第2話 「ストロベリイ・ライク」
「まあ黒歴史かなー」と古賀さんは苦笑を浮かべた。「気になってる人がいて、その人がそこのことを知って、迫られて……それで許しちゃった。……その時はそれが嬉しかったんだよね」
苦笑に、情けなさや後悔といった感情が混ざる。
別に、珍しい話ではないと思う。そういうことも、あるのだろう。聞いたことだってある。だのに、僕は驚いていた。
「その人は、誰なの?」
言ってから、しまったと口を押さえる。無意識に、デリカシーに欠けた疑問が口に出てしまった。
しかし古賀さんは特に気を悪くした素振りもなく「誰だと思う?」と言ってから、すぐに「もういないよ」と、目を伏せた。
「学校辞めちゃったんだよ。妊娠させちゃって」
「妊娠、って……!」
「わたしじゃないよ、わたしじゃない別の人」
古賀さんは、慌てた僕を見てくすくすと口元を押さえた。
……別の人に手を出してたってことか。考えてみれば当たり前だ。そんなふしだらな男が、他の女性に手を出していない訳がない。
「そんな人だったから、多分友達とかにわたしのことを話してたのかなー。すぐやらせてくれたぜって自慢? それですぐ広まって――で、わたしってもともと浮いてたっていうか嫌われてたから、どんどん悪意と尾ひれが付いて行って……って感じ」
「……」
僕は、彼女に何も言えなかった。フォローの言葉も思い浮かばなかった。フォローするべきなのかも分からなかった。やはり僕には色恋は分からないのだし、それ以前に人と関わること自体が不得手なのだから。
そんな僕の心中を察した訳ではないだろうが、「一樹くん」、古賀さんが僕の名前を呼んだ。
「ねえ、一樹くんさ」
「なに?」
「そんな訳だから残念だったね。わたしは一樹くんが思っているような人間じゃないし、思ってもなかった人でもなかったの。ビッチでも清楚でもない、普通の恋してた、普通にエッチなことにも興味のある女子高生だよ」
「……別に」
「うん?」
「別に、僕は古賀さんがビッチだから呼び出した訳じゃないよ。そういう目的じゃない」
「えっ?」
古賀さんは、到底考えていなかったことを言われた様に、きょとんと眉を上げた。穏やかそうに垂れた目が丸く形を変えた。
「すっかり言うタイミングを見失っちゃってたんだけど……僕は別に、そういう目的で古賀さんを呼び出した訳じゃないんだよ」
「……っていうことは、あれ? わたしは一樹くんを勝手に勘違いした挙句に自分から黒歴史を晒したってこと?」
古賀さんの顔がみるみる内に真っ赤になった。このまま弾けて炸裂してしまうのではないかという程に赤くなった後、今度はみるみる真っ青に、まるで病人のように青白くなってしまった。
「いや、それが……全く関係ないって訳でもないんだ」
「……え、どういうこと…………?」
「えっと、つまり……――」
ふと、分かったというか。ありていに言えば、びびっと来たというか。
告白するならここしかないと思った――好きですの四文字。
「好きです」
そして、言っていた。案外、あっさりと。もちろん気恥ずかしさもあったけれど。頬が、耳が、わずかに熱かった。
「……えっ」
古賀さんは口をぽかんと開いて、目も開いていて。その表情がどういう意味のものかは直ぐに分かった。つい先ほど、自分も浮かべたばかりだから。
「……えーっと…………」古賀さんはたっぷりと間をおいてから、「好きって言ったの?」と確認。「うん」と僕は頷いた。
「それで……わたしを呼び出した訳だ」
「うん」
「そっか……」
「…………随分急かもしれないけど、どうかな」
「……」
「……」
「どうして?」
「え?」
古賀さんの顔はほんのりと赤みを帯びていたが、その目は僕を見定めるように鋭く向けられていた。
「わたしも純情な生娘じゃないからさ、その言葉がそっくりそのまま信じられる訳じゃないんだよね。今まで、ほとんど接点なんて無かった訳だし」
「……うん、まあ、そうだろうね」
事実、この言葉は嘘な訳だから。
「いくつか質問していい?」
「それで古賀さんが信じてくれるのなら」
僕は真直ぐに古賀さんの目を見返して、腹から声を出してはきはきと言った。
気の小さい僕は嘘を吐くのに向いていない性分だということは分かっている。だから彼女の目を見つめて声をはっきり出すことで、おどおどした様子を見せないようにする。
「じゃあ、質問一つ目」
そう言って古賀さんは人差し指を顔の横でピンと立てた。自然と視線がそちらに引き寄せられながら、「うん」と僕は頷いた。
「まず、どうしてわたしを好きになったの?」
「それは――」下手に嘘を重ねるとすぐにボロが出る。できる限りは本当のことを言った方がいいだろう。「――古賀さんが、僕の隣の席だったから」
「……え、それだけ?」
しまった、彼女の反応からしてこの言葉は間違いだったか?
