第11話 「バニラアイスは、絶対的においしいのです」
たいしてお腹は減っていなかったはずなのに、運ばれてきたタマゴサンドを見たら僕の胃がきゅうきゅうと切なく鳴き出した。
三角形じゃなくて長方形のサンドウィッチ。鮮やかな黄色とそこから転々と覗く真っ白がたっぷりと挟まれていて、パンがメインなのかタマゴがメインなのか分からなくなりそうだ。古賀さんは遅れて自分の前に置かれたストロベリーサンデーを見て、ほーっと感嘆の息を吐いた。
……言い方は悪くなるが、これらは特別おいしそうな訳ではない。じゃあまずそうなのかといえばそういう訳では無くて、普通。タマゴサンドは具がたっぷりだが、それ以外は盛り付けも食材も、ごくごく普通だった。
なのに、僕たちはしばらくサンドウィッチとサンデーに目を奪われていた。意識を引きつけられていた。喫茶店で飲み食いする、ということに対して少なからず抱いていた憧れがそうさせるのだろうか?
「じゃあ、一樹くん。いただきます」
「うん、いただきます」
お行儀よく顔の前で手を合わせた古賀さんにならって、僕もおずおずと手を合わせる。ナフキンで指を拭うと、古賀さんが先に一口、アイスにストロベリーソースを絡めて口に運んだ。そういえば屋上でピクニックを奢ってもらった時も、僕がコーヒーで古賀さんがストロベリーだったな、と思い至った。
「……おいしい」
辛うじて聞き取れるような小さな声、口の中だけに響かせるような声量でそう言うと、更にもう一口。今度は生クリームと苺の果肉も一緒にすくう。「おいしい」。同じようにしてもう一度。
ふと、古賀さんと目が合った。「食べないの?」。「食べるよ」。タマゴサンドを一切れつまんで、端っこにかじりついた――その際にサンドを押しつぶしてしまい、横から具があふれ出てしまう。具がテーブルを汚してしまう前に、慌てて口の中に押し込んだ。
下品な食べ方になってしまったことに羞恥心を感じつつ、咀嚼。一つが小さくて助かった。じゃなかったら僕の頬はぱんぱんに膨れ上がってしまったことだろう。
「おいしい?」
古賀さんが頬杖を突いて、訊ねた。僕はしっかりと味わってから答えた。
「おいしいよ」
「……ねえ、一樹くん」もじもじと、躊躇いがちに口を動かす。
「一つ、いる?」
すると古賀さんは、ぼそりと「……いる」。取りやすいようにお皿を前に差し出した。
一切れ手に取り、上品に反対の手をその下に添えながら口元へ。「んっ……!」。すると古賀さんも、僕と同じようにタマゴがはみ出してしまい、どうしようか逡巡してから、やはり僕と同じように口の中に押し込んだ。
唯一僕と異なったのは、咀嚼してる口元と膨らんだ頬を隠すように、俯きながら手で覆っていたことだった。
「うん、おいしい」
タマゴサンドを飲みこむと、ナフキンで手を拭きながら、率直な感想を口にした。
「具が一杯で、おいしい。でも……」
「でも」
「具が一杯」
古賀さんは黄色がべったりと付いたナフキンを、悔しそうに見つめていた、
*
古賀さんは飲み食いしながら談笑に花を咲かせるタイプではないらしく、黙々とスプーンを動かしては、時折「おいしい」と独りでに呟くだけ。僕も同じ、食事は食事というタイプだった(というか男子は一般的にこう考えている気がする)ので有難かった。
食後に口を付ける五百円もするコーヒーは、おいしい……と思う。うん、おいしい。
や、これは別に嘘ではない。実際、おいしかった。じっくりと焙煎して豆をひいたコーヒーというのは、インスタントや缶のものとは全く異なっていた。複雑というか濃密というか……さっきまでコーヒー豆でした! と分かる味をしていた。
強いて言えばコンビニのマシンで挽いてくれるコーヒーが近かったけれど、あれより香りも味もずっと引き立ってる。
