第18話 「おそるおそる」

 良ければ文芸部に入らない?

 思い切ったように黒川さんが切り出した時には、袋入りの個包装のチョコレートが全員の胃袋に収まり、ポテトチップスがかすを除けば残り数枚になっていた。


「文芸部に……ですか?」


 ヨーグルトは一体どうやって食べるのが一番おいしいのか、という話題に花を咲かせていた途中のことだったから、会話の流れを切る突然の申し出に、古賀さんは呆然とした様子でその言葉を反復した。

 ちなみに古賀さんはイチゴジャム、黒川さんはプレーンもしくは砂糖のみとのことだった。黒川さんがピクニックのヨーグルト味を選んだのはただヨーグルトが好きだったからなのでは、という疑問が僕の頭に浮かんだ。


「うん。もちろん無理にとは……言わないけれど」


 言いながら自信を無くしたようで、黒川さんの言葉はどんどんとしぼむように小さくなる。無理、という訳じゃない。「どうして急に、そんなことを?」と僕は尋ねた。


「それは……」


 黒川さんはそこま言うと、下唇に指で触れて、考えるようにして黙り込んでしまった。

 言葉に詰まっている、という風ではない。自分の言いたいことを、言葉にして組み立てているのだろう。


「それは、理由が二つあって。一つは、もちろん、部員が欲しいから。二年生の二人が辞めちゃうらしいの。幽霊部員だったんだけれど、どうやら新しい部活動を作るみたいで」


「兼部はできないんですか?」部活事情はまったく詳しくないが、兼部が云々、という話は耳にしたことがあった。


「それが、新しい部活を作る際は兼部は認められないらしいのよね……」


「ああ、なるほど……」


 まあ、納得。

 それを許可してしまうと、友人から名前を借りて人数をかさましして、新しい部活動を作りたい放題になってしまうから。


「ちなみに何部を作るんですか?」


「ボードゲーム同好会らしいわ」


「ボードゲーム……」


「……私も部長も、この部室でボードゲームで遊んでも全然かまわないんだけれど……でもそう言っている以上、止められないわよね」


 新たに部を創部なんて、フットワークが凄いなあと素直に感心。部室を用意して、顧問を探して、生徒会に予算を通して……等々、詳しい仕組みは分からないが、創部まで様々な手順を経なければならないのだろう。


 この学校には多くの文化部が存在し、またそれを売りにしているような部分はあるから、そのシステムは比較的簡単になっているのかもしれないが……しかし、そうまでして”ボードゲーム愛好会”を作りたいとは、彼らのボードゲームに対する熱意は相当なものなのだろう。

 そこまで何かに熱を注げることは、素直に感心するし、なんなら羨ましいとも思う。


「その二人の穴埋めに僕たちを、という訳ですか。でも、もともと幽霊部員なら抜けても何の支障も……」


 そう言いかけて、ああそうかと思い至る。興味はなくともそれくらいは分かる。


「割っちゃうんですね、部活動の最低人数」


 こくりと、まるで罪を白状するような申し訳なさを表情に浮かべながら、黒川さんは頷いた。


「や、それはおかしいよ」と口を挟んだのは古賀さんだった。

 何がおかしいのか、と視線を向けると、


「だって、部の最低人数は四人だもの。黒川さんは、各学年それぞれ二人ずつ在籍してるって言いましたよね。なら、四人はいるはずだよ」


 とブレザーの胸ポケットから生徒手帳を取り出して、ぺらぺらとページをめくり出した。「あ、あったよ、ここ」と、丁度真ん中くらいのページを僕の目の前に突き出す。「本当だ」と頷いて見せたものの、掌位の小さな手帳に記された細かい文字の羅列、実際は一文字たりとも読んでいない。


「そう、今はまだ四人いるのよ」


 今は、の部分を強調した。「他にも誰か抜けちゃうんですか? 一年生?」とすかさず古賀さんが訊ねる。……多分、そういうことではないのだろうな。僕は何となく、彼女の言わんとすることが分かっていた。


「黒川さんは、来年のことを気にしてるんですよね?」


 こくりと、やはり申し訳なさそうに黒川さんは頷いた。

 しかし古賀さんは納得ができないようで「来年ってどういうこと?」と首を傾けた。


「三年生が卒業したら、部員は二人。最低人数を割を割っちゃうでしょ」


「でも、そうしたら新しい一年生が入って来るよ。廃部にはならない」


「二人以上入ってくるのならね」


「……あ」


 合点が言った様で、古賀さんは小さく声をもらした。

 新入部員が満足に入らなければこの文芸部は廃部になってしまう――そしてそれは、万が一などではなく、十二分に起こり得る可能性なのである。


 部員はたった二人しかいない。入部を検討していても、この人数を知ればためらってしまう人は少なくないだろう。

 そして何より、今この部屋には僕たちしかいない――黒川さん以外の文芸部員が居ない。時計を見る。まだ四時過ぎ。部活を終えて帰るには早すぎる。


 三年生は受験が控えているからしょうがないとして、残る一年生の二人、この二人はおそらくこの部活にさほど執着がないのだろう。勧誘活動なんかもしないだろうし、むしろ自分たちでこの部活を畳んでしまう可能性もある。つまり、二年生の二人が抜けた時点で、この部活はほぼ間違いなく廃部になってしまうのだ。


「できることなら、部を守りたいんだけどね……」


 そういうことなら、やぶさかではない。僕は別に、協力しても構わない。帰宅部と幽霊部員に沿う違いがあるとも思わないし、この名前を貸すだけで救われる人がいるのなら安いものだ。


「これ、ちょっとずるいわよね。二人が入部してくれなかったらこの部活は廃部になるんだぞ、って脅してるみたい……」


 黒川さんは自嘲気味に笑うと、思い出したかのように、取っ手を指先でつまむようにしてティーカップを持ち上げた。のどを潤す為ではなく舌を湿らせるためだろう、少しずつ黄金色を口の中に流し込む様子は、端から見ればゆっくり味わっているように見えるが、彼女の喉はほとんど動いていなかった。

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