろうか。わたしはイヤフォンを抜いて、彼にiPodを渡していた。

「自分のイヤフォンを人の耳にいれたくない」

「その気持ちはなんとなくわかるよ。大丈夫、自分のあるから」

 言って、彼は制服の上着のポケットから黒っぽいカナル型のイヤフォンを取り出し、ジャックをわたしのiPodに突き刺した。再生が再開されて、わたしの曲が彼の耳のなかに溢れ出す。

 なんていうか、彼は悪くない表情をしてた。そしておもむろにわたしの作詞のノートに目を落としていた。

「この音、ジョニー・マーっぽい。キラキラしてて、ちょっと八〇年代っぽくて」

「え、わかる?」

「わかるよ。母さんがむかしクイーンとかボウイの追っかけをしていてさ。その影響で七〇年代とか八〇年代の音楽を聴くんだ。……あ、ここの感じすごいいいね。音楽的なことはわからないけど、懐かしい感じがする」

「ほんと? 実はわたし、ジョニー・マーみたいな曲を書きたくって。このギターフェンダーのジャパンだけど、ちゃんとジャガーで。エフェクターも同じBOSSのシミュレーションを入れて、コーラスをちょっと深めにかけたりしてスミスのころの八〇年代っぽくしてるの。それで、カポタストを二フレットに挟んだりしてみて、ハイフレットのリードプレイもスミスっぽいというか、最近のジョニー・マーっぽくしていて……って、ごめんなさい、わからないよね」

「うん、何を言ってるかさっぱりわからない。でも、すごくいい曲なのはわかった。でも、驚いたな。雨宮さんって軽音だったんだ。なんかいつも物静かでムスっとしてるから、帰宅部か文芸部みたいな文化部なのかなと思ってたけど」

「帰宅部よ。軽音はイヤで入らなかった」

「なんで? こんなに良い曲書くのに」

「あそこには、モテたくて楽器を始めたようなやつらばっかりなのよ。それかイマドキな淡いポップなラブソングとか、メロコアみたいなのを歌うやつばっかり。なんていうかわたし、そういうのってすごく幻滅するの。だから、見学してすぐにイヤになって、やめた。それでわたし、独りで曲を作ることにしたの。いまどきパソコンで曲は作れるんだもの。わざわざ反りの合わない人たちとバンドを組む理由がないじゃない」

「なるほどね。僕もそれに近いかも」

 言って、彼は首からさげていたフィルムカメラを手に取った。

「僕も写真部に入ったんだけどさ、幽霊部員なんだよ」

「なんで?」

「僕が撮りたい写真を撮れないから。花とか植物とか、校舎とか、駅とか、夕暮れの街とか。僕が撮りたいのはそういうのじゃなくって……」

 と、彼はとたんにファインダーをのぞき込んで、その大きなレンズ越しにわたしを見つめた。

「ロックスターが撮りたい。そのアルバムジャケットとか。あるいは、彼らのツアーに同行してアメリカ西海岸から東海岸までついて回るとか」

「壮大な夢ね」

「夢はでかくないと。だから、庭先のお花を撮ってるようなのはイヤなんだ」

「それでこういう写真集を見て悦に浸ってた」

「そういうところかな」

 彼はそういうと、わたしに向けてシャッターを切ろうとした。

 だからわたしは、彼に向けて中指を立ててやった。ちょうどその瞬間にシャッター幕が下ろされて、わたしのファックサインはフィルムに刻まれたようだった。

「はは、女の子がするサインじゃないよ。でも、なんかいい写真が撮れた気がする」

「そう。ちょっとはロックスターを撮った気分になった?」

「ちょっとはね。ねえ、歌詞はどうなってるの、この曲?」

「まだ考え中。良いフレーズが思いつかなくて。このフレーズだけは使いたいんだけど」

 わたしはノートのど真ん中に書き記した『十五歳の産毛の少女』ってフレーズを指さした。そのまわりにもたくさんのフレーズがメモしてあったけれど、まともに使えそうなのはそれだけだと思ってた。

「なるほど。ねえ、たとえばだけどさ。僕は詞のことなんてぜんぜんわかんないけれど。このフレーズもいいんじゃない?」

「どれ?」

「たとえばこの『人生は廃墟と同じ』とか『帰りたくない、だって廃墟だから』、『空虚を満たす作業 それだけで人生は終わる』とかこういうところ」

「そうかな?」

「なんか退廃的な感じ。こういうのを組み合わせたらいい歌詞ができるんじゃない? まあ、素人考えだけどさ」

「……うん、そうかもね。ちょっと考える」

「曲ができたら聴かせてよ。それから、今度はギターを持ってる雨宮さんを撮ってみたい。きっと画になるから」

「わたしみたいな不細工より、もっといい被写体はいるでしょ」

「まあ、確かに。いつも目を細めてて、にらんでるみたいな顔をしてるけど。でもそのジョニー・マーみたいなショートカットとか、セーラー服でギターを持つ姿は画になるんじゃないかな?」

「目を細めてるのは視力が悪いせいで、にらんでるんじゃないけど。……じゃあ、いつかわたしのアルバムジャケットを撮ってよ」

「アルバムができた暁にはね」

 彼はそれだけ言うと、「やばい、そろそろ予備校に行かないと」とだけ言って、あの四冊の本を残して去っていった。

 わたしは彼が言ったフレーズに丸をつけてから、その四冊の貸し出し申請をした。なんていうか、わたしは基本的に独りでいる方が好きだけれど。でも、こういうのも悪くないのかなって。少しだけ思った。

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