第9話 「ノット・ふくろう」

 再び、僕は待っていた。

 駅前の隣の隣の通り(名前はあるんだろうけれど、知らない)を出たところにあるコンビニのイートインで、コーヒーを啜りながら音楽を聴いていた。


 音楽を聴いていた、と言っても、それに意識を向けていた訳ではない。

 耳に突っ込んだイヤホンから流れてくる音、それに適当に意識を向けながら、ただぼおっと待っていただけだった。


 どきどき、していた。

 これは本当である。嘘じゃない。


 これは明確に明確なデートである。

 ふわふわしてない、確かなデートである。

 初めての経験に、僕は確かに浮ついていた。


 でも、これは恋心ではないという自覚はあった。

 あくまで女の子と一緒に出掛けるという行為、そして喫茶店に対する緊張感から来るものであって、古賀さんを特別意識しているが故の”どきどき”ではないことは分かっていた。


「……ん」


 お気に入りのフューチャーベースのアルバムが終わって、ジェーポップのアーティストに切り替わった。つい最近までインディーズだった、メジャーデビューしたバンドだ。


 スマホに入れている位なのだからもちろん嫌いではない。だけれど何だか今は気分じゃなくて、再生モードをランダムに切り替えて次曲に送る。ロックバンド、違う。フューチャーベース、これはさっき聞いた。EDM、騒々しすぎる。ガールズバンド、……まあこれでいいか。スマホをテーブルに置きコーヒーを啜った。


 ……今更だけれど、これから喫茶店に行くのにコーヒーを飲んでいるのはどうなんだ? と気が付く。


 いや、別に喫茶店イコールコーヒーというイメージだけれど、別にコーヒーを頼まなければいけない訳じゃないし、軽食だってたくさんあるだろう。それにコンビニのコーヒーと喫茶店のコーヒーを比較することができるし……。


 と、その時、視界の隅がブレザーを捕えた。見慣れた紺色のブレザー。しかし何もはおらず、スカートもひざ下まで伸びている。ある意味珍しいその格好。


 僕は慌ててコーヒーを飲み干し、ゴミ箱に頬り込んだ。ガコンと、ゴミ箱が音を立てて紙コップを飲み込んだのと、僕に気が付いた古賀さんは小さく手を振ったのは殆ど同時だった。


 入店音が流れる。古賀さんはローファーを鳴らしながら店内に入った。


「待った?」


「ううん」


 古賀さんは僕の十分後に出るという話だった。実際待ったのもそれくらいだ。


「ちょっと待ってて」


 古賀さんはそう言うと、僕が頷く前にレジの方に向かって歩いて行った。

 何か買うものでもあるのだろうか。でも、何も手に持ってないぞ? 


 そう思いながら彼女の背中を視線で追っていると、レジにたどり着く直前に、その正面にある棚から何かを取った。あの位置にあるのは、大体飴やガムだろう。


「お待たせ」


 電子マネーで手早く会計を済ませた古賀さんは、テープだけ貼ってもらった商品を僕に押し付けるように手渡した。

 名刺くらいの大きさの、薄っぺらいプラスチックのケース。いわゆる清涼タブレットというやつだ。


「……? あ、ありがとう……」


 一体どうしてこれを買ってくれたのだろう、と僕が彼女の意図を分かりあぐねていると、古賀さんは「どういたしまして」とにっこりほほ笑んだ。


「口の中すっきりさせておかないと、せっかくの喫茶店のコーヒーがちゃんと味わえないでしょ?」


「……すみません。何も考えず、買ってしまいました」


 古賀さんはローファーをコツコツ鳴らしながら、足早に店外に出て行った。



*



「”ふくろう”って、一体どういう理由なんだろうね?」


「え?」


「店の名前。”ふくろう”って名前だったでしょ。でも梟カフェじゃないみたいなんだよね。梟カフェが流行るよりずっと前からやってるみたいだし」


「……店主が梟を好きなんじゃないの?」


「んー……二点」


「……何が?」


「会話はずみ度数。二点ですね、それ」


「……じゃあ。店主が梟に似てるとか」


「その返答は十二点」


「百点満点だったんですか……」


「そういう時はちょっとおどけたことを言うと良いんですよ。『お店の外観が梟の形をしてるからじゃない?』とか」


「外観って……さっき古賀さんに見せてもらったし」


「ぬ」


「それに屋号を”ふくろう”に決めてから外観を梟に模したものにするでしょ。先に店を梟の形にしてから、『店名どうするかなー梟そっくりだからふくろうでいいかなあ』とはならないでしょ」


「……女の子に恥をかかせた。マイナス二十七点」


「はあ」

 

 通りに人はまるでいなかった。

 閑散とした雰囲気はあるが、寂れている訳ではない。立ち並ぶのは喫茶店やバー、古書店など、わいきゃいとした賑わいとが無縁な商いばかりであり、平日の、昼でもなければ夕方でもないこの微妙な時間に立ち寄る場所ではないのだろう。


「ここ、どういう通りなの?」古賀さんが訊ねる。


「さあ」と僕は肩をすくめた。


「あれ、一樹くんさかえの人じゃないの?」


「そうだけど……何で知ってるの?」


 確かに僕は生まれてから今日まで栄市以外で寝泊まりしたことがないけれど、その事を伝えた覚えはない。彼女どころか、高校の誰にも。


 僕が不審げな表情を浮かべていると、「ん」、と古賀さんは自らのリュックを指さした。性格にはリュックからぶら下がっているストラップのようなもの。小学生が絵画で描く青空のような鮮やかなブルーの、てのひら位の大きさの長方形。


 それが一体何なのか分かりあぐねてしげしげと見つめていると、定期入れだよ、と彼女は言った。


 はあ、と僕は吐息が多分に交ざった声を漏らす。定期入れ。もちろん知ってはいる。だけれど、あまりにも僕の人生に縁の無いアイテムだから、咄嗟に理解することが出来なかった。


「電車とかバス通学の人は、定期を直ぐに取り出せるようにしてるから」


 モバイルもあるからそうじゃない人もいるけどね、と古賀さんは付け加えた。


「で、一樹くんはどうなの?」


「その通り、徒歩通学です。ずっと地元です」


「なのにこの通りのこと知らないの?」


「だからこそ、だよ。地元にいるからこそ商店街を利用することもないし、よく行く店が決まってるから新しい場所を開発することもないんだよ」


「あー、なるほどね」と古賀さんは頷いた。「言われてみれば、わたしもそうかも」


 ……そういえば、古賀さんはどこから通っているのだろう?

 

 そう思っても、訊ねることは出来なかった。プライベートの彼女を知ろうとすることに、抵抗感があった――というか、抵抗感を抱かれると思ったからだ。


 古賀さんは僕の地元に付いて聞いて来たのだから、それを訪ねたことで問題はないはずだ。それは分かっているのだが、それでも、僕はその疑問を口に出すことはなかった。


 まだ屋上で繋がっただけの関係である僕たち。学校の中、制服を纏っている間しか、二人の間に線はない。線がないのなら関係ない。知ってはいけないし訊ねてはいけないのだ。


 この感情を有体に表現するのなら、つまり――緊張というやつだろう。


「……やっぱり、梟じゃないね」


 古賀さんが足を止めて、どこかがっかりしたように呟いた。一歩、彼女の先に踏み出してしまってから慌てて足の動きを止めた。いつの間にか目的地に付いていた。


 そこは、やはり先程見たのと同じ。

 年季の入った白い外壁に、”珈琲ふくろう”とペイントされた茶色い雨よけ。誰しもが思い浮かべる喫茶店が眼前にそびえている。

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