第34話 「そう簡単には変われないんだよ」

 簡単に言えば、僕たちは何も変わっていなかった。自分の絶望を自覚した僕は相変わらず死にたいし、古賀さんの色々は未だに汚れたままだし、雪子は未だに軽犯罪やエンコー(今はパパ活とか言うらしいけど)を繰り返している。

 それもそのはず、僕たちはその気持ちを自覚したり吐き出したり泣いたりしてすっきりしたけど、でもその時ちょっとすっきりしただけで、結局何も解決していないのだから。


 それに加え僕たちは自覚してしまった。その原因を、原因から逃げていたこと、実は意外と死にたくないこと、いやめっちゃ死にたいんだけど一人じゃ怖くて死ねないこと、だから笑って死にたいこと、でもそれはなかなかどうして難しいこと。

 僕たちはこれから、自分のどす黒いドロドロした感情と向き合い、そして笑って死ぬために前向きに頑張らなければならない。


 ……いやいやいやいや。僕は首を振って、頭の上にもやもやと浮かび上がった黒い雲のような憂鬱を振り払った。


 そんなことせずとも、死ねば全部なくなるんだから、泣いてでも悲しんででも死んでしまえばいいのでは?

 例の騒動から一瞬間立って色々と冷静になった僕は、眠たい目を擦ってそんなことを考えながら、自分の机に鞄を降ろした。


「おはよう、一樹君」


 美しい声で僕の名前を呼だのは、もちろん古賀さんだった。古賀さんは眼帯に隠れていない左目をキュッと細め、微笑んだ。


「目、なかなか良くならないね」


「うん。カラオケって案外不衛生なんだねえ。よく考えれば当たり前だけれど」


 ものもらい、と言うやつらしかった。泣いて泣いて目を擦り続けた古賀さんの目は、角膜が傷つきまくりそこに菌が入ってしまったのだ。


「……って、ずいぶんといい趣味の本を持ってるね」


 と、僕は彼女は今まで視線を落としていたペーパーバックを指で指し示した。棺桶のようなイラストとともに記されている文字は『完全自殺マニュアル』。


「一樹くんはこの本持ってる?」


「……いや」


 嘘だった。しかも三冊持っていた。一冊、雪子にあげた。「ふうん?」。古賀さんは訝しんだ視線を向けるものの、それ以上は追及することはなく、ペーパーバックを閉じると引き出しの中に放り込んだ。


「飛び降りとか楽に死ねるのも悪くないけど」


「うん」


「やっぱり、独創的な、これまでの人生を体現するような死に方をしたいと思うんですよねえ」


「……自殺配信とか?」


「うーん。人に迷惑をかけるのはダメ」


「まあそうだよね」


「うーん。どうすればいいんだろうね」


 古賀さんはクラスでも平然と声を掛けるようになった。そして自分を隠さなくなった。むやみやたらにアピールする訳ではないが、自分の絶望を隠すことはなくなった。そして怒りも。「やってやったよ」。他のクラスの女子と盛大な喧嘩をしたとかで生徒指導室から帰ってきた古賀さんは、にやっと笑ってそう言っていた。


「まあでも、しばらくは死ぬつもりはないかな」


 古賀さんはペーパーバッグの代わりにピクニックを取り出して、僕に向けて差し出した。「今日はヨーグルト味」。「毎回、悪いね」。古賀さんは僕の首と手の甲の番動向を指さす。「そういう契約でしょ、傷が治るまで貢って」。「僕は同意した覚えはないけれど……ありがとう」。


 古賀さんは相変わらずぼっちだったし、周囲から浮いていた。むしろ以前よりもくっきりはっきり浮いていた、だけれど彼女は、ぼっちで浮いている自分のことを許容するようになった。”浮いてしまっていた”から”自ら浮く”ようになったのだ。


 それが良い事かどうかの判断は僕にはできない。少なくとも一つ言えることは、クラスに馴染めるわずかな可能性を自ら手放した、ということだ。


 こればっかりは結果論、未来の彼女が判断するしかない。でもこういうのは大抵、どんな結果であれ、自分の選んだ選択を悔やみもう一つを選べばよかったと後悔するものだ。まあでも、そのうち、後ろを見るのをやめて前を向くようになるのだ。