しかし……その違いは分かるのだけれど、本格的なコーヒーの経験が皆無に等しいのと、複雑で濃密な味がイコールコーヒーとしてのクオリティなのか分からなくて、「違う!」とは思っても「おいしい!」とは思えなかった。ごめんなさい。
でも、普段のコーヒーとの違いを比べようとしっかり味わって、そしてそれを楽しめたのだから、悪い事じゃあないだろう。少なくとも何も思わずただ胃の中に流し込むよりはずっとマシなはずである。と、コーヒーカップに口を付けながら心の中で言い訳を続けていると、「あ!」、古賀さんが顔のパーツ全てを丸く開いて僕を見ていた。
「ど、どうしたの?」
「……ごめん、一樹くん。ほとんど、一人で食べちゃった……」
古賀さんの前の透明な器には、溶けたアイスとストロベリーソースの混ざった桃色の液体が底に溜まっているのを除けば、あと一口分のアイスしか残っていなかった。古賀さんは申し訳なさそうに目を伏せながら、その器を僕の前に滑らせた。
「これだけしかないけど……良ければ食べてください……」
「いや、いいよいいよ、気にしないで」
「でも、わたし、サンドウィッチいっぱい食べちゃったから……」
デザートよりも完食に時間のかかりそうなサンドウィッチを頼んだ僕が、どうして古賀さんよりも先に食後のコーヒーを楽しんでいたかというと、食べ辛さはともかくその味を大層気に入ったらしい古賀さんと一緒にあっという間に平らげてしまったからだった。
サンドウィッチとサンデーに夢中になっていた古賀さんは、今になってようやくその事を気にし始めたらしい(別に気にすることではないのだけれど)。
「せめて、ちょっとでも食べてもらわないと、わたしの気が……いや、もうどうあがいても申し訳なさが凄いんだけど、せめて……」
「……はあ」
まあ、それで古賀さんの気が収まるのなら。
僕は食い下がることを早々にやめて、外食の時くらいにしか見ることのない、持ち手の異様に長いスプーンを手に取った――と。
そこでそのことに気付いたのは、そこでようやっとその事に気が付いたのは、やはり僕が女性と関わった経験があまりにもないからだった。
スプーンの匙の部分に、わずかに黄色がかった白が薄く幕を幕を張っている。
これはつまり――そういうことか?
「?」
古賀さんの目をちらりと見やると、彼女は小さく首を傾けた。
ペットボトルの回し飲みを気にしないという人は、一定数いる。彼女もそういう類の人なのか。それともただ気付いていないだけなのか?
「……」
もう一度、白い幕を見つめる。ただ、僕にできるのは、もうこのスプーンを使って最後のアイスを口にする、ということだけだった。
ここでアイスを突き返すのは不自然だし、「関節云々になるけどいいの?」とは聞くのはあまりにもきもいし、彼女がただ気付いていなかった場合に恥をかかせることになる。
アイスをすくう。
ほとんど解けてしまっているアイスは、スプーンから逃げるように動いて、なかなか持ち上げられない。
だから、僕は、彼女が気付くより先に、このアイスを食べる。それが最もベターである――ベストが何なのかは分からないけど!
スプーンが唇に触れ、先程までコーヒーを飲んでいた僕は、その冷たさに肩を跳ねさせた――そして、意を決して、口の中へ、舌の上へ、アイスを、ミルクと黄身の混ざった薄黄色を、舌の上に落とす、あくまでアイスを、意識としてはアイスだけを舌の上に――。
「おいしい?」
にっこりとほほ笑み、古賀さんが訊ねる。
僕は吐き出すようにスプーンを引き抜いて、もごもごと舌を動かした。
「……アイスの味。バニラの」
「じゃあ、おいしいってことか」
そうだね、と僕は曖昧に頷いた。
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