第22話 「デンジャー・ラブリー」

 僕みたいな根暗インキャと宇佐雪子というギャルギャルしい女の子が縁を持ったのは、ただの偶然とも言えるし見方を変えれば必然とも言える。こんな曖昧な言い方になってしまうのは、偶然か必然かなんてただの一個人には分かりっこないからだ。

 だけれどそれでも強いて言うのならば、幾つもの偶然の上に必然的に出会った、という言い方が一番正しいと思う。


 場所は栄北中学校さかえきたちゅうがっこう。栄市にある公立中学の一つ、そこのバルコニーだ。この学校にはバルコニーという広いベランダのような洒落たものがあって、生徒のために解放されている。つまり今の高校の屋上とほぼ同じである。そこで僕たちは出会ったのだ。


「いつもここに居ますねえ」


 冬に差し掛かった辺りだと記憶している。僕がいつも通り手すりに体重を預けぼおっとしていると、唐突に声を掛けられた。身体を起こして振り返ると、ストラップや缶バッヂがいくつもぶら下がった鞄を肩に担いだ女の子が、にやにや笑って立っていた。


「えっ……そ、そうかな」


 突然知らない相手、しかも女子、しかも後輩、それに女子に話しかけられたものだったから、僕はしどろもどろになって曖昧な返事を返した。


「バルコニー、あたしの教室の前なんですよ。放課後教室でぼーっとしてるとよく先輩の姿が見えるから、気になって声掛けちゃいました」


「あ、ああ……それは、どうも、ありがとう……」


 女の子を前にしておどおどしている自分というのはさぞかっこ悪いんだろうな。僕は猛烈な自己嫌悪に陥った。死のう、改めてそう決意した。


「お隣いいですか?」


 頷くよりも先に、彼女が僕の隣についと並んだ。そして先程の僕を真似するかのように、手すりの上で腕を組み、そこに自分の顎を乗せる


「ここ、なにが見えるんですか?」と再び訊いてきた。別に、僕は景色を見ている訳じゃない。「さあ……」と僕は答えた。


「ですよねえ」と彼女は頷いた。「先輩、いつも下を見てますもん。景色とかじゃなくて、下」


 この時になって、僕はようやく嫌なものを感じ始めた。遅すぎる位だった。それは第六感とかそういうものじゃなく、一般的な感覚。突然自分と全く接点のなさそうな女子に話しかけられたことに対する、ごく普通の警戒心。


「……僕に何か用?」


 堂々と口にしたつもりだったが、やはりおどおどとしていたのだろう。彼女はくすりと笑って、姿勢を戻して僕に向き直った。


「先輩、死にたいんですよね?」


「……え?」


 彼女の言葉に、時間が止まったような感覚が有った。

 しかし、少なくとも止まっていたのは僕の時間だけだった。「あ、やっぱり」。僕が呼吸も忘れて硬直しているその間、彼女は嬉しそうに悪辣な笑みを浮かべていた。


「死にたいんですよね。だから、ずっと、ここで下を見てたんですよね」


「……そんな」


 そんなこと、あるわけないじゃないか。

 しかし、開いた口から、その言葉が出てこない。

 それで確信を得たのか、彼女は続けた。


「別に悪い事じゃないと思いますよお。思春期なら、死にたいなんて、誰しもがちょっとは思うことです」


「……いや」


「むしろ考えない方がおかしいですよ。そう、みんな死にたいんです。思春期特有の、環境の変化とか、ホルモンうんたらとか、そういうののせいでちょっとネガティブになってるだけなんですよお」


「……僕は、そういうのじゃなくて…………」


「大丈夫です! もし悩みとかあればあたしが聞いてあげます。愚痴ったらちょっとは楽になるんでしょう? いいですよお、恋の悩みでも進路の悩みでも、何でもあたしが聞いてあげます!」


「いや、だから……」


「あたし、ちょっとそういうの詳しいんです。自分が落ち込んだときネットでいろいろ調べたりして。ふふん、ちょっと教えてあげますねえ。そういう時は無理に環境を変えちゃだめなんです。無理に変わろうとせず、ちょっとずつ自分の状況を自己分析して――」


「僕は――そういうのじゃないっ!」


 気付けば、僕は怒鳴っていた。

 怒りを声で吐き出して――慣れない怒声に眩暈を感じ、すぐに冷静になる。最初に心配したのは、周りに人がいないかということだった。バルコニーにも、廊下にも、人の姿はなかった。


「……あ、あっ! ごめん、急に大声出して……。そういうのじゃなくて、その……」


 必死に取り繕うが、しかし声を荒げてしまったのは間違いなく事実だった。どうあがいても撤回できない。死のう。彼女は好意から声を掛けてくれたのに、理不尽な怒りをぶつけてしまった。ちょっと嫌なことを言われたからって感情のままに怒鳴ってしまうなんて、死んだ方がいい。死のう、死のう、死のう――。


「あたしもなんですよ」


「――えっ?」


 彼女は、僕の右手を両手で取って、ずいと顔を寄せた。横に引き伸ばすようにして切れ長の目を細めて、笑った。無邪気な様にも、妖艶な様にも見える、不思議な笑い方だった。「あたしもなんです」。もう一度彼女は繰り返す。彼女の息が、僕の鼻に触れた。危ないな、と思った。


「あたしも、一緒。死にたいんですよ。ずっと、ずっと、ずっと――もう、死ぬことしか考えられないんです」


 そして彼女は、宇佐雪子、と名乗った。「ウサユキ、って呼んでください」。僕が受験を控えた三年生、彼女が一個下の二年生だった。

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