第18話 サマーバレンタイン

 ―梅雨明け―


 7月に入るとすぐ梅雨が明けた。焼ける様な日射しとカラッした風が心地良い一年で最も暖かな季節……『夏』。


 一片の曇も無い青々とした空とは対照的に直樹の心は曇ったままであった。


「はぁ……晴希と話がしたい」


 晴希の写真を見てはため息をつく様な日々が何日にも渡って続いていた。晴希とシフトが重なると相変わらず夏稀の舎弟が待ち構えており、世間話ですら出来無い状態に二人はもう限界だった。


「直樹さん。私、2番(休憩)行ってきますね。あと、レジの引出しに何か引っ掛かっちゃったみたいなんで直して貰っても良いですか?」


「ん?ああ……直しとくよ。ゆっくり休憩してきな」


 休憩へと出てゆく晴希。直樹がレジを直そうと引出しを開けるとそこには一枚の付箋が入っていた。どうやら晴希からのメッセージの様だ。

 夏稀の舎弟に気付かれ無いように付箋をポケットに忍ばせると自分のレジへと戻る直樹。休憩から戻って来た晴希がレジを確認するといつになく明るい笑顔で直樹を見つめていた。


「あっ‼動きがスムーズになってる。直樹さんありがとう。今度は直樹さんが2番行ってきて下さいね」


 休憩中、直樹が向かったのはトイレの個室。流石の夏稀の舎弟もトイレまでは追って来ないからだ。晴希の付箋を確認するとそこには……


【明日19時に楠木くすのき駅前にあるパン屋さん『ル・シエル』へ来て下さい】


 晴希から誘いであった。何故パン屋?ただの待ち合わせ場所なのか?それとも……。それに気になったのは晴希のシフトだ。明日は確か出勤の予定だったはずだが?


 謎多き誘いではあったが晴希との駆け落ちに直樹は胸を踊らせていた。


 

 ―約束の日―


 夕涼みの頃になると待ち合わせ場所へと向かう直樹。到着した時には既に日は落ちており、パン屋も閉まっていた。直樹が落ち着かない様子で待っていると暗がりからひょっこりと晴希が顔を覗かせた。


「あっ直樹さんこっちです。こっち」


「えっ?あっ……あぁ」



 ―4階建てビル― 


 パン屋はこのビルの1階にあり、馴れた様子で階段を上がってゆく晴希。そして屋上まで上がるとそこには二つの椅子が用意されていた。不安を余所に直樹が問い掛けると晴希は笑って答えてくれた。


「なあ晴希。こんな所、勝手に入っちゃって大丈夫なのか?私有地だぞ」


「大丈夫ですよ。ちゃんと許可取ってますから……ほら鍵も借りて来てますし」


 得意気に鍵を見せつける晴希だが、なんだか直樹の方は腑に落ちない様子であった。


「まあ、許可取ってるなら良いけどさ。でもどうしてこんな所に呼び出したんだ?」


「ふふふっ……ここは私に取って特別な場所なんだよ。毎年この日になると屋上の鍵を貸して貰うの。ほらっ……もうすぐ始まるよ」


「えっ?いったい何が始ま……」


 ひゅーーっどーん……ひゅーひゅーっどーんどん……


 直樹の言葉を遮る様に花火が打ち上がった。


 この楠木町では毎年恒例で七夕花火大会が開かれており、ここはベストスポットなんだとか。どうやら晴希はこの日の為にこっそりとシフトを替えていたらしい。


 特等席から見る花火は真夏のスコールにも似た激しさと儚さを同時に演出しており、まるで今の二人の気持ちを映し出しているかの様であった。



二人を繋ぐ鵲橋サマーバレンタイン



 離ればなれとなった織姫と彦星は一年に一度……七夕の夜にだけ会うこと許された。そして募る想いを胸に愛を育むのだという。


 晴希と直樹もまた今日この日に互いの想いを胸に愛を育むのだろう。二人は空を見上げながら自然に手を繋いだ。握り合う手の温かさ……鼓動……その全てが二人の胸を熱く焦がしてゆく。


 花火が終わってからも見つめ合ったまま動かない二人……最早、言葉は必要なかった。深まってゆく絆……その想いは天ノ川さえも越え二人の愛を紡いでゆくのだろう。


「あのね直樹さん。私はやっぱり直樹さんの事が好きだから……ナツの事を説得してみようと思ってる。たとえ何ヵ月かかろうと……」


 暫くの沈黙の後、晴希が先に口を開いた。その晴希の決意に寄り添うようにして直樹も……


「僕も晴希の事が好きだよ。もう夏稀達に何かされても絶対に屈さない。もし説得が上手くいったら……その……真剣にお付き合いをしたいなぁって……あわっ」


 話の途中で晴希が突然直樹に抱き付いて来るとその瞳からは涙が零れ落ちてた……それはまるでキラキラと輝く星屑の様でもあり、二人の想いを祝福している様でもあった。


「私、嬉しいよ。直樹さんが私の事をこんなにも思っててくれて……私、やっぱり間違って無かった……うっうううう……」


 晴希の中でずっと押さえつけてられていた感情が途切れた瞬間だったのかも知れない。直樹もまた晴希の想いを汲んで強く抱き締めた。だってそれは直樹も同じだったのだから。

 もう晴希の事を好きになった事をもう後悔はしないと……そう胸に深く刻み込む直樹であった。



 帰りの階段をピョンピョンと降りている晴希が途中の踊り場で急に立ち止まった。何かあったのだろうか?


「ん?どうした晴希。急に止まったりして」

「あっ、これです。これ」


 晴希が指差した先には古ぼけた小さな黒板があった。踊り場の窪みにひっそりと釣り下がっている黒板は何とも言えない不気味さを醸し出している。


「ん?これ何?」


 直樹が恐る恐る晴希へ聞くと……晴希はさっき見た花火の様に満面の笑みで答えてくれた。


「おほん。これは『短冊板』でーす」


 晴希曰く、七夕の日にこの黒板へ願い事を書き一年間消されずに残っていると願いが成就するとのらしい。

 所謂ジンクス……あまり信用はしていなかった直樹だが黒板の裏側を見て驚愕するのであった。


【次の誕生日までに運命の人と出会えます様に もし出会えなかった時には……春日野 晴希】


 黒板の最後の方は擦れていて読むことが出来なかったが、確かに晴希の願い事だった。しかもこれって……つまり。


「去年、私が書いた願い事だよ。ちゃんと願いは叶ったでしょ?ふふふっ」


 こんな嬉しそうに笑う晴希を見るのはいつ以来だろう。この笑顔を守る為にも夏稀を認めさせる決意を静かに燃やす直樹であった。直樹が決意を胸に思いふけていると晴希が黒板へと何かを書き込んでいた。


「私の願い事は裏側に書いたから直樹さんは表に書いて下さいね。あっ私の願い事は見ちゃ駄目ですよ……恥ずかしいから」


 恥ずかしがる晴希の顔も見てみたかったがここは忠告通りに我慢することにした直樹。直樹の願い事はと言うと……


【晴希と付き合う事が出来ますように 草原 直樹】


 ストレートだけど、そんな事は気にしない……だって直樹に取っても晴希は運命の人なのだから。そんな直樹の願い事を目の当たりにして子供の様に大喜びする晴希。


「直樹さんありがとう。……絶対に叶えようね。この願い事。あっ記念撮影しよっか『二人の七夕記念』」


 カシャ


 こうしてまた一つ晴希との思い出が増えてゆくのであった。晴希と見た花火……それぞれの想いを綴った短冊板……直樹に取ってこの七夕は忘れられない思い出となった。

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