「あ、ねえ」席に付いて鞄の中身を引きだしに移していると、ふと、思い出したように声を掛けられた。「今週末、雪子ちゃんと黒川さんと一緒に遊び行くんだけど、古賀さんはどう?」


「……雪子と?」


「うん。是非一樹くんも誘ってみてください、って言われて。……都合悪いかな?」


「……悪い訳じゃないけれど」


「けど?」


 ……雪子と仲良くするのはおすすめしないよ、とは、もちろん言えなかった。

 というか一体どうして雪子と仲良くなっているんだ。あの経緯があって、どうして雪子とつるんだりしているんだ、古賀さんは。


「……一樹くんが何を考えてるのか何となく分かるけど、雪子ちゃん、良い子だよ? 一樹くんがいじめられてただけなんじゃないの?」


「……その可能性は否定できないけど」


「ま、いいや。都合悪い訳じゃないって言ったよね?」


「うん、まあ」


「分かった、土曜か日曜かまだ決めてないから、また連絡するね。ちゃんと、覚悟をしておいてね」


「覚悟って……何の?」


「散財と筋肉痛の」


 しれっと言って、にこっと笑って、べえっと舌を出して、もう意見は受け付けませんとばかりに古賀さんは正面を向いてしまった。


 ……色々迷惑をかけてしまった訳だから、奢るのも荷物持ちも喜んで請け負うつもりではあるけれど、実際問題としてお金も筋肉もスズメの涙である。覚悟はしておくけれど、期待はしないでほしい。


 ……まあでも。

 ちょっと頑張ってみようか。


 お金は……どうしようもないけれど、ちょっとトレーニングなんかしてみようかな、なんて考えてみる。今日は火曜日。今日含め、後四日か五日。その程度のトレーニングに意味があるのかなんて分からないけれど。というかないだろうけれど。古賀さんは何も本当に荷物持ちをさせたい訳ではないということも分かっているけれど。


 ちょっとやってみようか、と思う。


 僕たちは何も変わっていないけれど、でも、ちょっとは変わってみようとはしているのである。古賀さんがピクニックではなくマミーを飲んでいるのも、雪子が”ウサユキ”という呼ばれ方にこだわらなくなったのも、ちょっとだけ変わろうとしているのだろう。


 自分を捨てるほどではなくとも、気まぐれ程度だろうけれど、ちょっと違うことをしてみよう程度だろうけれど、ちょっと、ちょっとだけ、まずはほんのちょっとだけ、変わろうとしているのだろう。黒川さんまでもが腰まであった茶髪をバッサリ切ったのは、ちょっと不思議だったけれど。


 だから僕も、運動なんてしてみようと思うのだ。

 部活に入る訳でも、本格的にスポーツをする訳でもない。三日坊主でも構わない。ちょっとやってみよう、その気持ちが大事なのだろうと考える。そういうことにしていく。


 やはり、僕は死にたいままだ。

 理由は消えていない。というか消えない。僕の考え方を変えるしかない。でも変える気はない。変え方も分からない。僕は相変わらず死にたいままだ。


 僕が人生を閉ざす時は間違いなく自殺だろう、という自身はある。でもしばらくは生きているだろうという確信もある。少なくとも僕の近くに古賀さんがいて、雪子が付きまとって、黒川さんが心配している内は死ねないだろう。彼女らと一緒に居るのが楽しいと感じている今は、笑って死ねそうにない。死ぬことが嬉しいとは思えないから。


 いつか死ぬために生きる。

 死ぬことがあるから、生きていける。


「……はっ」


 変な笑いが出る。古賀さんが怪訝な視線を向ける。「どうしたの?」。「うん、ちょっとね」。


 随分と間抜けだ。破滅的で、矛盾していて、ちぐはぐで、アホでバカだ。でも、やっぱり、それでいいと思う。それくらいじゃないと辛い。そうじゃないと苦しい。間抜けに、破滅的に、矛盾してちぐはぐに、アホでバカに生きていこう、もうしばらくは。


 僕はピクニックにストローを刺す。ぷつ、と白濁した液体が漏れる。ティッシュを出して拭こうとして――僕は、それを舐め取った。くすり、と古賀さんが笑った気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

死なないために、僕は彼女に恋をします。 ヤマナシミドリ/ 月見山緑 @mousen-moss

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