第1話 ロストヴァージン

 ―春―


 ポカポカとした暖かな陽射しの中で感じるのはお日様の心地良い香り。満開の桜達が咲き誇ると、その花弁はなびらはハラハラと風に乗って舞い散るのであった。


 不思議と恋愛にも積極的になれる季節。それは暖かな陽気によるモノなのか……傍また別れの寂しさ拭う為のモノなのか……これは心理では無く、きっと本能的に何かを求めていたのかも知れない。


 ――二人出会いは春風と共に訪れるのだった。



『4月23日』


 今日は『直樹なおき』の30回目の誕生日だった。人生の節目の歳となった直樹だが、その表情はどこか浮かない。それは何故か……どうやら彼には人知れない思いがあった様だ。



『彼女いない歴』=『年齢』


 社交的な性格とも言えず、勉強やスポーツに関して言えばまるでダメ。おまけに丸顔のずんぐり体型と男としての魅力の欠けた直樹には当然……彼女がいなかった。


 直向きに頑張っていればいつか報われる……きっと神様は見てくれるはずだと、淡いを期待を胸に陰でコツコツと努力をして来た直樹だったが現実はそんなに甘く無かった。

 

 友人達が次々と結婚してゆく中、未だにお付き合いもした事が無い直樹だが、決してボーイズラブでも女性に興味がなかった訳では無い。


 ただ縁がなかった……運がなかった……それ以上に女性へ声を掛ける勇気がなかった。



貞潔ていけつを守りしよわい三十を迎えた男性は使となる】


 この伝説がもし本当ならば今日こんにちを持って直樹も『中年童貞マジシャン』の仲間入りを果してしまったに違いないだろう。


 試しに手を天上に掲げながらゲームに出てくる呪文の一つを唱えてみる。


「輝く明日の光となれ……『轟雷蜂起魔法ライザップ』」


 呪文と共に勢い良く手を振り下ろす直樹だったが当然、魔法など発動する訳が無い。


 ……カチッ……


 ……カチッ……


 ……カチッ……


 ただ無情に響いてゆく時計の針の音が虚しさにより一層の拍車掛けるのだった。

 いったい三十路にもなって何をやっているのだろうか……恥ずかしさのあまり、顔を掌の平で覆い隠しながらその場で固まってしまう直樹。


「はぁ…………」

 

 溜め息……それはとてつもなく深い溜め息だった。直樹自身もこの恋愛事情については納得している訳では無く……後悔していないなどと言えば嘘になるのであろう。


 だが現実であり、全てなのである。


 何も出来なかった自分自身に嫌気が差しながらも、仕方が無い事だと割り切っていた直樹は気が付けば今日もネトゲへと逃避している。



 カチカチ……カチッ……



 慣れた手付きで弾かれるマウスとキーボードの無機質な音はこの小さな部屋の中で孤独に響き続けるのだった。



 オンラインゲーム

 『モーニングローリー』


 年間プレーヤー数6000万人を越える大人気ゲームであり、その規模は多人数参加型RPGの中でも群を抜いていた。今まさに最盛期を迎えているこのゲームの中で……彼は無敵の強さを誇っているのだった。



 プレーヤー名

 『爽幻そうげんの騎士』


 直樹の名字である『草原くさはら』をモジって作ったプレーヤー名であったが、今や一つの伝説として語り継がれるレベルまで到達していた。


 一度ひとたび、ステージへ降り立てば大地は火の海と化し、瞬く間に敵は殲滅されてゆく。そんな直樹の戦果を目の当たりにした他のプレーヤー達は神だの英雄だの崇めていたのだが、それにはこの圧倒的な強さの他にも別の理由があった。


 本来、このゲームは上級者同士で手を組む事が常套じょうとうであり、暗黙のルールとなっている。


【スタナさんは距離を取って数で対向した方が戦い易いですよ。連射や自動装填のスキルがオススメです】


【バルクさんは敵に回り込む様にしてアタックしてみてください。クリティカルが発生しやすくなりますよ】



 だけど……直樹は違った。


 自らが望んで初心者達とパーティーを組み、立ち回りやコツ等をアドバイスしてみせたのだ。分け隔て無く、誰に対しても敬意を持って接していた直樹の知名度は高く、その名を知らぬ者はいなかった。 



