第5話

「……目的は金か」



 パッと頭に浮かんだことを声に出した。というよりそれしか思いつかなかった。示談と言われて結びつくものは金銭しかない。

   


「……仮にお金だったとしましょう」



 だが当の花ケ崎は気の抜けた声でそう言った。顔はどこかつまらなげで失望しているかのようにも見える。

 それでも花ケ崎は口を動かす。



「罪によって示談金の相場は変わってくるわ。今回のケースだと痴漢か強姦がしっくりくるわね。今調べてるけど強姦よりも痴漢の方が払う額が少ないそうよ、とは言ってもあくまで相場であって内容にもよるでしょうけど……ほら」



 花ケ崎はスマホの画面を俺に向ける。確かに彼女が言った通りの内容が書かれていた。



「嘘じゃないみたいだな」

「まったく信用されていないのね、私。まあいいけど……それで金額の話に戻るけど痴漢の場合は十から三十万、強姦の場合は百から二百万と書いてあるわ。今回の場合は……」



 そこで花ケ崎は目を閉じて何やら考えている様子。けれどその時間はほんの束の間で彼女はすぐに目を開いた。恐らく頭の中でそろばんを弾き金額の算出をしていたんだろう。


 俺は息をのんで要求される金額を待った。そして、



「考えるのが面倒だから、きりよく百万にしましょう」



 考えを放棄したことを告げられた。



「いやどんぶり勘定すぎるだろッ⁉ どんだけ器大きんだよお前!」

「ありがとう」

「感謝するな褒めてねーからッ!」



 声を荒げての嫌味は花ケ崎には褒め言葉に聞こえたらしく、誇らしげな表情をしている。



「私を称賛したくなる気持ちは私が一番良くわかっているけれど、今は抑えてほしいわね」



 え、大丈夫なのこの人。酔い止め買ってきた方がいいかな。



「ふふ、ありがとう。助かるわ」



 黙る俺を都合よく解釈したんだろうが、俺は助けられない。お前のような自己陶酔者を助ける術を俺は知らないから。



「それで百万の返済期間なのだけれど、卒業まででどうかしら?」

「ちょ、待て待てッ! まだ俺はその金額に合意した覚えはねーぞ! だいいち、お前がいい加減に計算した額だろ? 法外な額かもしれないし、素直に承諾するわけがねーだろ!」

「ならなに? 弁護士にでも相談するつもり? そんな事したら身内にばれるのは必須だと思うのだけれど」



 静かな声音と共に鋭い視線を突き付けてくる花ケ崎。完全に足元につけこまれている。


 百万とは高校生の俺にとって途方もない大金だ。一応少額ながら小遣いは貰ってはいるが果たして何年掛かるやら。言えることは一つ、今のままだと卒業までには絶対に無理、だ。


 ……バイトしかないか。今が六月だから今月から始めたとして本格的に給料が貰えるようになるのは七月、卒業までは一年と八ヵ月か。月々の返済額はちょうど五万、いけなくはないかもしれないが……。



「あ、それと言い忘れていたのだけど、一括返済じゃないのだから当然利息はかかるわよ」

「なッ⁉ そんな……」



 花ケ崎の追加要求の申し出に俺は困惑を隠しきれなかった。



「百万の場合は最大で十五パーセント、それでシミュレーションすると……月々の返済額は五万七千ちょっとね。払っていけそうかしら?」



 そう言って今度はどこかの消費者金融のサイトから算出したシミュレート結果を見せてきた。


 利息……この女思い出したように難易度上げてきやがって。だがバイトの収入と小遣いを合わせればいけるかもしれない……いやバイトを掛け持ちした方がより安定の収入が入り滞りなく返済できるか。けどバイトを優先して学校を休むわけにはいかないし……。


 おおまかな返済計画を頭の中で練るがそれでも時間という定められた縛りが大きな障害となる。平日は学校があり基本は夕方から、それでも高校生の俺に働ける時間は限られている。休日を返上して毎日働けば返済額ぐらいは稼げるだろうが、そんな働き詰めの生活を一年半以上続けられる気が毛頭しない。が、やらなければ俺の人生は……。



「不景気な顔してるわね」



 当たり前だろ、百万だぞ? 平然としていられるほうがおかしいわ。


 花ケ崎の他人事発言に俺は苛立ちを隠せず、眉間に力が入ってしまう。



「黒金君、目が怖いわ」

「ほっとけ」

「ふふ、そんな黒金君に教えてあげる。私が欲しいのはお金なんかじゃなくもっと別のものよ」

「別のもの?」



 そこでふと気づく。俺が目的は金かと訊ねた時に花ケ崎が見せた失望したような様子、あれは俺の見当違いに対する失望だったのだと。

 


「じゃあお前の望むものはなんなんだ」



 俺は返済計画を一時中断して疑問を投げかけた。

 けれど花ケ崎は反応を示すことなく、そっと椅子から立ち上がり窓際へと向かっていく。俺はただその行方を眺め質問の答えを待つ。


 そのまま彼女は窓に背を預け、外に顔を向ける。センチメンタルな雰囲気、放課後の教室で彼女は何を思うのか、そう考えさせられる一枚絵のようだった。

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