第24話 「チェストー!」

 何故かそんな予感はしていたのだけれど、ウサユキに連れられてやって来たのはあの”喫茶店ふくろう”だった。偶然にしては随分出来すぎだ、と思った。

 いや、偶然じゃないのかもしれない。ウサユキのことだからここ数日の僕の行動を見張って――なんてのは、流石に妄言か。


「ここ、あたしの隠れ家なんですよ」


 ガランガランとうるさく響くベルに紛れて、ウサユキが言った。古ぼけた喫茶店がなんて似合わない人なんだろう、と思った。


「人いないし、店主もうるさいこと言わないから、男連れてきてエンコーの話とか金のやり取りできるので」


「……いつか補導とかされないようにね」


「まあまあ」


 そしてまたもやなんの偶然か、ウサユキが向かったのは古賀さんと座った席だった。いや、一番奥のテーブル席だから、十分にあり得ることだけれど……。


「ん、先輩どうかしましたか?」


「いや……」


 僕は前と同じ席に腰を下ろした。水を持って来た店主さんは、僕とウサユキの顔を交互にちらりと見たものの、何も言わずに水を置いた。「コーヒー二つね」。ぶっきらぼうにウサユキがオーダーすると、店主は何も言わずにカウンターの奥に戻って行った。


「あたし、あの後、荒れに荒れたんですからね」


 お冷で舌を湿らせてから、唐突にウサユキは先程の話の続きを再開した。


「フラれたことなんて初めてだったから。だから、もう男遊びはもううんざり。一生分やることやりましたよ」


 まあ、あたしの一生なんてあたしのさじ加減なんですけどね。彼女の笑えない冗談に、はは、と僕は適当に返した。


「二年前ならいざ知らず、もう先輩がやらせてって言ってもやらせてあげませんよ」


「死んでも頼まないから」


「死んでも、ですか」


 あはは、とウサユキは笑った。


 コーヒーを運んできた店主さんが、僕たちの会話に割り込むようにしてそれを置いた。ウサユキの前に置かれたコーヒーは、あらかじめミルクがたっぷりと入っていた。


「あの、勘違いしないで欲しいんですけど、あたし別に先輩に恨み言を言いに来た訳じゃないんですよ」


 ウサユキは、コーヒーを香りを楽しんだり味わったりするような素振りを見せず、コーラと同じように一気にカップの半分ほどをに胃に流し込む。


「ただ偶然見つけたから声掛けちゃっただけで、せっかくだからその事をネチネチからかってやろうと思っただけで」


「……でも、怒ってるでしょ」


「そりゃあもう」そしてニヤッと笑った。「でも、怒られて、怒らせて、それが人間でしょう」


 ウサユキのくせに、まるで黒川先輩のような達観したことを言うのだった。


「立ち直るまで随分時間がかかりました。随分荒れました。随分遊びました。そして、なんであんなやつのためにこんなに荒れてるんだと、また荒れました。でも、あたしはもう先輩を許しました」


 だって、結局、あたしはまだ死んでないんだから。

 コーヒーの残り半分をあおって、彼女は自嘲気味に笑った。


「本当に死にたいのなら、あのまま一人で死ねばよかった。どころかとっくに死んでなきゃおかしいんです。でもあたしは、イライラを発散することに躍起になって、果たして死ぬことはありませんでした」


「……怖かったの?」


「もちろん」と、大きく頷いた。


「結局のところあたしも死ぬのが怖くて、でも心中なんて死んでもごめんで、そんなときに先輩を見付けて、気に入って、嫌いになって、羨ましくなって、それでこの人なら一緒に死んでいいなって思って、だから一緒に死のうとしたんです」


 不思議な感覚だった。

 ウサユキの口から怖いという言葉を聞くのが、なんだかとても違和感があった。彼女には怖いものなんてないと思っていた。当然のように、死ぬことなんて怖くないのだと――そう思い込んでいた。

 


「なんでそんなに意外そうなんですかあ。あたしだって人間、女の子ですよ? まあ、それを認めたくなくて先輩にあたってたんですけど。だから、あたしは先輩を許しました。だから、次は、先輩が許される番です」


 ……僕が許される番?

 よっぽど僕が素っ頓狂な顔をしていたのだろう、ウサユキは肩をすくめ、やれやれと溜め息を吐いた。


「あたしが必要以上に怒ってたのと同じように、先輩も必要以上に申し訳なく思ってるってことです。さっきからずっとあたしに怯えてるし……。昔はおどおどとしてたけど、そんなにびくびくはしてなかったですよね?」


 怯えている。びくびく。僕は声に出さず、口だけ動かしてその言葉を反復する。


「なにをそんなに申し訳なく思ってるんですか。あたしとの約束をすっぽかしたこと? あたしを死なせてあげられなかったこと? なら安心してください、あたし、もう死ぬ気はないですから」


「……え?」


「死にたい気持ちは変わりませんけど、死ぬのは、とりあえずやめにしたんです。っていうか、死ねないんです、もう、一人じゃ」


 そしてウサユキはずいと身を乗り出して、コーヒーカップを持ち上げようとしていた僕の手を、両手で挟みこんだ。その拍子にウサユキの手がコーヒーカップにぶつかり、ひっくり返ったその中身が彼女の腕にぶちまけられた。


 ……熱くない訳がない。しかしウサユキは微塵も動じた様子も見せず、更に身体を乗り出して互いの鼻が触れる位にまで顔を寄せた。熱くないの? 大丈夫? 引き伸ばされた彼女の瞳に見つめられた僕は、その言葉を口にすることが出来なかった。


「あたし、死ぬなら先輩と一緒に死にたいんです」


 ウサユキの息が、僕の唇にかかった。既視感が有った。あの時、自分がどう考えていたのかを思い出した。救い、である。ウサユキに共に死のうと提案をされた僕は、これでやっと生き地獄から解放されると思ったのだ。


「……ぼ、」


 僕は。

 僕がその先を言う前に、彼女はまるでスイッチが切り替わったかのようにパッと手を離し、何事もなかったかのように椅子に座り直した。


「でも無理矢理は嫌なんです。互いに合意の上で、お互いがお互いと死にたいと思ったうえで死にたいんです。だから、返事は急かしません、強制しません。あたしは、先輩が自殺を決心した時の選択肢になります。もし自殺はしないっていうなら、はい、それも黙って受け入れます」


 ですから、先輩。

 もしその時が来たら、一緒に死にましょう?


 ウサユキの――悪魔のように魅力的な救いの言葉に。

 僕は黙ることしかできなかった。

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