第9話 マーメイドティアーズ

 薄暗い街灯の下をトボトボと一人歩いてゆく直樹。脳裏には先程のやり取りが甦っていた。



『晴希って呼び捨てしてくださいね』

『いっぱい作ろうね……二人の記念日』



「晴希……やっぱり可愛いよな。性格も良いし、僕の事をこんなにも思ってくれてる。でも女子高生と関係を持つのは流石にまずいよな……はぁー」



泡沫の夢マーメイドティアーズ



 晴希への想いが増してゆくにつれ苦悩し、深いタメ息を吐いてしまう直樹。そんなに好きなら歳の差なんて気にせずに付き合えば良いのにとも思うのだが、そうはいかないらしい。


 帰宅してからも何も手につかず、部屋の壁に頭を擦りつけながら、ただ呆然と晴希の事だけを考えていると……


 チャラチャラン~♪


「うわっ!?」


 突如、鳴ったスマホに情けない声を上げながら直樹は飛び起きた。どうやら晴希から『LINK』でメッセージが届いた様である。


晴希【今、家に着きました】

  【直樹さんは何してますか?】

  【私の事を考えてくれてたら嬉しいな♡】


「なっ!?」


 晴希の事で思い悩んでいた直樹は内容を見て固まった。確かに晴希の事を考えていたのは間違いない、だが質問をそのまま回答するのは墓穴を掘るのと同じであり、またもや言い訳をする直樹だが……


直樹【無事帰宅して良かった】

  【今、夕食中だよ】


晴希【ちょっとガッカリ】

  【夕食は何を食べてるんですか?】

  【写真アップして下さいよ】


「なっ!?」


 再び固まる直樹、まさかこんな展開になろうとは……


直樹【カップ麺だったし】

  【撮るほどの物じゃないから】


 苦し紛れに言い訳をしてその場をやり過ごそうとしている直樹だが現実はそんなに甘くは無かったようだ。


晴希【夕食をカップ麺で済ましちゃダメ】

  【栄養を考えないと病気になっちゃうよ】

  【やっぱり私が作りに行きましょうか?】


「なにっ??」


 これじゃあまるで押し掛け女房だ。それだけは絶対に避けなきゃならない……そう絶対に……


直樹【普段はちゃんとした物を食べてる】

  【大丈夫、心配しないで】


晴希【本当?】

  【なんか怪しい】


  【ところで週末、直樹さんはお休みですか?】


 この晴希の質問には嫌な予感しかしなかった。だがこの時の直樹には不思議と余裕があった。何故なら……


直樹【週末は昼から夜までバイト】

  【何かあるの?】


晴希【ええっ?】

  【デート出来ないじゃ無いですか?】


 案の定、デートの誘いであった。アルバイトなら仕方ないと諦めてくれると思っていた直樹だったが、それは晴希を甘く見過ぎていた様だ。


晴希【じゃあ金曜日】

  【学校が終わってからはどうかな】

  【翌日も休みだし】


直樹【流石に泊まりはまずいでしょ?】


 まさかの展開に直樹の額からは汗が滲み出していた。泊まりはまずい、絶対に……


晴希【えっ?お泊まりですか?】

  【直樹さんが求めるんなら】

  【いつでもウエルカムですけど】


 遊びに来るとは言ったが泊まるとは一言も言っていなかった晴希。完全に墓穴を掘ってしまった直樹は死んだ魚の様な目でスマホを見ていた……開いた口が塞がらないとはこういう事を言うのだろうか。


直樹【今週も来週も用事があって】

  【再来週ぐらいなら空いてるかな?】


晴希【なんか寂しい】

  【でも用事があるんじゃ仕方ないですよね】


 何とか晴希との接触を避けたい直樹は逃げる事に必死だった。晴希も観念した様でそれから数日間は『LINK』でゲームの事や学校の事などやり取りをするだけだったのだが……一週間程経過したある日、事件は起こった。



 今日は遅番……夕方からの出勤だった直樹は予定よりも早く到着し、身支度を整えているとテンダイが慌た様子で声を掛けて来た。


「草原君良いところに来た。君に折り入って頼みがあるんだけど」

「何でしょうか?」


 話を伺うとどうやら今日からアルバイトが1人増えるらしく、経験年数も長くて比較的勤務も合わせやすい直樹に教育係になって欲しいとの事であった。

 事前の告知も無く申し訳なさそうな顔でお願いをしてくるテンダイだったが今までにも似た様なケースは何度もあり、直樹は快く引き受ける事にした。


 交代の時間となり、事務所で引き継ぎをしているとテンダイと共に新人アルバイターが現れ、みんなの前で紹介された。


「今日から一緒に働いて貰う事になった『 さん』だ。みんな色々教えてあげて下さいね」


「春日野 晴希です。まだ、わからない事ばかりですが一生懸命頑張りますので宜しくお願いします」


「なっ?(うっ……嘘だろ)」


 唖然とする直樹。まさか晴希と一緒にアルバイトをする事になろうとは露程つゆほども思っていなかったからだ。予想だにしない事態に目はウロウロと揺れ動き、またしても頭を抱えて悩む直樹だったが……これは悪夢の序章に過ぎなかった。


「今日から暫くの間、教育担当をしてくれる草原君だ。わからない事があったら何でも草原君に聞いてね。草原君も宜しく頼むよ」


「えっ……あっはい」


 自己紹介が終わると事務所に取り残される直樹と晴希。すると晴希が悪戯な笑顔で直樹へと耳打ちしてきた。


「ふふふ……ビックリしました?今日からは私もバイト仲間だよ。宜しくね


「まっ……マジなのか……」


 晴希の事を考えなくて済む唯一の空間だったアルバイト。晴希の介入によりその聖域が脅かされる事になろうとは……


 未だに驚きを隠せない様子の直樹だったが、晴希はこれもまた運命だと喜んでいた。後に聞いた話だと、晴希がスーパーで直樹に声を掛けて来たのはアルバイトの面接帰りだったらしく、買物は本当にただのついでだったとの事。


 観念してまずはレジ打ちからレクチャーを始めるのだったが……


「まずはレジ打ちから教えるよ。ここにIDカードを翳してパスワードをだな」


「はい。こうですか?先輩」


「あのさぁ。その『』って言うのやめてくれないかな


 三十路にもなって先輩呼ばわりされるのは流石に気まずい。正直、止めて欲しい直樹だったが晴希は当然の様に反論してくるのであった。


「えぇー良いじゃないですかぁ。じゃあもその余所余所しい呼び方を止めて普通に呼んで下さいよ」


「いや……流石にここで呼び捨てはまずいでしょ?なんか偉そうだしさ」


「だったら私も嫌です。それで次はどうするんでしたっけ?直樹せ・ん・ぱ・い」


 こりゃダメだ……先行きに不安を感じる直樹であったが、当の晴希はなんだか楽しんでいる様にも見えた。

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