第5話 チアキューピット

 直樹の考える秘策とは……


愛の救援者チアキューピット


 キューピットとは背中に翼をつけ気まぐれに恋の矢を放つ幼き恋愛神。その金色こんじきの矢に打ち抜かれた者は例え神であろうとも恋に墜ちる等と言い伝えられており、現代でも恋人達の恋愛成就の助けをする事を「恋のキューピッド」などと表現されている。


 どうやら直樹は晴希の憧れの人を聞き出し、恋のキューピットへと撤する事で自身が恋愛対象から外れるという作戦を企てていた様だ。


 直樹は広角を引上げながら不敵な笑みを浮かべると唐突に晴希へと質問を繰り出すのであった。


「あのさぁ。晴希ちゃんには憧れの人とかっていたりするの?」


 直樹の質問に対して晴希は頬を赤らめ少し照れている様にも見えた……どうやら好感触である。晴希の期待通りの反応に聞き入る耳にも自然と力が入った。


「えっと、ちょっと恥ずかしいんですけど憧れの人はいます。ただ実際に会った事も……見た事すら無い人なのでどんな人かはわからないんですけどね」


 見たことも無い人が憧れの人とはいったいどういう事だろうか?だいたいそんな人にどうやって憧れたのか?謎は深まるばかりだった。

 この真相を究明する為にも直樹は質問を続ける事にするのだったが……


「見たことも無いのに憧れの人?なんか変わってるよな。いったいどんな人なんだ」


 直樹の問い掛けに対して晴希からは意外な回答が返って来た……そう意外過ぎる回答が……


「実はオンラインゲームのプレーヤーさんなんですよその人。凄く優しくて頼りになる方で初心者の私を手厚くフォローしてくれたんです。この前も私の事、身を呈して守ってくれて私、嬉しくって……ふふふっ」


 何のゲームだかはよくわからないけれど、どうやら初心者をフォローしているプレーヤーがいるらしい。

 口に手を当てながら嬉しそうに微笑んでいる晴希はまさに天使そのものであった。こんなに可愛い子に憧れられてるなんどんだけ幸せなプレーヤーなんだろう。


 羨ましいけどこれは作戦だと自身に言い聞かせ作戦へと専念しようとする直樹だったが、というキーワードで何かを思い出した模様。


「あっ、いけない今日はイベント日だった。ごめん晴希ちゃん。食事中悪いけど、パソコン立ち上げても良いかな?」


「はい。別に構わないですけど」


 そう今日はオンラインゲームモーニングローリーのイベント日。この時間帯にログインすると無料でレアアイテム配布される事もあり、直樹に取っては欠かせないイベントであった。ちゃぶ台のすぐ横にあるパソコンを起動させると再び直樹は晴希との会話へと戻った。


「ふぅ……なるほどね。それで会った事もない人が憧れの人って訳か。なんかゲームの世界にも良い人っているもんだな」


「そうなんですよメチャクチャ優しくて紳士なんですよ。しかも凄く強くって……私、もう惚れ惚れしちゃってね」


 憧れの人がオンラインゲームのプレーヤーだったのは意外だったけれど、これは直樹に取っては好都合であった。何故ならネット上であれば何人かプレーヤーの伝手つてがあったからだ。

 晴希の恋路の為……そして自身の自由の為にも恋の架け橋になるべく作戦決行へと踏み出す直樹の瞳はまるで1兎を狙う鷹の様に静かに研ぎ澄まされていた。


「もし良かったらその憧れの人との恋路を僕にも応援させて貰えないかな?オンラインゲームなら何人かプレーヤーの伝手もあるし、きっと力になれると思うんだ」


「えぇー本当ですか。凄い嬉しいです。あぁん……どんな人なのかな?どんな人なのかな?……ふふふっ」


 すっかり自分の世界へと入り込んでいる晴希を見て安心しきってる直樹。このままやり過ごせば間違いなく晴希の恋愛対象はこのプレーヤーへと向くはずだと、憶測が確信へと変わった瞬間だった。


