第3話 「やっばあ」
「甘酸っぱい感覚。こればっかは言葉で説明できないやつかなー。それに、出来ちゃいけない気もする。恋をした事のある人にしか分からないやつですよ」
「はあ……なるほど」
じゃあ僕には到底知らない情緒だ。
甘酸っぱい――感覚。言わんとすることは、分からなくはないのだけれど。
「それで、一樹くん」
何度目になるか、彼女は僕の名前を呼び、何度目になるか、僕の目を見つめた。だけれどその時の彼女の声のトーンと目つきは今までとは少し違っていた。もちろん怒りである。僅かに、ではあったけれど。
「どうして嘘の告白なんてしようと思ったの?」
「……それは」
「誰かにやらされて? それとも……わたしのことなんて別に好きじゃないけど、告白すればワンチャンあると思った?」
「そういう訳じゃなくて……」
「じゃあどういう訳?」
「……それは――」
結局。
僕は一体どうして古賀さんに嘘の告白をしたのか、その理由の全て――僕の自殺願望までも、洗いざらい白状。“そうすれば何となく、死にたい気持ちが晴れると思ったから”告白しただなんて、まるで人の気持ちを弄ぶようで言い辛かったが。
というか万が一に告白が成功していたらそうなっていたのだから、“まるで”ではないのだけれど。
「……何それ」
果たして、古賀さんは。
「何それ、やっばあ」
可笑しそうに、笑った。吹き出していた。
僕は呆気にとられ、上品な笑い方ではない、おなかを抱えてげらげらと笑う古賀実というクラスメイトを、漠然と瞳に映していた。
「一樹くん、死にたかったの?」
「まあ、ずっとね……」
「恋したことないの?」
「……一度も」
「それで、恋をすれば何とかなると思ったの?」
「まあ……」
「なる訳ないじゃんか」
そう言って、古賀さんはもう一度盛大に吹き出した。
力の入らない身体をフェンスに預け、そのままするすると姿勢を崩して床に座り込む。フェンス際は日光に照らされる僅かな領域だから、地面に苔は覆っていない。
古賀さんを見下ろすのが何となく嫌で、僕は彼女の横にしゃがみ込むことにした。
「そんなこと分かってるよ。僕だってダメ元だったから」
「そうじゃなくてさ」
ひとしきり笑った古賀さんは、涙をぬぐいつつ大きく深呼吸をする。
「好きな人を作ろう、適当にあの人でいいや、とりあえず告白してみよう――万が一それで付き合えたとしてもさ、一樹くんの気持ちが変わる訳ないじゃん。だって、結局一樹くんは何も変わってない訳だし」
「ぐっ」
それはあまりにも的確過ぎる正論だった。
正論は人を傷つけるというが、今初めてそれを体感した。自分の思慮の浅さ、考えの至らなさを突きつけられるというのは、なかなかどうして心に刺さる。
「それにね、何より一樹くんは努力をしてないんだよ」
「……努力?」
この告白も努力のつもりなのだけれど。その事を古賀さんに言うと、「思いを告げることを頑張るのなんて当たり前だよ」と一蹴。
「そうじゃなくて、告白を成就させるための努力だよ。それに片思いの苦労も知らないよね」
「はあ……」
どちらも全くピンとこない言葉だった。そんな僕の様子を見て、古賀さんはやれやれと肩をすくめた。
「普通なら告白を決行する前にいろんな努力をするものなんですよ? 絡みに行ったり、優しくしたり、かっこいいと事を見せようとしたり」
「あ、ああ、そういうこと」
それは流石に理解はできる。ただ今回は、それを知りつつ省いただけだ。どうせ相手からの反応を期待していない、とりあえず告白すれば本当に好きになれるかなという理由で告白をしただけだから――いや、こういうことか、古賀さんの言っていることは。
「じゃあ片思いの苦労っていうのは?」
「一樹くんは知らないだろうけれど、人を好きでいるのってすごい大変なことなんですよ」
「……どうして? 好きって想い続ければいいんじゃないの?」
「…………」
だからそれが大変なんだよ……。呆れたようにふうと溜息をついてから、「本当になんにも分かってないんだね」と憐れんだ目を僕に向けた。
「今さっき言った色々な努力、それが上手くいっているかの不安。好きな人が話しかけくれた時の淡い期待、それで他の異性と話してた時の嫉妬と焦り――常に一喜一憂しながら、もうあきらめた方がいいんじゃないかとか、そもそも身の丈に合ってないんじゃないかとか、そういういろんな悩みが付きまとう者なんですよ? 人を好きでいるっていうのは」
「……なるほどね」
「本当に分かってる?」
「分かってる、理解できてるよ、頭の中では」
そう、頭の中では。
言葉の上で、理屈の上で、理論の上では理解できる。恋はしたことは無くても、人間の心がない訳ではないのだから、その心の動きは理解は出来るのだ。
しかしやはり恋をした事がないから、それが感覚的に分からない。腑に落ちないのだ。
「駄目みたいだねえ」
苦笑と共に肩をすくめる古賀さん。「だね」。僕がそういうと、彼女は「なに他人事みたいに言ってんの」と僕のわき腹を小突いた、
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