第三章 ブンゲーブ
第13話 「あくまで、エスプレッソ”味”だから」
「そういえば、結局、全然互いのことについて話さなかったねえ」
「喫茶店の時のこと?」
「デートの時のことだよ」
喫茶店デートを終え、土、日を挟み、月曜日の放課後。
僕たちは示し合わせてもいないのに、また同じように屋上で顔を合わせていた。
いや、互いにフェンスに背中を預けて同じ方向に身体を向けているから、本当に向かい合っている訳ではないのだけれど。
「黙々と、食事を楽しんじゃってましたねえ」
「……そうだね」
「どしたの? 今日、なんか反応薄い」
「……昨日休みだったから、ちょっとかったるいのかも」
「あー」
デートの帰りに見せた、あの一面。
古賀さんはそれが嘘だったのかのように、陽気な雰囲気を纏って、にこにことほほ笑みを浮かべていた。
「じゃあ、一樹くんにはこれを差し上げましょう」
古賀さんは足下のリュックを少しだけ開いて手を突っ込むと、いつぞやと同じようにピクニックを二本取り出した。今日はヨーグルトとエスプレッソ。その中から、金色に見えなくもない薄い茶色が特徴的なエスプレッソの方を僕の顔の前に突き付けた。
「エスプレッソって、苦いやつでしょ? 目が覚めるよ」
「……悪いね、そんな、毎回」
「毎回じゃないよ。前回は、お近づきのしるしに。今回は、先日のお礼。結局奢ってもらっちゃったから」
「あれも、お近づきのしるしと協力してくれるお礼のつもりだったんだけど」
「ま、ま、いいから。何でもいいから、とりあえず受け取ってくださいな。一樹くん今日眠たそうにしてるから、わざわざこれ選んで来たんだよ?」
「……まじ?」
「まじって、なにー? わたしがちょっと気遣い見せたのがそんなに以外?」
「や、そういう訳じゃなくて……その、……うん、ありがとう」
「うん」
古賀さんは満足そうに笑ってみせると、僕のブレザーのポケットに立方体の容器を押し込んだ。
エスプレッソとはいえピクニック、僕が家で作るミルクと砂糖たっぷりのコーヒーよりずっと甘い事だろう。眠気を紛らわす効果は期待できそうにはない。でも彼女のその気遣いは、貧血気味な僕の脳に血を巡らせた。少なくとも、眠気に抗おうと、そういう気持ちにはなった。
「で、どう?」
ヨーグルト味のストローを引っ張り出すのに苦戦しながら、古賀さんが訊ねる。主語がないから何が何だか。僕は首を傾げた。
「ほら、さ」
しかし、古賀さんの言葉はやはり容量を得ない。
「ほら……って?」
「だからさ」
しかし古賀さんは、その中身をなかなか言おうとしない。「だから……ほら」。何かを言おうとして、しかし辞める。口をもごもごと動かしている古賀さんを横目で見ながら、僕もピクニックにストローを突き刺した。
「わたしに、惚れられそ? ……ってことを、聞きたかったの」
ストローの横から洩れたしずくを舐めとっていた僕は、思わず舌を噛みそうになる。というか、噛んだ。軽くではあったけれど。
古賀さんは俯きがちに、肩を丸くして、下唇を尖らせていた。
「……ちょっと、何か言ってよ!」がしゃがしゃと、古賀さんはフェンスを揺らして抗議の意を示した。「これ、なんか、すごい恥ずかしいんだから……!」
「……できると、思うよ」
「……ほんと?」
上目遣いで、僕を見つめる。その視線に僕はドキリとして、視線を逸らそうとして――しかしそれも不自然だ、だけれど彼女の目を見つめているのもおかしい、どうすれば――とどろどろとした雑念の中で、必死に言葉を探した。
「……うん。可愛いと思うし、優しいと思う、魅力的だと思う。前言った声だけじゃなくて、古賀さん自体も、魅力的な女の子だと思った」
「……う」
でもそれはあくまで一般論的な感情でしかない可能性も捨てきれなくて――古賀さんだけを特別視してるかどうかは、正直分からない。
可愛いから、優しいから、いいなと思っているだけかも知れない。
「や、でも、それでいいんだよ」
たどたどしい言葉でその事を告げると、古賀さんはストローに口を付けて舌を湿らせてから、安心させるように微笑んだ。
「可愛いな、かっこいいな、優しいな、最初はそういうものだから。そういう印象のとっかかりから意識するようになって、その人のことを考えるようになって、気が付けば好きになってる……そういうものだから」
「なるほどね……で、どうして顔が赤くなってるの?」
「う、うるさいなっ!」と目を吊り上げながら声を張る。しかしすぐさまぼそぼそとした口調で、「その相手が自分だと思うと、こう、気恥ずかしいでしょ……」と言葉を続けた。
「……ごめん、恥ずかしい思いをさせて。古賀さんが嫌なら今からでも――」
「違う、嫌とかじゃなくて……! あーもういい、もういいから、そろそろ本題、惚れさせ方を、わたしを惚れされるにはどうするかを、一考えるよ!」
「う、うん、お願いします――」
と、その時だった。僕の視界の隅で何かが動いた――僕らの位置から丁度視覚になる貯水タンクの陰から何かが飛び出した。パイプが倒れたのかも、とか、タンクを支える支柱が錆びて壊れたのかも、とか、とにかく貯水タンクの
それはさながら、野球のヘッドスライディングや水泳の飛び込みの様だった。大胆に勢いよく跳躍して、前へ前へと進もうとする意思を感じさせた。
……そう感じてしまっただけで、「あやあぁ!」という地面に叩きつけられた悲鳴と、そこが苔塗れ藻まみれ天然緑の絨毯だということに対する絶叫を聞いて、派手に転んでしまったのだということに気が付いた。
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