第17話 「ヘンキョー・ダイアリー」
机。窓際に一つ、会議用の長机が真ん中に一つ。扉と窓に面していない壁を覆うように、本棚。薄汚れたホワイトボード。
これが文芸部室の全部だった。
いや、細かいもので言えばもっと物はある。長机の上に置かれたペン立てとか、干からびた蛇のように投げ出されたどこにも刺さっていないパソコン充電器とか。
だけれど小物とか雑貨を覗いた部室を構成している物でいえば、それくらいしか特筆するようなものはなかった。
「適当にかけてください」
黒川さんはそう促すと、窓際の机の上に置かれた鞄へと向かった。ピスタチオのようなちょっと変わった色の財布からお札を一枚抜き取ると、椅子に腰を下ろしたばかりの僕にそれを差し出した。
「いや、こんなにしませんでしたよ」
「分かってる」そう言って、断ろうとする僕の胸ポケットにお札を押し込んだ。「余った分は、帰り、古賀ちゃんと買い食いでもしてね」
僕は再び、大人だなあと、黒川さんの対応に打ちひしがれた。「いや」「受け取って」「いやいや」「いやいや」という儀礼的なやり取りをしてから、「じゃあ、有難く……」と胸ポケットのお札を財布にしまった。
「あ、そうだ。せっかくなら、お茶でもどう?」
黒川さんは本棚の一つを指さした。その本棚の一角には、本の代わりにティーポットやカップ、インスタントコーヒーが収められていた。
「せっかく古賀ちゃんが制服を洗ってくれたから、乾かしてそれで帰ろうと思って。それまで暇つぶしに付き合ってくれない?」
その”せっかく”はいまいち僕には分からなかったが……「もちろんです」。古賀さんも「是非!」と嬉しそうに答えた。
「お菓子もあるし、のんびり、色々話しましょう」
……もしかして、そのためにお菓子を頼んだのか? 黒川さんを見やると、彼女は小さくウィンクをしてみせた。いや、ウィンクは出来ていないくて、不自然に眉と瞼に皺が寄っただけだったけれど、その意図は理解できた。
不器用なウィンクと彼女の意外な策士ぶりに、僕は小さく噴き出してしまった。それを見て古賀さんが首を傾げたけれど、僕が何も言わないでいるとそれ以上追及することはなかった。
「コーヒーと紅茶、どっちがいい? 緑茶もあったと思うけど……あんまり人気がないから、ちょっと古いかも」
窓を開けてそこに制服を掛けた古賀さんは、本棚のティーセットから紅茶や緑茶のティーバッグやスティックコーヒーの箱を抱えて、テーブルの上に並べた。
「あ、黒川さん、ちょっと待ってください」古賀さんはリュックの中を弄りながら、彼女を引き留める。「これ、まずこれで一杯やりましょう」
そしてテーブルの上に置かれたのは、やはりピクニックだった。僕がチョイスしたのはコーヒー、ストロベリー、ヨーグルトの王道三種。リュックにレジ袋の中身を移した時、ちゃんと三本あることに古賀さんは気が付いていたのだ。
「あ、ピクニック。懐かしいー」と言っても飲んだことないんだけどね、と黒川さんは苦笑。「でも、なんか懐かしいイメージよね」
「分かります」
「さっき、屋上で飲んでたよね? ちょっと、羨ましいなと思ってたの」
「好きなの選んでください」と古賀さんは三本のピクニックを指示した。黒川さんは目を輝かせコーヒー、ストロベリー、ヨーグルトと視線に視線を巡らせ、もう一度ストロベリーに目を戻す。しかし、結局手に取ったのはヨーグルトだった。
「お、なかなか通ですねえ」
感心したように、古賀さんが頷いた。ピクニック初心者の僕にはそうだねと肯定を示すことは出来なかったが、ストロベリーは人気だろうし、コーヒーは無難で、その中でヨーグルトを選ぶのは、確かにちょっと変わったチョイスに思える。
「せっかくだから、変わったのにしようと思って」黒川さんはヨーグルト味を両手で包み込むようにして顔の前に持ち上げる。「ストロベリーもコーヒーも味が想像できるでしょう? ヨーグルトってどんな味なんだろうと思って」
カルピスかな。ピルクルに近いのかな。それとも本当にヨーグルトそのままの味なのかな。楽しそうに成分表を眺める黒川さんに、僕は親近感を抱いていた。
古賀さんは? と僕が目で示すと、彼女は「むむむ」と唸ってから、迷いを断ち切れない動作でコーヒー味を手に取った。
「あれ、コーヒーなんだ?」
「そんなに意外?」
「いつも僕がコーヒーだから」
「んー。まあ、そんなに好きじゃないけどね、コーヒー」
「……もしかして気を遣ってくれてる? 僕がさっき飲んでたのがコーヒーだったから」
「いや」古賀さんは首を振ると、少し恥ずかしそうに目を伏せた。「人の飲んでるやつって、妙においしそうに見えるでしょ?」
「それ、分かる」と黒川さん。ストローを取り出して、ぷつりと銀の丸に穴をあけた。
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