だけれどここで言いよどむのが一番怪しい。反省は後にして、僕は更に言葉を続けた。
「それだけっていうか……隣だからよく見えたから。顔とか……仕草とか」
「……なるほど」
古賀さんは僕の言葉の裏を見透かそうとするように目を細めた。
人から顔を見られるのは得意ではないが、目を逸らすと全てがばれてしまうような気がして、目の奥にぐっと力を込めて彼女の瞳を見返した。きっとそれは、嘘をついているという後ろめたさからくる錯覚なのだろうけれど。
「二つ目、いい?」
「うん」
「わたしのどこを好きなの?」
「……声、かな」
「声ぇ?」
僕の答えがよっぽど意外だったのか、古賀さんはトーンの外れた調子の外れた声をもらした。すぐさまはっとして、恥ずかしそうに口元を押さえた。
「声……」
「うん、声だよ。古賀さんの声ってすごい綺麗なんだよ。人に聞かせるためにデザインされた声……みたいな。綺麗で聞き取りやすい、凄い良い声」
「……ちょっと、意味が分からないけど」
古賀さんは口元を押さたまま、小さく言った。まるで自分の声を聞きとられるのをなるべく避けようとしているようだ。
「それに、ちょっと矛盾してない?」
「矛盾?」
「さっきは席が隣で顔や仕草が見えたからって言って、それで今、好きな所は声って言った」
「……別に矛盾してないよ。最初に惹かれたのが声で、それで古賀さんを見るようになって、好きになったってこと」
内心冷や汗をかきながら、それでも図々しく、僕は宣言した。
「それでもやっぱり、“隣の席だったから”っていうのは、なんか変な気がするんだよ」
「……言葉のあやだよ」
「……ふうん?」
「自分の恋心を、しっかりと認識してる人の方が少ないんじゃないかな」
「……ねえ、一樹くん?」
「なにさ?」
「一樹くんさ、嘘を吐いてない?」
「……どうして?」
「あ、『そんなことはないよ』って言わないんだ」
「いや、それは――――別に変じゃなくない? まず否定から入るのが――当然だとは思わないけど」
「うん、一樹くんの言葉は別に変じゃないよ。でも随分焦ってたよね」
「そりゃ、急にそんな事言われれば焦るよ……」
「ねえ、一樹くん」
「なに?」
「嘘でしょ、わたしの事が好きっていうの」
「……」僕は観念にして、ふうっと息を吐いた。「どうして分かったの? いつから?」
「何となく。好きって言った最初から」
「何となくって……」
そんなのもう、お手上げじゃないか。
「なんか、一樹くんからわたしに対しての好意とか恥じらいが感じなかったっていうか……」古賀さんは顎に手を当てて考えるそぶりを見せる。「告白に対する恥ずかしさはあっても、好きな人と対峙したことに対する――こう、甘酸っぱい感覚が一樹くんから感じなかったんだよね」
「甘酸っぱい感覚……」
僕はその言葉の意味が分かりかねて、口に出す。「例えば、苺みたいな、甘酸っぱい感覚」古賀さんも、もう一度反復した。
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