第6話 ワンハンドデトックス

 あまりにも急過ぎる展開に風呂場へと逃げ込んだ直樹は椅子へ座ると顳顬こめかみへ中指を立てながら苦悩していた。


 職場以外では女性との会話など皆無の直樹に取って晴希の出現は異例中の異例であり、出会った翌日にプロポーズまでされしまうとは夢にも思っていなかったからだ。


 ジャーー……


「晴希が女子高生じゃ無ければ……」


 頭から浴びるシャワーの音が悲痛な叫びと共に流れてゆくと直樹の左耳に掌ぐらいの小さな悪魔が現れた。


「なぁ兄ちゃん。聞こえてるだろ、無視すんなよ。あの女、マジ可愛いじゃねぇか。女子高生だろうが関係ねぇ、このまま付き合っちゃえよ」


「なっ……そんな事出来る訳が無いだろ?だいたいあんな純粋で優しい子をだな……」


 直樹は激しく抵抗した。勿論これは晴希の事を思っての言葉だったのだが、そんな気持ちを横切る様に悪魔は更に呟くのだった。


「お前は良いのかこのままで?恋人同士になればあの女の体を好き勝手に出来るんだぜ。晴れて童貞も卒業出来て一石二鳥じゃないか」


「いや確かにそうだけど……それじゃ晴希が……」


 直樹が悪魔の言葉にそそのかされそうになっていると今度は小さな天使が現れた。


「相手は純粋な女子高生……遊び半分な気持ちで付き合ってはなりません。それに貴方は凡庸ぼんような中年フリーターですよ。分を弁えるのです」


「そうだよな、やっぱりこんなのは良くない。晴希ちゃんは良い子だし、僕の私利私欲で犠牲にするなんて事は絶対に出来ない」


 直樹は己の未熟さを理解し、素直に現実を受け入れていた。天子と悪魔のバトル……勝敗は既には決したと思い込んでいた直樹だが……それでも尚、不敵な笑みを浮かべている悪魔が気になって仕方無かった。


「ふははは……まあ兄ちゃん、そう言わずにまずはを見ろよ」

「なっ……これは」


 悪魔が指す方向に干してあったのはなんと……


『ピンクのブラ』


 きっと晴希の物だろう……母親以外のブラを見た事が無かった直樹に取ってはそれはあまりにも衝撃的であり、刺激的な光景であった。直樹は恐る恐るブラを手に取るとその大きさに目を見開いた。


 見た目よりもずっと大きい……


 そしてブラがここにあると事実は同時に今、晴希の胸が無防備に晒されている事を意味していた。その様子を静かに伺っていた悪魔が鋭く口角を引き上げると直樹を口八丁にたぶらかしてゆく。


「ふははは……口ではなんとでも言えるがな身体からだは正直なようだぞ。ほらっ見てみろよ」


「なっ……こっこれは……」


 直樹の下半身には昨夜と同じく……いや昨夜以上に天へと突き出したその剣は再び直樹の下で怪しい輝きを放っていた。


「なりません。今すぐにその剣を鞘へと納めるのです。このままでは晴希さんにまで危害が及んでし……キャー」


 慌てて目の前に飛んできた天使だったが、直樹の目には最早、その姿は映っていなかった。まるでハエでも振り払うかの様に弾かれた天使は淡雪の様に消えてしまった。

 そして己の欲望へと突き進む直樹に対して悪魔は最後のささやきをするのだった。


「あの女は無防備……犯るなら今だ。良いか、その剣で一思ひとおもいに突き刺すんだ。きっと今まで味わった事の無い様な快楽が全身を駆け巡るだろうぜ……くくく」


 そう言い残すと闇へと溶けてゆく悪魔。既に理性崩壊トランスしている直樹は己の欲望に任せてパンツ姿のまま脱衣所の扉を勢いよく開けた。


「晴希……ちゃん?」


 だがそこに晴希の姿はなかった。辺りを見渡すとテーブルの上には綺麗に折り畳まれたTシャツと一枚のメモ紙が残されていた。



【dear直樹さん】

【昨日は助けてくれてありがとうございました。学校に遅れそうだったので今日はこれで失礼します。連絡先を書いておいたので絶対に連絡下さいね。また会える日を楽しみにしてまーす】

【from晴希】


 晴希からのメッセージを読みスッカリ落ち着きを取り戻した直樹は内心ホッとしていた。もしこの場に晴希がいたのならきっと力任せに襲っていたかも知れないからだ。

 高ぶった感情は時として理性を壊し、絶望へと誘う……。よこしまな感情を洗い流すために自室と戻ると直樹は自らの欲望を宙へ解き放つのだった。



孤独な抜刀術ワンハンドデトックス



 不快な濁音と共に体から抜け落ちる不純……その瞬間、直樹は『時の賢者』となった。己の不甲斐なさと晴希へ対する罪悪感にさいなまれた直樹は右腕で両目を覆うと深い溜め息をついた。


「はぁ……やっぱり僕には晴希ちゃんと付き合う資格なんて無い。僕は最低な奴だ」


 もう晴希とは会わない方が良いだろう。窓越しに覗いた空は太陽が分厚い雲によって隠され少し寂しそうな顔をしていた。まるで一つの恋が終わったか様に……

 

 ビューー


 窓から吹き込んで来た風が悪戯にも晴希のメモ紙を裏返すとそこには……別のメッセージが書かれていた。


【P.S.】

【私はやっぱり直樹さんの事が好きです。結婚は言い過ぎましたが、お付き合いしたい気持ちは本気です。直樹さんからの返事待ってます】


「……晴希ちゃん」


 春の気まぐれな風の様に晴希への想いもまた揺らいでいた。そのままベットへと寝転ぶと埃の被った照明を眺めながら再び晴希の事を思い耽る直樹なのであった。

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