 そんなある日の事……直樹はとんでもないプレーヤーと遭遇する事となる。



 魔法使い『ハルハレ』


 数日前から突如現れた魔法使いなのだが、そのステータス振り分けは実にアンバランスであり、攻撃力だけが異常に特化されて防御力と機動力に関して言えばまるで皆無。

 あろう事か近距離で使う魔法しか覚えておらず、呪文の詠唱ロード中に敵から攻撃を喰らっては即死するような事を繰り返していた。


「ああ……なんかワチャワチャして来たな。ここはエクスカリバーで切り込んで行くしか……」


 この状況を打破する為に自らが行動に出る事を意識した直樹だったが思い留まった。それは何故か?……それではこの魔法使い『ハルハレ』が浮かばれないと考えたからだ。

 頭を掻きながら考え込んでいた直樹は意を決した様にマウスを手に取ると実にトリッキーな行動へと出るのだった。


【ハルハレさんは僕の背中に隠れて呪文を唱えて下さい。呪文の詠唱ロード中は僕があなたを守りますから】


 本当はこんな回りくどい事はせずに自ら斬り込んで行ってしまった方がずっと速いし、楽だったに違いないだろう。


 だがこのハルハレにも活躍の場を持たせてあげたいという直樹なりの優しさから自身が盾になる事を決めたのである。


 勿論、勝てる保証など無い。


 ハルハレがしくじれば戦況は一気に悪化して勝利からも大きく遠退いてしまうだろう。これは直樹に取っても大きな賭けであった。



 ドゴーーン


【敵を殲滅しました】


 数分のせめぎ合いの末、敵を殲滅する事が出来た。どうやら今回は直樹の作戦がこうそうし、勝利出来た様だ。心なしか画面に映るハルハレも嬉しそうに見えた。


「はぁ………………」


 座椅子へと深くもたれ掛かった直樹であったが、ふと何かを思いだたように再び深いタメ息をついた。それは……


【ご協力感謝です騎士様。今日はお誕生日でしたよね】

【騎士様は誕生日なんですね。おめでとうございます】

【あれれ。ハルハレも今日、誕生日なんですよ。奇遇……一緒にお祝いしましょうね】


 今年も誕生日を祝ってくれるのは人知れぬプレイヤーだけ……悲しみからなのか、ゲームのやり過ぎなのか目尻へと溜まった涙をサッと拭うとちゃぶ台の縁へと軽く額を擦り付けた。


 カリスマゲーマーとして讃えられていた直樹だが、現実はまるで違う……定職にもつかず、スーパーのアルバイトで生計を立てる日々。

 仕事以外の時間は殆んど家からは出ずに引き篭もってる事もあり、ご近所さんからの評判は最悪であり、いつも白い目で見られていた。



―アルバイトの帰り道― 

 〜公園のベンチ〜


 夕方になり、誰もいなくなった公園で一人寂しく飲みをしていた直樹。手には店長から貰った見切り品のお酒の数々……普段は全くお酒を飲まない直樹も今宵だけはヤケ酒とばかりに一気に飲み干してゆく……


 ゴクゴク……

 ……ゴクゴク……


 早く酔い潰れて嫌な事を忘れたい直樹はビール、酎ハイ、カクテルと次々と飲み干してゆき30分後にはスッカリ出来上がっているのだった。


「(なんか気持ち良い)」


 良くわからない幸福感に満たされ……幸せへと入り浸る直樹はそのまま夢の世界へと落ちてゆく。


「起きて下さい……起きて下さい……」


 いったいどれくらいの時が経過したのだろう。近くで誰かが呼ぶ声がした。


「ああ……もう、うるさいな。もうちょっとだけ」

「もうちょっとじゃない。サッサと起きなさい」


 突然、起こされた事に腹を立てた直樹……まだ眠い目を擦り渋々体を起こした。ボヤけた視界が徐々に晴れてくるとそこに立っていたのはなんと……



 警官のおじさんだった。



 どうやらベンチで寝ている直樹に気付き、心配して起こしてくれた様だ。だがまさかの事態に驚きを隠せない直樹は彼方此方あちこちへ視線をキョロキョロと移しながら激しく動揺してしていた。


「こんな所で寝てたら風邪引くぞ。それとも寝る場所が無いのか?ん?」

「あっいや……その……えっと……」


「君、住所は?仕事は?ほら答えなさい」


 寝起き、飲酒による激しい頭痛に襲われていた直樹の思考回路は完全にショート……呂律も回らず……そんな挙動を不審に思った警察官は突如、を始めるのだった。



初めての消失ロストヴァージン



 生まれて初めて味合う最悪な体験。人生の節目である今日……あってはならぬバッドエピソードであった。


 質問自体は5分程度で終わったのだが……


『警察に疑われた』


 ただそれだけで彼の自信は完全に消失していた。そして、そんなに直樹に対して更なる不幸が襲い掛かるのだった。


 薄れゆく緊張感と共に襲いかかる激しい吐き気。2軒……3軒とコンビニのトイレをハシゴしてゆくうちに味わう後悔……やはり慣れない暴飲はするものでは無いらしい。


 4軒目のコンビニから出ると、ビューっと風が吹いた。晩春にしては少し冷たいその風からはスゥーっと鼻をくすぐる雨の匂いがした。



 ―宵時雨―


 ポツポツと落ちる雨粒が地面に斑模様を作ってゆくにつれてやっぱりやめておけば良かったと後悔は深くなった。必死に吐き気を抑えながら俯き気味に暗い路地へと入って行く直樹であったが薄暗い分かれ道へと差し掛かった時だった……突然、誰かに声を掛けられた。


 どうやら女性の様である。


「はぁはぁ……私、今、追われてて……はぁはぁ……お願い……アッチに行ったって言って下さい」


 そう言い残すとサッと物陰へ隠れてしまう女性。そして、その後ろからは二人組のチンピラ風の男達がドタバタと音を立てながら迫って来ていた。

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