第11話 レッドストリングス

 襲い掛かるプレッシャーに額から滲でいた汗が頬を伝る。固唾を飲んで事を見守る直樹であったが……晴希の願い事は実に意外な内容だった。


「私のお願いは残り5分の休憩時間……私の顔を見つめながら無言で手を繋いで下さい」


「えっ?」


 どんな事を言い出すのやらと恐怖すら抱いていた直樹に取ってこの回答はあまりにも拍子抜けだった。


 これが直樹の事を思っての事だったのか、他に何か思惑があるのかはわからなかったが、肩の荷が降りた直樹の顔はだらしなく緩み、安堵の表情を見せるのだった。


「そんな事ならお安い御用だよ。はい」


 差し出した直樹のゴツゴツとした太い右手に晴希の右手が絡まる。その細くしなやかな晴希の手からは柔らかな脈動と優しい温かさを感じ不思議と心地良かった。

 そして満を持して晴希の顔を見つめるのだったが……ここへ来て直樹はようやく自分の考えが浅はかであった事に気付く。



紡ぐ二人の絆レッドストリングス



 手と手を繋ぎながら見つめ合う二人……二人だけの空間……二人だけの世界。初めは見つめ合う事に照れていた直樹も次第に晴希から視線を反らす事の出来なくなってゆく。

 奪われた瞳……満たされてゆく心……膨らんでゆく想い。時計の秒針の音と鼓動の音だけが入り交じるこの世界で二人の心は今、一つになった……見つめ合う二人の間には確かにこの時、愛が芽生えていたのだ。

 この幸せな永遠とわに続きますように……そう願わずにはいられなかった。


「晴希……」


 ついに限界を迎えた直樹が握っていない側の手を晴希の肩へ掛けようとした瞬間だった。


 ピピピ……ピピピ……ピピピ……


 突如、鳴り響いたスマホのアラーム音により、現実へと引き戻された。


「あん……もう時間切れ。あと少しで直樹さんが私の事を好きになってくれると思ったのに……」


 無情にも鳴り響くアラーム音に悔しがる晴希とは裏腹に今まで感じた事の無い程の高陽感に浸っていた直樹は半ば放心状態であった。

 瞬きも忘れるほど目を見開き動かない直樹は最早、晴希の事しか考えられずに完全に落ちていたのである。


「ねぇ直樹さん?直樹さんってば」

「えっ?……あっああどうした晴希?」


 心配そうな面持ちで直樹の顔を下から覗き込む晴希だったのだが……


「どうしたじゃなくて……もう休憩終わりだから戻らないと……きゃっ」


 バイトの休憩中だった事を思い出し、急に立ち上がる直樹だったが、晴希と手を繋いだままだった事を忘れていた事もありバランスを崩して倒れてしまう……晴希もろとも。


「ごっごめん晴希。大丈夫だったか?」

「大丈夫で……ひゃっ……」


 覆い被さる様な形で倒れていた晴希の体に手を宛てがった直樹だったが……何やら晴希の様子がおかしいだ。背中に氷でも入れられたかの様な可笑しな声を出すと顔を赤くして俯いてしまったのだ。


 それもそのはずだった。直樹が手を宛がっていた場所……それは晴希の双丘。しかも、トドメとばかりに親指で禁断のボタンを押し込んでいたのだから……

 人間いざとなるとやはり目の前のボタンを押すことぐらいしか出来ない様だが……このボタンはまずかった……非常にまずかった。


「こっ……こんな場所だし恥ずかしいけど。直樹さんが求めるなら……私は受け入れるよ」


「あわわわ……ごっごめん。えっとそのえっと……ごめん」


 想定外の事態に激しく動揺していた直樹はワタワタしながらも一向に体勢を整える事が出来ないでいた。そんな直樹の前に顔をゆっくり近付けて来る晴希はあと数十センチといった所で止まると静かに目を閉じた……どうやらキスを待っている様だ。


「晴希……僕は君の事を……」


 加速してゆく鼓動は部屋全体へと響き渡る程に高鳴りを見せ、沸き立つ感情を抑える事が出来ず、晴希の頬へと手を伸ばした瞬間……今度は事務所の固定電話機が鳴り出した。

 再び我へと返った直樹は汗を拭うと慌てた様子で受話器を取った……電話の相手はパートのオバちゃんであった。


「あっすみません。控え室でジュース溢しちゃって……はい。すぐに戻りますので……」


 電話を切った直樹は俯きながら気まずそうな顔をしていた。電話のせいじゃない……私欲の為にこの純粋な女子高生へ二度までも手を出そうとしまったからだ。そんな直樹を見て晴希も心配そうな面持ちで見つめていた。


「ごめんなさい。もしかして私達が遅いから怒られちゃいましたか?」

「あっ……いや怒られて無いよ。遅いから心配してくれてたんだ。じゃあ戻ろうか?」


 晴希への思いを圧し殺し、急いで店内へと戻った二人はパートのオバちゃんに改めて謝罪をするのだったが……


「すみません。僕がジュースを溢してしまって……その……」


「今日はレジも空いてるし、別に良いのよ。直樹君の事だからなんてする訳は無いって思ってたけど、ちょっと帰りが遅かったから心配になってね」


 直樹には言葉が無かった。今さっきまでそのを晴希へとしようとしてた訳なのだから……


 だが名探偵オバちゃんの推理はこれだけでは終わらなかった。


「なんか晴希ちゃんの事を呼び捨てにしたりして親しそうだけど、もしかして知り合いだったりするのいかしら……うふふふ」


「えっ……あっ……えっとその……」


 鋭すぎるオバちゃんの一言に何も言い返せない直樹は目をフルフルと震わせながら明らかに動揺している。そんな直樹の顔を不思議そうな目で見ていたオバちゃんに対して見兼ねた晴希は仕方無いとため息をつく様な顔でとんでもない事を言い放つのだった。


「えっと直樹さんと私はですね。同じ屋根の下で一晩を共にした間柄でして……」

「……??」


 晴希の突拍子の無い話にハテナマークのついたオバちゃんだったが……そこは直樹が間髪を入れずに否定するのだった。


「ダァアアアーー。なっ……何誤解を招く様な事を言っちゃってんの?ははは……あの……その……そう!昔、ウチの近所にいた子で小さい頃に泊まりに来た事があるんですよ……あれは小学校だったかな……あはは」


「ははは……そうよね。真面目な直樹君がまさかとは思ったけど。じゃあ今度は私が2番に行ってくるわね」


 苦し紛れの言い訳だったがどうやらオバちゃんを誤解させずに済んだ様だ。安心していた直樹だったが横にいる晴希の視線がピリピリと熱い。


 晴希との関係を隠す為についた嘘。お陰で事なきを得た直樹だったが、どうやら晴希の機嫌は損ねてしまったようだ。そんな晴希対しておばちゃんは去り際に声を掛けた。


「直樹君は歳いってるけど優しい子だから晴希ちゃんも仲良くしてあげてね」


「はーーい。仲良くしまーーす」


 横目で直樹の方を見ている晴希だがその視線はキラッ光っていた。そして……再び二人きりになると晴希の逆襲が始まるのであった。

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