 起動したパソコンが完全に立ち上がり、ゲームのログイン画面が開かれると、その様子を横から覗き込んで来た晴希が急に声を上げた。


「あっ!!モーニングローリーだ。直樹さんもこのゲームやってるんですか?」

「ん?ああたしなむ程度だけどね」


 晴希がモーニングローリーを知っていた事にはビックリしたがこの後、更に驚かされる事となる事を直樹は知らない。


「私も最近になってこのゲームを始めたんですよ。『』って名前の魔法使いを使ってるんですけど結構操作が難しくて……。ふふふっ……実は憧れの人もこのゲームのプレーヤーさんなんですよ」


 ハルハレ……この聞き覚えのある名前を耳にした瞬間、直樹の背筋にスーっと冷たい風が流れた。

 ハルハレは最近になって現れた出鱈目でたらめステータスの魔法使いだ。ここの所、直樹が手厚くサポートしていたプレーヤーの一人なのだがまさか……まさか?


 次の瞬間、直樹の脳裏には最悪のシナリオが形成されるのだった。


「あっ……あのさ」

「ん?なんですか直樹さん?」


「憧れのプレーヤーさんの……おっ……お名前を伺っても良いかな?」


 恐る恐るプレーヤー名を伺う直樹であったが内心、穏やかではなかった。だって直樹の直感が確かならばそれは直樹が操作していた……



「ふふふっ……『様』です」


「なっ………」


 神様の悪戯なのか、はたまた運命の巡り合わせなのか。何にせよ直樹の『まさか』は適中してしまったのだ。


 しかもそんな直樹に追い討ちを掛けるようにゲーム画面が立ち上がるとプレーヤー名が露にされる。パソコンを間近で見ていた晴希は口をポカンと開けながら、目を丸くした。



「直樹さんが……あの様?」


 

 直樹の企てはしくも最悪の方向に向かって走り出した。そんな直樹を他所に横からはキラキラとした憧れの視線が降り注ぐ。最早、何も言い訳が出来ない状況に直樹は絶望の淵へと降り立った気分になった。


「いやっ……その……。これはだな、きっと何かの間違いで……えっとその……つまり……」


 想定を覆す急展開にどよめく直樹。そんな直樹に対して晴希は何かを決心したのか、強い眼差し再び詰め寄ってくると衝撃の一言を言い放った。


「やっぱり直樹さんは私の運命の人だったんだね。もし迷惑でなければ私を傍に……直樹さんのお嫁さんにして下さい」


 まさかの逆プロポーズ。


 晴希の顔は真剣そのものであり、とても冗談で言っている様には見えなかった。誤解だと訴えたい直樹であったがそれはもはや後の祭り。直樹も晴希の想いを汲んで如何いかに傷付けずに諦めさせるか……言葉を模索してゆくのだが……


「晴希ちゃんの気持ちは凄く嬉しいんだけどさ。やっぱりこう言うのは良くないよ。ほらっウチラ知り合ったばかりだし、お互いの事をまだ良く知らないだろう?だから……」


「これからいくらだって一緒にいる時間はあるんですから愛さえあれば……何も問題無いですよ」


 煮え切らない直樹の回答に対し、運命の人だと信じて止まない晴希は当然の如く反論して来る。


「だっ……だけど、知らない事がだらけで付き合ってもお互いギクシャクしちゃうし、結婚なんか、まだ全然考えられないよ」


「そうですよね。やっぱりお互いを知らない事にはお付き合いすら難しいですよね」


 直樹の言葉にようやく折れてくれたと思っていたのも束の間。晴希は小声でとんでもない事をぼやくのであった。


「やっぱりお互いの事をもっと知り合うには心も体も裸同士になって話し合わないと駄目だ……そう裸になって……」


 すると晴希はおもむろにTシャツの裾へと手を掛けた。この状況をいち早く察した直樹は直ぐ様止めに入る。


「ああぁーダメだ。早まっちゃダメだよ晴希ちゃん。さっさあ……その手をゆっくりと下ろそうか。そう……ゆっくりと……」


 九死に一生を得るとはこう言う事を言うのだろうか……これでは心臓がいくつあっても足りやしない。緊迫した空気に耐えきれなくなった直樹はとにかく逃げる事だけを考えていた。


「ごっごめん。あまりにも突然の事に僕もなんて言ったら良いのかわからなくてその……ちょっとシャワーでもして頭を冷やして来るから」


 そう言い残すと晴希をその場へ置き去りにし、匆遑そそくさと風呂場へと走って行ってしまう直樹。その表情はまるで浴室の窓ガラスの様に曇りきっていた。

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