ウサ・ウサ・ピョン・ピョン

第20話 「雨の日は通勤通学禁止にしてくれ」

 文芸部とは、具体的に何をする部活動なのだろう?

 最初は小説の執筆だと考えていたが、しかし詩や俳句だって文章であるから、それらの創作も文芸活動に含まれるのだろう。


 尖った酸味のあるコーヒーを啜りながら、スマホを取り出す。そして検索欄に文芸部の文字の入力。……ああ、なるほど、批評もその活動に含まれるのか。


 つまり文章を書くこと読むこと、それが文芸部の活動ということだ。

 ……じゃあスマホでSNSを弄っているのだって文芸活動になるのでは?


「……」


 もう一度コーヒーを啜る。

 それはただの屁理屈だ。ちょっと、なんとなく考えただけ。わざわざ口に出して、黒川さんの反感を買うようなことはしない。


 一体どうしてそんなことを考えているのかというと、理由は二つある。


 一つは退屈。僕と古賀さん黒川さんは何となく文芸部室に集まっているけれど、特にすることもなく、課題に苦戦していたり、蔵書を斜め読みしていたり、キーボードを叩いていたり、それぞれがそれぞれのことをしていた。


 僕と古賀さんが入部して一週間。

 最初の内は「古賀さんを惚れされるにはどうすればいいのか」と三人で議論を交わしたりしていたのだけれど、「もう一度一緒に出掛けてみるっていうのは?」「……うーん」「焦るのはダメよ、ちょっとずつ一緒に日常を送るのが大事なんじゃない?」「そうなんですかね……」という具合で、中々議論は煮詰まらなかった。


 それもそのはず、”自分自身を惚れされる方法”なんて分からないのが普通なのである。どんな言葉にときめくとか、どんな顔が好きみたいのはあっても、もっと奥に踏み込んでどうすれば惚れるかなんて分かるはずがない。……分かるはずがないよね? ちょっと、自身はないけれど。


 僕の恋の対象が他のクラスメイトならば、「もっと積極的に話しかけてみよう!」「遊びに誘ってみよう!」と色々言えるのだろうけれど、こと自分自身のことになるとそうはいかない。「そうじゃないんだよなー」とは思いつつ、じゃあどうすればよいのかは分からない。僕たちの議論はどんどんと袋小路に入ってしまい、週を跨いで今日になると、誰もその事を口に出さなくなっていた。


 結果として僕は、供養の意味を込めて適当に選んだ蔵書の一冊を斜め読みしているのだった。名前は聞いたことのあるくらい有名なミステリー。映画化決定、と帯に書かれていた。しかしその内容が全く頭に入らない。その理由は――変な屁理屈を考えてしまった二つ目の理由と同じである。


 今日は、雨が降っている。



*



 雨は嫌いだ。

 塗れる。頭が痛くなる。眠たくなる。

 そして何より、死にたくなる。


 死にたいという考えに支配されている僕だけれど、何も四六時中三百六十五日、死にたいと考えている訳ではない。むしろ考えていない時の方が多いのだ。ただ、ふとした時に、「死にたい」の四文字が浮かんでくるのだ。


 公園にある砂場、あれは砂が山を作っている訳じゃなく、コンクリートで作られた枠の中に砂を盛っているだけなのだ。彫ってほって掘り進めれば、いずれはそこに突き当たる。砂が思考で、その枠が自殺願望なのだ、


 だけれど雨の日は別である。

 水を吸って大きくなるのか、霧のようにもやもやとした「死にたい」が、思考の表面に張り付いて離れないのである。その裏からじわじわと、頭痛と眠気がにじみ出てくるのだ。


 だから、僕の思考は全てが「死にたい」に引っ張られてしまい、いつも以上にネガティブでシニカルなフィルターが掛かってしまうのである。


 再度、コーヒーに口を付ける。

 古くなって少し酸化しているインスタントコーヒーは、舌に刺さるようなきつい酸味がある。だけれど今はそれがいい。このきつい味が、意識を正してくれる。


「コーヒーのお代わり、いる?」


 難しい顔でプリントを睨んでいた古賀さんは、いつの間にかペンを放り出してスマホを弄っていた。


「課題終わったの?」と尋ねると、「ふふ」とはにかんで見せた。


「ま、休憩ですよ。雨の日は、なんだか頭が働かなくて」


 そこに関しては同感だ。


「それで、ちょっとティータイムでもと思って。お代わりいるなら一緒にと思って……どうする?」


「……」僕はカップの底にわずかに残った茶色い水面を見てから、「いいかな」と首を振った。「あんまり体調が良くなくて……今日は帰ることにするよ」


「あら、大丈夫なの?」と声を掛けたのは、真剣な表情でパソコンに向かっていた黒川さんだった。充電器に繋がれたノートパソコンはメタリックレッドの目を引くデザイン。随分と奇抜ではあるが、おそらく彼女の私物である。


「はい、大丈夫ですよ。熱とかそういうのじゃないので……」


 すみません、気を遣っていただいて。僕は黒川さんに頭を下げると、コーヒカップを手に取って立ち上がった。


「いいよ、わたしが洗っておくから」


「いや、大丈夫……」


「いーから」


 古賀さんは僕の手からコーヒカップをひったくると、僕が取り返せないように机の中に隠してしまった。「ごめんね」と言ってから、今度は鞄を持ち上げた。


「……本当に平気なの?」


「うん。雨の日は、ちょっとこんな感じで……」


「あー……まあ、分かる。だるくはなるよね。それの酷い版?」


「酷い版」


 僕は扉を引いて、「お先に失礼します」と言って――振り返って「本当に大丈夫だよ」と言って、今度こそ部室を後にした。



*



 ああ、雨が嫌いな理由がもう一つあった。

 傘だ。これが僕は大っ嫌いなのだ。


 持ち運ぶのが面倒臭い。片手が塞がるのが煩わしい。雨の当たるぼつ、ぼつという音がうるさい。乾かしたり忘れないように気を付けるのがかったるい。


 ぼつ。ぼつ。

 妙に耳に障るその音に誰にも向けられない苛立ちを感じていると、「ねえ」、雨音をかき分けてそんな声が耳に振れた。商店街の隣にある、スナックやパブの並ぶ通りだった。


 友だちなんていないから、僕に向けての呼びかけのはずがない。

 しかし何故だか僕は、それが自分に向けられたものであると分かった。


 僕は反射的に振り返った――ああ、気のせいだと判断して無視すればよかったとすぐに公開した。


「自殺の名所に向かうような哀愁の漂う背中で、直ぐに分かりましたよ」


 ウェーブがかった髪を二つ縛りにした女の子が、にやっと笑って立っていた。肩に掛けられは通学鞄には缶バッヂやキャラクターのストラップでゴテゴテと飾り付けられていた。だけれど、その派手な格好とは対照的な味気のないビニール傘を掲げている。


 宇佐雪子うさゆきこ。彼女はそういう名前だった。

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