3-2
朝、わたしは教室に入るなり彼を目で探してしまった。たぶん夢のなかで見た彼が偽物で、いつもの芹澤千春が実在していることを確かめたかったのだと思う。
けれど彼は、朝学活の時間が来ても現れなかった。代わりに告げられたのは、彼が病欠であるという事実だった。
「えーっと、そうだ。あと芹澤は風邪をひいて休みになる。日直は出席確認の際にその旨伝えるように」
担任の白川先生は、そう言って朝学活を終わらせた。それがこの木曜日のスタートで、わたしは朝から妙な胸騒ぎを覚えていた。
芹澤君がいないことがここまで不安になるとは思わなかった。
元々わたしは友達が少ない方だし、自分でもわかるけれど、クラスから浮いているほうだ。女子のグループに混ざろうとも思わないし、音楽をやってるグループに混ざろうとも思えない。休み時間になればイヤフォンをつけ、音楽を聴きながら本を読んでいるほうが好きだったから。
だからこの日も、わたしは昼休み一人だった。その方が楽だし、好きだから。中庭のベンチに腰掛けて総菜パンを食べながら、スミスを聴きつつ本を読んだ。今日鞄にこさえていたのは、ウィリアム・バトラー・イェイツの詩集だった。
今朝がた芹澤君に送ったメッセージには、既読がついていた。デモテープと楽譜、聴いてくれたかはわからないけれど。でも、少なくとも彼のもとに届いてはいるんだと思う。
わたしは「おだいじに」って、その五文字を送ろうとしたけれど。でも、その言葉さえも彼にとっては邪魔なのかなと思ったりとか。曲づくりをするパートナーに過ぎないわたしが、彼の私生活の苦しみに少しでも立ち入ることは、なんだか申し訳ないというか、わたし自身がその行為を嫌がっていて。
結局、なにもしないまま昼休みは過ぎていった。
放課後の図書館にはもちろん誰もいなかった。
わたしはイェイツの詩集だけ返却すると、図書室をあとにした。
廊下には相変わらず吹奏楽部と軽音部がかき鳴らす不協和音が響き、最悪なオーケストラを生み出していた。
*
珍しく日が暮れる前に家に着いたと思う。それぐらい最近は図書室での作曲に明け暮れていた。
「ただいま」
そう言ったとき、部屋に電気はついていなかったけれど。でも、カーテンを開けているだけでじゅうぶん明るかった。
しばらくわたしは、無心で米を研いだ。鼻歌で自分の歌も歌わずに、無言で三合の米を炊いた。
おかずはなにを作るかなにも考えてなかったけれど。冷蔵庫をのぞいたら自然と思いついた。鶏もも肉があったから、醤油とマヨネーズとで適当に味付けをして照り焼きにした。あとは付け合わせにレタスをちぎったのと、作り置きの漬け物を用意すれば完璧だった。
そうして夕飯の支度が整ったのが、もう午後七時前とかだったからかなり早い。食べ終えてお風呂に入っても、九時前だった。
だから父が帰ってくるまで、わたしはギターとパソコンに向かい続けた。そして最後の曲の仕上げに取りかかることにした。
この曲はアコースティックじゃないけれど、静かに行くべきだ。わたしは少なくともそう思っていた。スミスで言えば、Asleepとか、I Know It's Overとか、あるいはThere is a Light That Never Goes Outに近いカタチの。コーラスの効いたアルペジオと解放弦のコードの響きが心地よい曲。そうあるべきだと思った。
十時過ぎぐらいまで一心不乱に弾いてたと思う。そのうち父が帰ってきたから、ご飯とおかずを温めなおしてあげたのだけど。そのころになって芹澤君から返信があった。
彼からのメッセージにはこうあった。
〈ごめん。日曜日に調子づいたツケが今日になって返ってきたみたいだ。でも、もうよくなったから。明日、最後の曲について話したい。一つ提案があるんだ〉
提案。
その二文字にわたしは期待もしたし、しかし何故だか一抹の不安もあった。
〈わかった。いつものように待ってる〉
わたしはそれだけ送ると、音楽を抱いて眠った。自分の曲を口ずさみながら、頭のなかではフィル・スペクターがささやいていた。
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